人類への預言的奉仕
預言的メッセージ

Trujillo, Alfonso L (トゥヒリ・アルフォン)
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ある人たちは統計などを見て、避妊と「産児制限」に関する回勅『フマネ・ヴィテ』のメッセージは列挙される事実によって打ちのめされ、現行の文化によってうやむやにされてしまうと感じるかもしれません。しかし、もしわたしたちが注意深く反省して、ある裕福な国々で避妊メンタリティー、それを支持する政策、この考え方の結果である劇的出産減少のために生じた人間疎外のパノラマを直視するとき、その真実さは高まり、強調されます。

あまりにも長い間、人口論争は世界が「指数関数的」人口増にとらわれているという普遍的で誤謬に満ちた考え方が主導権を握ってきました。この警戒論的土台の上に、国連諸機関は多くの国にマルサス流の政策制定を強制するために、巨額の財政支援をし続けてきましたし、それは現在も続いています。発展のための国際援助は、強制的不妊手術、本人の同意無しに行われる不妊手術を含む人口抑制政策の制定が条件になります。

これらのひどい方針は実際の人口学的傾向に全面的に矛盾するものです。入手可能な統計とデータの分析からもこれは明らかです。ここ30年間、世界人口増加率は恒常的に、かつ大幅に下がってきています。この時点で、出産率の劇的低下に伴って、世界の185ヶ国中51ヶ国はもはや人口補充水準を割っています。さらに正確に言えば、これらの51ヶ国は世界人口の44%を占めます。つまり、これら諸国の生殖能力つまり一人の女性がその生涯に産む子どもの数は2.1人以下であるということです。これは基本的公衆衛生状態が確保されている国がその人口を補充するために必要とする数字です。

近い将来、人口補充水準を割る国の数は増加するはずです。同じように、死亡率が出生率より高い国も増加するでしょう。これらの国で若者が占める割合は際だって下がります。その結果、年齢層のピラミッドが逆立ちするのを見ることになります。数の少ない若年層が数の多い老年層を支えなければならないということです。数の少ない若年層がその国の生産を確保し、同時にもはや労働することがなく、より多くの保健医療の支持を必要とする老年人口を支えなければなりません。

現今、わたしたちは二つの相反する立場に立っているような感じがします。一つは、回勅『フマネ・ヴィテ』に断固として反対し、その政策を押しつけることを欲するときには躊躇なく人権を無視し、踏みつけた人口学的条件付けです。もう一つは、特に政府から少人数の子どもしか産むことを許可されない貧しい人たちの出産の自由の再獲得です。

回勅『フマネ・ヴィテ』が発布されたとき、それは主に結婚倫理に関する教導職からの文書であるように見えたものです。しかし、現代、それは政治上の自由と、責任産児の指導に従って、貧しい人と貧しい国が希望する数の子どもを生む権利の擁護という分野での対決点になっています。回勅『フマネ・ヴィテ』はこのようにして、人々の自律に関する主要な表明を守る壁になっていると言えます。

家庭と社会への奉仕

回勅『フマネ・ヴィテ』はそのいろいろな提案の中で、受胎能力調節法に関する新しい科学的進歩を強く励ましています。いわゆる自然な方法は今やよく知られ、科学的にもその効果は認められています。

これらの方法は、とりわけ、夫婦愛の十全という人間学に合致する提案であり、また完全にまた道徳的に基盤を置く感覚にも合致しているので夫婦の調和とその生殖の責任に関しても欠かすことのできない支えです。これらの手段を使用して夫婦は生殖に関して決定を下すとき、生殖行為の意味するところを完全に尊敬する適用法をしていることになります。

もし、避妊に関して、ホルモン使用の避妊とか避妊リングがもたらす不便とか危険にもかかわらず、世界でこれら自然な方法が量的にも競い合って広まらず、人工的方法にとって変わらないのであれば、それは考え方の違いに起因します。彼らが必要とするのは、子どもを喜んで受け入れる心、超越的価値を大事にする心、夫婦の自己抑制などを特徴とする全く新しい考え方です。

しかし、このような状態のもう一つの説明は、広報不足にもよります。現在に至るまで、これはほとんど全面的に教会の司牧活動の枠内に留まっていました。それでも、これらの自然な方法はわたしたちが世界に提案できるひと味違った文化的提案です。人間の住む環境とか人間の福利を願う人たちが増えていますが、こういう人たちの心にこれら自然の方法は訴えるはずです。

発布後30年を迎えた回勅『フマネ・ヴィテ』にある新しい教育的提案としての価値はひときわ目立っています。それは人間を徹底的に大事にします。そこで、夫婦愛は全面的、忠実な、実りある、自分を与え尽くす愛として理解されています。回勅『フマネ・ヴィテ』は、セックスが人格の一つの次元として感じられ生きられる、人間愛の新しい視野をもたらしました。

この観点から見ると、性行為は結婚のみに属し、結婚生活の中で男女は全てを与え合い、結婚は生命の聖域である家庭の基盤です。

ですから、回勅『フマネ・ヴィテ』からのメッセージは、避妊の禁止とか責任産児のための自然な方法の勧めだけに留まらず、若い男女にとっては婚姻の秘蹟に向けて注意深く準備することであり、結婚した人々にとっては創造主である神と自由にかつ責任をもって協力する尊厳と能力を啓発することです。

倫理神学と司牧行為を刷新する誘い

それ故に、回勅『フマネ・ヴィテ』は、人間の生殖の意義を深く説明し、結婚生活の新しい理想、生殖の責任を果たす新しい方法を示す「教会による預言」であり、結婚しているいないにかかわらず人々の自律と尊厳を守る助けであると考えられます。

それがわたしたちの反省の材料として提供するのは、男女の尊厳、人間の性、結婚における人間の生殖に関する超越的で不変の価値の貴重な理解です。

司牧活動が複雑であることも忘れてはなりません。それはよい牧者であり唯一の救い主である主の業です。それは主の代理者である司牧者に導かれて、主に耳を傾け、主に従う人たちにかかわります。それは神秘の中に生まれ、時間の中で実行に移される行為です。それは人間の幸せを目指す行為ですが、人間の協力を必要とします。それは初めから完全ですが、段階的に見えてくるものであり、時が経つにつれ、ますますその豊かさが明らかになります。それは邪魔にされることもありますが、終局的には勝利を収めます。これは教会の預言であり、今日と明日の人類に対する教会の奉仕である回勅『フマネ・ヴィテ』の運命です。

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