医師として僧侶として

Tanaka Masahiro (タナカ マサヒロ)
田中 雅博
坂東20番西明寺住職・普門院診療所内科医師
出典:普門院・ 西明寺 / 資料室
「 宗教と現代がわかる本2008」
許可を得て複製

スピリチュアル・ケア

私は寺で医療を行っている。それで全日本仏教会から推薦を受け、ローマ教皇庁医療国際会議に計4回招待された。 そこで仏教の立場を発表するとともに、他宗教の状況を知る機会を得た。この会議では、 毎回異なる重要な医療関連のテーマについて、 広い分野から30名くらいの専門家が講演を行う。実質的には医療に従事するカトリック宗教者の勉強会といえる。 ローマ教皇庁関連の医療機関は世界中に10万8千もある。会議は3日間で、 約80ヵ国から800人くらいが参加している。

イタリアの法律では病床100床ごとに1人、スピリチュアル・ケアワーカーの配置義務がある。 哲学や心理学出身の人もいるが、 ほとんどがキリスト教の神父だ。彼らは哲学を二年、神学を四年、さらに医療を二年、計八年勉強してスピリチュアル・ ケアワーカーの資格を得る。 スピリチュアル・ケアは自己存在の喪失(死ぬ)という苦痛(スピリチュアル・ペイン)の治療であり、 担当は宗教者が適している。 患者のみならず、医師や看護師のスピリチュアル・ペインにも対応し、 四対六で患者よりも医療従事者のケアの方が多いらしい。

1988年、衛星通信により行われた米ソ癌サミットで、ソビエト癌学会会長は「 癌の告知は治療上患者の協力が必要な場合だけ」と述べた。 アメリカ側は「癌の告知は当然」という意見だった。ソビエトは宗教を排除した国だった。「宗教はアヘン」 という言葉の影響だ。 マルクスは『ヘーゲル法哲学批判序論』で「合理的な解決が出来る貧困に対して、 賃金の代わりに宗教を与えるのはよくない」と書いた。 それは「痛み止めのアヘンだけを与えて病気の原因治療をしないのと同じだ」という。 しかし合理的な解決が出来ない場合はどうだろうか。 この場合についてマルクスは言及していないが、痛みの原因が治せない場合、アヘン類縁物質(オピオイド) は非常に有用な薬だ。 そして命がなくなるという苦しみはお金で解決できる問題ではない。

宗教と科学

ソクラテスは、間違っていたと認めれば死刑にならなかった。しかし間違いを認めず、死刑になることを選んだ。 もし自分の命より価値あるものがあったなら、それをその人の宗教と言ってよいだろう。 この意味でソクラテスの哲学は、彼にとって自分の命を超えた価値、宗教だった。 自分の命がなくなるという苦しみのケア(スピリチュアル・ケア)には、自己の命を超えた価値の存在は有用だろう。

コペルニクスは神父で医者だった。彼は古代ギリシャの天文学文献を読んで『天体の回転について』を書いた。 ジョルダーノ・ブルーノはコペルニクス説を支持して火焙りの刑に処せられた。 ガリレオはジョルダーノ・ブルーノ火刑の10年後に『星界の報告』を出版した。 彼は死刑を免れるため、ジョルダーノ・ブルーノやソクラテスと違って裁判で間違いを認めた。 「間違いを検証する科学」と「科学が価値を捨てた」ことを象徴する出来事だ。

科学は実験と観測で反証可能なことだけを扱う、いわば「世界規模の間違い探し」だ。 「間違っているかどうかを実験や観測で検証できること」に関しては、科学が最も信頼できる。 しかし反証可能性は科学の限界でもある。 間違いか否かではない次元の問題、例えば自分の命という価値の問題や倫理の問題などは非科学の領域だ。 そこでは良いものが残って選ばれ、古典となる。

ジェレミー・ベンサムが引用して有名になった「最大多数の最大幸福」、この原則が不適切な例として、 ジョン・スチュアート・ミルはソクラテスの裁判を挙げた。公正な裁判であったが、 最も尊敬すべき人を多数決で死刑にした。 そして「判断能力のある成人は、自分に関して、他人に危害を加えない限り、その選択が本人に不利であっても、 自己決定権を有する」とした。 「情報を知らされた上での自己決定権の尊重」、すなわちインフォームド・コンセント(説明と同意) はニュルンベルク綱領、 ヘルシンキ宣言を経て生命倫理の基本となった。リスボン宣言には「患者は、 患者自身が選んだ宗教の聖職者による支援を含めて、 宗教的及び倫理的慰安を受ける権利を有し、またこれを辞退する権利も有する」とあるが、 この権利は日本では無視されている。

仏教とスピリチュアル・ケア

仏教は、その誕生時からスピリチュアル・ケアであったとも言える。釈尊は老人と病人と死人を見て出家した。 そして六、七年の後、迷苦から覚醒して仏陀となり、四諦を説かれた。

四諦の苦・集・滅・道は、それぞれ病気・病因・治癒・治療に対応している。病気は四苦八苦であり、ここで苦は「 思い通りにならない」という意味だ。 四苦八苦は第八の苦である五取蘊苦に総括される。色、受、想、行、識という五取蘊は「我」 という執着の五つの要素の集合であり、 この五取蘊苦こそがスピリチュアル・ペインに対応している。病因の集諦は「欲愛・有愛・無有愛の如くの渇愛」 と説かれた。 「思い通りにしたい」という渇愛から「思い通りにならない」という苦は生ずる。生殖・生存・ 死への渇愛が苦の根本原因だ。 これら生殖・生存・死の三つは、現代生物学で生命の三要素とされている。人間の設計図である遺伝子に、生殖・生存・ 死への渇愛が書かれているのだろう。 遺伝子の支配(輪廻)から解脱して渇愛の制御(涅槃)ができたなら苦は消滅する。この涅槃が治癒、すなわち滅諦だ。 道諦という治療法は「八正道」だが、ここで「正」と漢訳された言葉は「完全に」という意味であり、 生き方の八つの次元で「完全に渇愛を制御して生きる道」だ。 生存と死の両方の渇愛の制御だから「不可能な延命に執着せず」かつ「自殺も望まない」という生き方になる。

「色は無常である、無常なるものは苦である、苦なるのもは我がものでない」というのも我執を離れる手段だ。 私の思い通りになるものこそが私のものといえる。この身体(色)が、私の思い通りに、若いままで、病気をせず、 死なないなら、私のものだろう。 しかし老病死は免れることができない(無常)。私の思い通りにならない(すなわち苦である)この身体(色) は私のものではない。 この身体でさえ私のものでないなら、「我」に所属するものなど何もないではないか(無我)。 我と他を分けるものが無いことから、他人を自分と差別しない平等という智慧が生ずる。 アダムスミス以来の「競争に参加するチャンスの公平性」という翻訳語の平等と「他人を自分と差別しない」という平等、 漢字で書かれた伝統的な意昧は後者だ。

「我」という執着が完全に無くなった状態は「筏の譬喩」で示される。苦の此岸から楽の彼岸に渡ったら筏を捨てる。 ここで「筏」は隠喩(メタファー)であり仏教を指し示している。まさにメタ(超えて)ファー(運ぶ)であり、 仏教は人々を楽の彼岸に運ぶ筏だ。 そして筏は捨てられる。仏教は仏教自身に執着しない。執着しないという教義にも執着しない。

このような智慧(般若)の完成(波羅蜜多)は到彼岸と詩的に漢訳され、『般若心経』の有名な「五蘊皆空」へと続く。 釈尊が四苦八苦を総じた五取蘊苦(スピリチュアル・ペイン)が空虚となる、すなわちスピリチュアル・ケアである。

仏教の伝播

西暦紀元前三世紀に世界で初めて本格的な薬草園を作ったアショー力王が、僧侶に生薬を持たせて派遣し仏教を広めた。 僧侶は薬で身体の苦痛を緩和し、仏教で自己存在の喪失(死ぬ)という苦(スピリチュアル・ペイン)を緩和した。

日本で最初の官立寺院である四天王寺には、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の四箇院があった。 敬田院は道場、施薬院は薬局、療病院は病院、悲田院は福祉施設だ。僧侶は看病禅師として活躍し、臨終行儀も発展した。 覚鑁上人の作とされる『一期大要秘密集』は「身命を惜しむべき用心」で始まる。 治療可能な間は自殺を望まず治療に専念する。 次は「身命を惜しまざる用心」で、治療不能なら延命に執着しない。生存と死の両方の渇愛制御は四諦に対応している。 そして死に方は生き方に依る。自己の生き方の理想としてきた本尊にヨーガしつつ臨終を迎える。

明治維新後の僧侶寺院引き籠もり

「治る胃癌と死に至る胃潰湯」という皮肉な題名の論文がある。 アメリカの医者と社会学者が日本の医療現場をよく調べて報告したものだ。 日本の文化の特徴として「曖昧さ」とか「秘密」を挙げて、 日本の病院では患者本人に本当のことを話さないと指摘している。 この文化的特徴が出来た背景には仏教があった。「秘密」の意味は、深遠で言葉による伝達が困難なことであり、 多くの日本文化が仏教に倣って師資相承となった。 ところが、明治維新の廃仏以来、仏教が社会から除かれて、スピリチュアルな部分を欠いた形式的な曖昧さや秘密が残った 。  

生命倫理の領域では解決困難な問題が多いが、自分の身体や命に関しては、 本人の自己決定を尊重することで解決できるだろう。 死期が迫った状態で出現する非合理の代表は「延命と苦痛緩和が両立不可能」という状況だ。そうなった時点では、 本人は意思表示が出来ないことも多い。 本人の希望と家族の希望は同じではない。自己決定について元気な間に菩提寺の僧侶に話し、 事前指示の記録やリビングウィルを寺に保存してもらうとよい。 必要に応じて菩提寺に連絡し、住職から医師に本人の選択を伝えてもらう。病院では将来の患者の死亡に備えて、 死別悲嘆のケア会議が開かれるが、 これにも葬儀を執行する菩提寺の僧侶に出席してもらうとよい。 菩提寺の僧侶は壇信徒が入院したらお見舞いに行くのがよい。 癌の告知などの厳しい時に付き添うなど、そこに僧侶がいるだけで苦が緩和される場面もある。 釈迦牟尼(沈黙)と呼ばれた釈尊に倣って苦の緩和に役立つことだけ発言し、他は沈黙する。 まず老病死という苦の現場に行くことこそが方便(原語は「近くに行く」という意味)だ。 そのような方便が蓄積されて、はじめて「脳死」などの問題に僧侶が意見を求められ、 医療倫理委員会の外部委員も頼まれるようになるだろう。

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