家族の価値と安全なセックス


ユーザーに起因するコンドームの失敗

12。コンドームの物理的完全性に関する上記の検討とは別に、コンドームの使用がしばしば不適切であることも忘れてはならない。例えば、コンドームを装着してからそれを誤った側に裏返すと、もし精子がすでに存在している場合、膣の中に直接持ち込むことになる。コンドームなしで性交渉を始めること、性交渉中に取り去ること、ペニスを抜去している間にコンドームを外すこと、ペニスが勃起している間に外さないこと、コンドームを再使用することなどは、しばしば見られるコンドームの正しくない使い方の例である。生体内ではコンドームの外れと破断はそれぞれコンドームの失敗の0.1〜16.6%、0.5%〜6.7%を占める、との研究がある(53)。

実生活での一般的なコンドームの用い方は完全とはほど遠く、むしろ非継続的に不正確な使用をされることが多い。継続的使用は相当の自制(と記憶)を、そして正しい使用は、米国疫病管理予防センター(CDC)が定めたガイドラインに従えば、かなりの注意深さで7手順の操作を必要とする。このことを考えれば、そうなることも尤もなことである(54)。予防センターのパンフレットの一つによると、医学研究所(テキサス州)は「正しいコンドーム使用のための基本的な手続き一覧に照らすと、性行為を行う若者のうちコンドームを正しく使用している者は半分もない」という(55)。詳細は述べないが、性行為は本能的かつ情熱的なものであるため、時には最小限の自制を失うことが多く、コンドームの使用前、使用中、使用後に上に述べたようなリスクを負うことになる。

医学研究所(テキサス州)は、非継続的コンドーム使用の結果をきわめて簡単に次のように説明している。「たいていはコンドームを使っているけど、というあなたは危険です。実際、CDCは「非継続的使用(その時100%に達しない)であれば、まったくコンドームを使わないよりは少しはましです。」と言っています。」(56)

コンドームと純潔によるHIV/AIDSの増減

13。コンドームがHIVやSTD感染を完全に防止できないことが、「安全なセックス」キャンペーンが慎重さを深めるのではなく、乱交とコンドームの使用を増やす方向に向かっているという事実によっていっそうひどくなっている(57)。事実、HIV/AIDS患者がコンドームの配給数の増加とともに増加していることを示す研究がある(58)。人間の行動は、AIDS感染の重要な要因となる。ある種の危険な性行動を捨て、婚前禁欲や夫婦間の貞潔のように均衡がとれた性を守る適切な教育なしには、世界的流行病の破滅的な結果を永続させることになる。

婚前禁欲と夫婦間の貞潔の推進に成功すれば、HIV/AIDSの流行が画期的に減少するという考えを裏付ける報告がある。例えば、ウガンダは純潔教育を推進しており、HIV/AIDS発生率は他の諸国と比べてかなり低く抑えられている。「AIDSがアフリカを席巻したとき、ウガンダだけは流行を食い止めることができた。それは何百万というウガンダの国民が感染を防ぐため、婚姻外の禁欲や夫婦間の貞潔など伝統的な性道徳を守ってきたからである。しかし、国際AIDS社会はこの戦略の推進をためらっており、他の国々では代わりにコンドームを頼みにし続けている(59)。

これに関連して米国国際開発庁(USAID)はその事例研究『HIV流行の衰退、行動の変化、および国民の反応。ウガンダで何が起こったか?(Declining HIV Prevalence,Behavior Change, and the National Response. What Happened in Uganda?)』の中のウガンダ、ケニア、ザンビアにおけるHIV流行の傾向と人間行動のデータを示す表で、「ウガンダにおける発症率の低下は、コンドームの使用よりもセックスパートナーの減少による」としている(60)。同様に国連合同エイズ計画(UNAIDS)の『HIV/AIDS最新情報2003(AIDS epidemic update)』(2003年12月版)は次のように述べている。「HIV発症率はウガンダで減少し続け、2002年度カンパラでは8%に低下した。これは都市における二つの産婦人科医院で妊婦のHIV発症率が10年前には30%であったことを考えれば驚くべき成果である。ウガンダの国中で同じような成果が広がっており、かつての2桁発症率は今ではめったに見られなくなった。今日まで少なくとも国単位でこのような成果を達成したところは他にない。」(61)

タイとフィリピンでは、最初のHIV/AIDS発症例が1984年に報告されている。1987年までにタイは112件、フィリピンはもう少し多く135件あった。2003年現在で、100%コンドーム普及運動がかなりの大成功を収めたタイで75万件となったが、一方のフィリピンではわずか1、935件にとどまった(62)。フィリピンの人口は、タイの人口よりも30%も多いのに、である。国民一般にはコンドーム使用率が比較的低く、教会による頑強な抵抗があり(63)、政府指導者の多くがコンドームと乱交反対に動いたことはフィリピン国内ではよく知られている。

これらの報告書のいくつかコメントして、スペインのナバレ大学疫学公衆衛生Jokin de Irala教授は次のように述べている。「多くの国で行われていることはまったく無責任である。同性愛のように原因から結果へかかわりの深いグループの中の感染を止めるには、このような方法が十分ではないと分かっているとき、予防戦略として何にも増してコンドームを盲目的に信頼したことは誤りであり、結局高い代償を払うことになる。国民は当局にもっと多くの真剣さと創意を要求したくなる、そのときこのような問題は解決に至る。例えば、少なくともタバコ追放運動をまじめに取り上げたときに見せた勇気と同じ勇気を求めるべきである。このような複雑な問題がコンドームのような「パッチ」で解決できると、素朴に信ずるほど受身でいることはできない。」(64)

14。HIV感染一般に関して、WHOは2002年にアフリカのHIV感染の99%はコンドームを使用しない性交渉のために発生していると断言しているが、ある著者たちが最近明らかにしたこと、つまり新しいHIV/AIDS患者の大多数は性交渉によるものではなく、アフリカ大陸の衛生基盤が十分ではないことからむしろ注射針の再使用によるものと考えられることを、考慮すべきである(65)。この意味で、AIDS撲滅運動の現在の方向がひたすら、さかんにコンドーム配布に焦点を当てていることは明らかに不適切であり、問題である。

正しく完全な情報を得る権利

15。AIDSは治療法が今日なお発見されない深刻な脅威である。コンドーム使用者はこの病気が性交渉で感染するリスクとコンドームの本当の効果を正しく完全に知る倫理的法律的権利を保障されなくてはならない。AIDSがどこにでも拡散する伝染病であることを考えると、教会が目的とするところは単なる「リスクの緩和」(感染の本当のリスクが一般に説明されない場合、これは現実に「リスクの拡大」となる)ではなくて、「リスクの除去」である。「部分的防止」ではなく、「完全な防止」である。「相対的な防止」ではなく、「絶対的な防止」である。実際には「より安全なセックス」(コンドームを使用しないよりは安全だが、完全な防止にはほど遠い)を推進しているのに、「安全なセックス」を推進すると称するのはまったく誤解を招く。実際には「部分的に防止」、「85〜90%の防止」、「相対的な防止」であるのに、コンドームは「防止になる」(人々を完全に防止されると誤認させる)と言って「技術的に正しい」と主張することは、多くの人を死に導くことになる。コンドームが「リスクの緩和」を強調し、「リスクを除去しない」という事実を隠していることは混乱を招く。

実際にはコンドームが「HIVやある種のSTD予防にある程度の効果はあるが完全ではなく、HPV感染のリスクを緩和するという証拠はない」ことを意味するときに、「HIVやその他多くのSTD感染予防に効果ある」、あるいは「感染リスクの低減に役立つ」(おそらく国によってはコンドームの生産はすでに完璧だということだろう)と宣伝することは、女性の権利に対する尊重の念を欠いているばかりか、端的に反女性的であると同様に反男性的である。性教育プログラムで青少年に「行動の変革」を勧めることが「婚前交渉にはコンドームを使用し」、同時に婚前交渉を奨励するという意味であれば、青少年の生殖の健全性を損なうばかりでなく、情緒的、精神的な健全性、さらに霊的な健全性を損ない、彼らの未来とその一生を損なうことになる。

16。「安全なセックス」キャンペーンで作り出される偽りの安全は、正しい完全な情報を得る権利に対する妨害である。コンドームの有効性(実は無効性)について完全かつ明確な形で入手可能な情報の開示を求める、まじめな消費者や医療問題に関する権利主張者、特に女性の健康に関する正統的な権利主張者の訴えは、あれこれの理由でたびたび完全に無視される。このような訴えは、自らが使用する製品の実際の機能を知るという消費者の権利に基づくものであり、その機能が消費者の健康と生命と関係がある場合にはなおさらである。たばこの煙は喫煙者やその周りの人々の健康に危険であるという警告をたばこに表示しているのと同じように、コンドームもその包装や陳列する棚や器具に、HIV/AIDSやSTDの完全な感染防止を保障しないこと、安全でないことを示す警告ラベルを表示するように求めるべきである。

エルサルバドルのLuis Fernandez Cuervo博士はさらに一歩踏み込んで、「安全なセックス」を宣伝する者に対し、タバコ会社に対する訴訟と同じ法的行為に出る可能性を示唆している。「愛煙家がガンになれば、タバコ会社を法的に訴えて責任を問うことができる。米国では、愛煙家が何百万ドルという補償金を取り立てている。まるでタバコを吸うことがガンにつながると、この50年以上知らなかったかのようだ。性的に乱れた人がコンドームを使ってAIDSにかかった場合、コンドームを製造した工場やコンドームを「安全なセックス」として宣伝したグループを訴える権利はない。まったくおかしなことである。」(66)

17。HIV/AIDSやSTD拡大防止の大変な努力にもかかわらず、流行は広がっている。さまざまな研究や現場の経験に示されているデータを考慮すると、コンドーム・キャンペーンで紹介されている「安全なセックス」という考え方は、誤りであるか、そうでなくても疑わしく、精密な調査を受ける必要がある。それだけでなく、一定のリスクがあるのだから、人々を死に導くかもしれないこのようなリスクの存在について正しく完全な情報を提供するために貢献することは、公私ともに、国内および国際的な諸機関だけでなくマスメディアの重大な責任でもある。あるグループがすべての真実を明るみに出そうとするこのような努力を妨害していると考えている人々が、これまで正式に抗議してきたし、今後も続けていかなくてはならない(67)。

確かに医薬品でさえ、いつでも誰にでも100%の効果を期待できるというわけではなく、100%安全というわけでもない。しかし、そのようなリスクがあってもその使用は認められる。このような場合、医薬品が意図する効果ばかりでなく、予想されるリスク、副作用またはその他の合併症、さらに重要なことであるがそれらの代替品について情報を知ることが患者の権利でもある。HIV/AIDSやSTD予防のためには、「安全なセックス」キャンペーンはコンドームのリスクを全面的に開示し、コンドームの失敗により使用者が罹患する疾病についても記述すべきである。またこれも究めて大切なことであるが、それらの「代替的な」(というよりも実は「第一の」)これらの病気の性感染に100%効果を期待できる解決策を紹介すべきである。それには費用は要らず、人格と自由を強化しさえすれば良い、すなわち婚前禁欲と夫婦間の貞潔である。

教会はHIV/AIDSとSTDを実際に防ぎ、生活を向上する

18。少なくとも国際機関や国の機関が行なう、コンドームの失敗という動かせぬ事実を反映する説明は、さらに学術的な研究や実生活の経験も加わって、教会に対する非難に対して形成はまったく不利である。はっきり言うと、教会はこの流行病との戦いにコンドームの使用を奨励せず、あるいは容認せず何百万という人々を死に導いているというのだ。実際に、反対しなくてよいのだろうか?コンドームの失敗率(完全な使用とともに普通の使用で、加えて累積的リスク)を一般の人々に正しく告知しないままコンドームを奨励する人々は、多くの人々をこれまで死に導いたし、今も導いており、将来も導き続けるのだから。コンドームの失敗をみちびく多くの要因があるという事実は明らかで、「安全なセックス」を奨励する運動が生み出す間違った安全の犠牲になっている多くの人々がいるではないか。

「安全なセックス」という誤った考えの犠牲者は、カトリック教会が推進している数多くのHIV/AIDS救済センターで、彼らがその前に本当のリスクを知っていただけで、また適切な情報を与えられていただけで、無差別な性行動を行なわなかっただろうし、婚姻以外の性的関係を結ばなかっただろうし、家族には極めて誠実であっただろう、と私たちに語っている。カトリック教会はAIDS患者と非常に親密な関係にあり、慈愛をもって彼らを迎え入れ、彼らの人間としての尊厳を守り、よきサマリア人が示す慈悲の念をもって彼らが経験する人生のドラマを認知している。前ニューヨーク大司教、ジョン・オコーナー枢機卿と中絶反対運動のリーダーたちはAIDS患者の診療所に週1回見舞いに訪れていた。カトリック教会はHIV/AIDSとの戦いには確かに豊富な経験があると言うことができ、全世界での治療サービスの25%を提供し、聖職者や一般信者双方の献身的な医療者とボランティアが、患者個人だけでなくその家族にもあらゆる面でケアを提供し、性の正しい使用を通して患者とその家族の尊厳を敬い、配偶者に対する一生の貞潔を奨励している(68)。

19。上述のリスクにすでにさらされている人々にとって責任ある行動とは、真に危険が存在することを考え、自らがすでに感染しているかどうかを知ることである。人はそれぞれ自らの健康と他人の健康に注意を払う責任がある。そうするためには、一人一人の人間をできるだけ社会的に援助しなくてはならない。道徳的な配慮と疫学的配慮から、潜在的な汚染の危険に繰り返しさらされてきた人々を実際にHIVまたはその他のSTDを起こす微生物に感染していないかを判定するテストを受けるように勧める(69)。それを行なわないとは、自らの、また他人の健康と生命を維持するために必要な注意を払わないことである。また、検査を受けないことは衰弱して死にいたる疾病に知らず知らずに力を貸して、自分自身の家族と広く社会へ拡散することになるだろう。これらの人々に必要な自発的なカンセリングと検査を提供している国際的または現地の施設へ行ってみるように彼らを励まし、支援しなくてはならない。

教会はいつでも支援できる態勢にある。われわれの使命に協力する他宗教の信者を含めて、何百万という人々の寛大な行為によって、カトリック教会はHIV/AIDS患者ケアの25%を提供し、多くの病院、診療所、その他医療施設を世界中で運営している。教会は、明瞭な用語を用いた完全な情報を含め、信頼できる性と生殖に関する健康および女性の健康の推進、さらに信頼できる人間の性に基づいた真に安全な性行為を推進している。

真に責任ある性行動再発見の必要性

20。この論文は、HIV/AIDSおよびSTDの性交渉による感染(70)に的を絞って、少数ではあるがまじめな調査のみを限定的に紹介した。コンドームがこれらの疾病を完全に防ぐことはできないことを説明した研究は他にもたくさんあり、それらの多くはインターネットですぐに見つけることができる。コンドームの適切な使用とさまざまな原因に基づくコンドームの失敗を、厳格に区別しなくてはならない。後者については、他の後悔する結果をもたらす事故と同じで使用者は安全ではありえない。このような考察を行なう最も大きな主旨は、コンドームの使用を考える以前に、無秩序な性行動、もっと悪ければ乱交がもたらすさまざまな結果を避けるように呼びかけることである。専門家による調査が扱うさまざまな局面だけにとらわれるよりも、正しい道徳の教えに従って正しい人の道に背かないことを念頭に置くべきであろう。これこそ感染病の拡散に対する完全な防止策となる。HIV/AIDSやSTDの脅威があろうがなかろうが、教会は常に純潔、婚前禁欲、夫婦間の貞潔の教育を求めてきた。これこそ人間の性の営みの正統的な表現である(71)。

さらに、HIV/AIDSやSTDの感染に100%の効果を保障する品質の高いコンドームを開発せよと教会が提案しているのではない(72)。教会の提案とは、人間性と家族の本質に従い人の性生活を営むことである。WHOが禁欲と夫婦間の貞潔はHIVやその他STDの感染リスクを完全を排除することができる戦略であると認めていること述べておかねばならない。これに対して、コンドームはその感染リスクを緩和するだけなのである(73)。

21。HIVを発見したといわれるルカ・モンタニエの勧告を、次にまとめて転記しておくことも重要である。「医学的手段は十分ではない。特に、若者に相手を特定しない性行為のリスクを教育することが必要である。」(74)CDCも同様に次のように述べている。「真に効果ある唯一の予防法は禁欲と、感染していないパートナーと互いに貞潔を重んじる性関係によって成り立つ、」(75)その理由は、イタリアでも最も権威ある感染病専門家の一人、マウロ・モローニ教授も次のように述べている通りである。「AIDSが行動により広がる典型的な感染病である。そのような行動を止めれば、AIDSは特別な予防具を用いるまでもなく、止まってしまう。」(76)

リノ・チッコーネ教授はさらに次のように述べている。「従って、正しく効果的な予防は何よりもまず、何であれ性的あいまいさを促すものに終止符を打つことができる責任ある決断であり、自由と文明の勝利として提示されるものだ。これは若者が麻薬の奴隷とならず、麻薬から解放されることを支援する行為と同じである。さらに言葉を変えれば、正しい防止はまじめな教育努力によってのみ行なわれる。一切の中途半端なあいまいさを排除した教育は、性の多様な価値と人生の多様な価値を発見あるいは再発見させるものである。

「このような方法を排除している他のいかなる選択肢も、ひどい場合は、ひそかに乱交や麻薬へと押しやるものは決して予防ではない。それを奨励することは悲劇的な詐欺である。このごまかしの代表例は、コンドームの使用が普及した場合のみAIDSを克服できるというキャンペーンである。この方法では感染の第一原因である性の乱れを奨励することになる。」(77)

チッコーネの観察は、私が掘り下げようとした深刻な問題と完全に一致する。「さらに、コンドームを使用すれば感染を防ぐと保障することは、まさに罪にあたると言わなくてはならない。これは、「安全なセックス」のコンドームにかかわるスローガンと同時に出されたメッセージである。避妊具としてのコンドームは、すでにかなりの失敗率を記録している。しかし性感染症予防としての失敗率は明らかに、はるかに大きい。これはごく最近ある権威ある学者が確認したことだが、「総じて遮断法は[中略]性感染症を防止する(リスク緩和率約50%)。これは[中略]乳頭腫ウイルス、[中略]HIVのような多くは病原体に対するものである。」(78)

終わりに:婚姻と家族の絆を強める必要性

22。私はチリで行われたある会議で、人間の尊厳に反すること、性の真の意義を矮小化すること、性を手段化し商業化して使用することの有害性を説明した(79)。無秩序で人間の全人格にも神の意志にもそぐわないライフスタイルは、真の善であるはずがない。われわれは、そのような性の矮小化で傷ついた人々をどんなに大勢見てきたことか。一般に、どの文化でも責任のない性と家族のために婚姻で保護された性を区別してきた。

これは過大な要求であるという人々もいるだろう。しかし、主は「あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらない」(80)と確信しなければならない。性については責任ある態度を維持し、純潔をも守り、婚前には禁欲し、配偶者には貞潔を守ること、これらを公に誓う若者の運動が各所で出現している。混迷をきわめているように見える社会で多くの問題があるこのときこそ、このモデルを若者に紹介しないという理由があるだろうか。HIV/AIDS蔓延と戦うときには、乱れた性行動とも取り組まなくてはならない。

23。夫婦は取り消すことのできない排他的で相互の全身的な誠実な献身行為という一生にわたるプロジェクトを約束するものであるから、婚姻は尊いもの、人に幸福と充足をもたらすものとして提示しなくてはならない。「「二人が一つになって」男性と女性は最初から「支え合い」「一緒に」生活するばかりでなく、相互に「一方が他方のために」存在することを求められる。婚姻における相互献身は、新しい生命、新しい人間の誕生に道を開き、その子も両親と同じような人間となるのである。」(81)

道徳的神学者、リヴィオ・メリナ教授は、家族文化は、二つの明らかに脆弱だが重要な点、すなわち愛の誠実さと親子関係を強化することが家族にとって大切であることを改めてわれわれに想起させている。貞潔の危機について同教授は、それは次のように表わされると言う。「愛情の喜びあふれる行為を長期にわたって維持することができないこと。愛が「一つの歴史を持ち」、長期にわたって継続し、建設され、そして住まうことができる家庭となれることが次第に難しくなっている。」(82)今日支配的な愛のロマンティックな概念は、自然に発生する事象であり、自由を制御されず、慈しみと勤勉な働きを与える倫理的責任を逸脱し、(婚姻という)制度に異議を申し立てるものとして愛を考えている。」(83)

教皇ヨハネ・パウロ二世は次のように述べている。「危機にある家族へ教会からの提案は、信者がとりあえずの義務として、性ならびに、生命の尊さについて倫理神学で正式に教えている明確な教義を守ることである。危機の根源には、人類学と倫理学の間の断絶が見られる。その特徴は、人間の行為は神が創造した自然に固有の永久的かつ客観的な原理に基づいて評価するのではなく、個人の生活設計の最大の利益となるものについて単に主観的に考えて従うのだという道徳相対論である。そのため意味論的な評価も、殺人は「誘発的死亡」となり、嬰児殺しは「治療的中絶」となり、姦通は単なる「婚外冒険」となっている。道徳的事柄に絶対的な確実さを失い、神の掟は最新流行の多様な考え方の中の一つの選択肢に過ぎなくなる(84)。足りない物は鳥のように「安定した巣」を作ることだ、彼らが本当に成熟しているのならね、とチェスタトンは皮肉を込めて笑わせてくれる。

メリナ教授はさらに、家族の文化は「それが重過ぎて子どもに生命を与えないと見られ、その負担の引受けを拒絶する形で現れる」親の立場の危機を解決することにも役立つという(85)。このような危機は、われわれがしばしば「人口の冬」として描いた現象を引き起こしてしまう。貞潔の危機と親の立場の危機は道徳的主題の危機の次元であるが、個人の危機の次元である。同教授は、二つの道で道徳的主題を再構築することを進めている。それは「徳の道」と「人間関係の道」である(86)。

24。愛の真面目な責任について教育がないところ、特に女性の尊厳に十分に重きが置かれないところ、誠実な一夫一婦制が嘲笑されるところ、コンドームがパーティに来た青少年や学校の生徒に配給されるところ、不道徳なライフスタイルが広がりすべての性的経験が肯定的に評価されるところ、両親が子どもに十分な教育を与えられないところでは、それらの「不可能」が深刻で制限的な条件となるのは真実である。最終的な結果は、HIV/AIDSの広がりが恐れられるばかりでなく、もはや男性も女性もお互いに全幅の信頼を置くことができなくなる。適切な情報も必要な両親の指導もなければ、そのような子どもたちの将来は一体どうなるであろう。

しかし、教会がまたおそらくすべて善意の人々が神の摂理を頼り、この恐ろしい感染病を克服するため最大の努力を積み重ねて、家族を強化しなければならない(87)。家族と生命のために働くさまざまなグループ、運動、協会、機関、センターなどは、特別の役割を担っている。家族とは家庭の教会であり、社会の基本単位であり、徳の学校であり、子どもが最初の教師である両親から教育を受ける場所である。カトリック家族は聖なるものの模範となり、神との近しい経験を祈りの生活でまた秘跡で他人への偽りのない関心に向けなくてはならない。教皇は繰り返し説いておられる「家族よ、家族たれ。」と。家族がすべての家族のモデルである聖家族の例にならって真に家族とならんことを。


Endnotes:

英語の記事を見て下さい。

1, 2,