カレン裁判

Suzuki, Atsushi (スズキ・アツシ)
鈴木 厚(内科医師)
2010年3月21日掲載
「平成医新」Doctors Blog 医師が発信するブログサイト
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カレン裁判(昭和51年)

昭和51年4月1日、朝日新聞はカレンさんの尊厳死裁判について報じた。この新聞記事で尊厳死という言葉が用いられ、尊厳死という言葉が一般に普及するようになった。尊厳死とは死期が迫っているときに、無駄な延命治療を中止することである。

カレン事件とはアメリカで尊厳死をめぐって争われた裁判である。カレン・アン・クインラン嬢(21)は友人のパーティーで酒を飲んだあと精神安定剤を服用して昏睡状態におちいった。意識は消失したまま呼吸が停止し、人工呼吸器につながれ、チューブで流動食を送り込み、カレンの生命はかろうじて保たれていた。3ケ月後、両親は「機械の力で惨めに生かされるより、おごそかに死なせてやりたい」と主張したが、医師団が反対したため裁判になった。

両親はニュージャージー州高等裁判所に「美と尊厳をもって死ぬ権利を認めてほしい」と提訴した。しかし裁判所は「呼吸器を外すかどうかは主治医に任すべきである。また患者が自分の意志を決定できない場合には、患者は生きつづけることを望むとするのが社会通念であり、親を後見人にすることは出来ない」として尊厳死を認めなかった。

そのため両親は州最高裁判所に上告、最高裁判所は「人命尊重の大原則よりも、死を選ぶ個人の権利が優先されるべき、治療をつづけても回復の見込みがない場合には人工呼吸器を止めてよい」と逆転判決を下した。最高裁判所は父親を後見人に任命し、人工呼吸器を外すことに同意できる主治医を選択する権利を両親に与えたのである。

それまでのアメリカは尊厳死に対しカトリック教の考えから、「積極的安楽死は神の意思に反する」とする反発が強かった。しかしこのカレン裁判が尊厳死を認める初めての判例となった。それまで延命治療の中止は医師と家族との合意のもと密かに行われていた。しかしこの問題に法律が介入した場合、その法的根拠が無いためやっかいな問題となる可能性があった。しかしこのカレン判決によって法的問題がクリアーされた。

それまでの日本は安楽死や尊厳死を考える必要はなかった。自宅で死を迎える人の方が病院で亡くなる人よりも多かったからである。それが昭和50年ごろに逆転した。救命医療の進歩により、呼吸が出来なくても、意識が無くても、口から栄養を取れなくても、心臓を動かすことが可能になった。

死を前にして、心臓マッサージ、気管内挿管、徐細動、強心剤の注射、これらは「死の4点セット」と言われ常時おこなわれるようになった。患者を快復させるための救命処置が、死が確実な患者にも行われたことが問題となった。この救命医療の進歩が結果的に延命治療となり、いたずらに死期を延ばし、人間としての尊厳を奪うことになった。延命措置によって植物人間、脳死状態でも生命を保つことができるようになった。

最近でも臨終の際に「どうなされますか?」と医師が家族にきく場合がある。死は医療の敗北という考えから、すべての患者に積極的治療をおこなう医師もいるが、むしろ医師としては何も考えず「死の4点セット」をルーチンに行う方が精神的に楽であった。不治の病であっても生命に対する微かな期待から、「出来るだけのことをお願いします」と答える患者の家族が多い。無駄な治療かもしれないが、治療中止という言葉には、ある意味での殺人行為とする不安がその言葉に含まれていた。しかし家族の言葉が本人の尊厳を奪い苦痛を与えることが多いのである。

人間は単に生物学的に生きているのではなく、精神的あるいは人格的生存である。人間は単なる肉体的存在ではなく、尊厳をもった精神的存在である。この尊厳死、あるいは安楽死を肯定する考えが、救命医療の進歩とともに出てきた。たくさんのチューブに繋がれた「スパゲティー症候群」にどれだけの意味があるのか。延命治療が本人にとって本当に幸せなのかという疑問があった。

生命をどうするかは、医師が決めるのではなく、家族が決めるのでもなく、本来、患者本人が決めるべきものである。治療に対する自己決定権、生命に対する自己決定権は本人のものである。しかし日本では、生前にその意思を示している患者はまれである。この「人間としての尊厳をもった死」という新たな概念に対し、多くの人たちは同意するが、まだ国民的合意には至っていない。

昭和50年6月に日本安楽死協会が発足、昭和58年に日本尊厳死協会と名称をかえ、そして尊厳死を選択する場合は、自分の意思を証明する「事前指定書リビング・ウイル」を書き、延命治療の拒否を書き留めておくことを提唱した。誰でも死ぬ運命にあるのだから、死を前にして事前指定書を残しておくべきとしている。しかし事前指定書を持つ患者はきわめてまれである。

欧米キリスト教では死を単なる通過点ととらえる強さがあるが、日本人は生死を考えず自然なものとする弱さがあった。日本では死を語ることをタブー視する死生観があるせいである。日本でもカレン事件が報道されたが、安楽死、尊厳死といった言葉はなじみが薄く、また生命維持装置を外すことの是非が法廷に持ち込まれたことはない。

昭和55年、日本安楽死協会の理事が安楽死の意思表示の有効性を裁判所に訴えた。しかし裁判所は「裁判は法律上の争訟が存在する場合に限られ、安楽死の意思表示の有効性は争訟にあたらない」として門前払いにした。これが日米裁判所の大きな違いである。

平成13年4月、積極的安楽死を認める法律がオランダで成立した。オランダでは患者の明確な意思表示、医師と患者の十分な信頼関係、患者の耐えがたい苦痛、そして治る見込みがない場合に安楽死が認められるようになった。この法律は16歳以上の患者が対象になっているが、12歳以上でも親権者の同意があれば安楽死は認められる。世界で初めてオランダで安楽死が法的に認められたが、その背景には昭和46年に起きたポストマ事件があった。ポストマ事件とは脳出血の後遺症に苦しみ、何度も自殺を図った母親に対し、女医のトルース・ポストマが致死量のモルヒネを注射して死なせた事件である。ポストマは殺人罪で起訴されたが、執行猶予付きの懲役1週間という無罪に近い判決であった。このポストマ事件が肉体的苦痛を訴える患者を安楽死させる法律を作られるきっかけとなった。

医師が終末期の患者に致死物質を注射して安楽死させることがオランダでは認められるようになった。平成7年、オランダで安楽死による死亡者数は死亡した人の2.7%に達している。この2.7%の数値をどのように評価すればよいのだろうか。

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