心身障者安楽死事件(昭和42年)

Suzuki, Atsushi (スズキ・アツシ)
鈴木 厚(内科医師)
2010年3月14日掲載
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http://blog。m3。com/yonoseiginotame/20100314/18
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昭和42年8月2日、生まれてから27年間寝たきりの重症心身障者である息子を医師である父親が思いあまってエーテルをかがして絞殺する事件が起きた。東京都千代田区に住む開業医・森川宗男は結婚してすぐに子どもが生まれたが、息子の達夫さんは脳水腫症で手足を動かすことができず精神薄弱で寝たきりの状態であった。母親は下の世話から食事の世話まで27年間つきっきりの介護を行い、自分の時間のない生活を送っていた。

70歳近い父親は高齢で自分のうつ病の持病も悪化したため医院を廃業していた。先が短いと思っていた父親は後追い心中を決意し犯行におよんだのである。母親が買い物に行って留守になったとき、父親は息子に苦痛を与えないようにエーテルをかがせ、意識不明にした上で「許してくれ」と叫びながらタオルで絞殺したのである。父親は多量の睡眠薬を飲みガス自殺を試みたが、帰宅した妻に発見され一命を取り留めた。そして老夫婦は警察に自首した。

安楽死裁判が行われた。弁護側は絞殺された息子は不治の病であり、その収容先もなく、行く末を案じての安楽死であったこと。また父親はうつ病のため心神喪失の状態にあったと主張した。検察側は、わが子のために尽くしたことは認めるが、殺人という手段よりも改善策を国などに働きかけるべきだったとして、殺人罪では最も軽い懲役3年の求刑を求めた。母親は「私も子を殺して自殺しようと何度も思ったことがあった」と証言、主人を責めることは出来ないと泣きながら訴えた。

昭和43年12月4日、東京地裁で判決が下された。傍聴席には心身障害児を持つ親たちや法律を専攻する学生たちなど大勢の傍聴人で溢れていた。そして清水春三裁判長は「すべてが罪なきものと決めつけることはできないが、犯行時、父親は心労の余りうつ病による心神喪失状態にあった」として無罪の判決を下した。裁判長は弁護側の主張を認め、感情を持たぬ子どもを育てた森川医師の苦労を容認する発言をした。父親の行為は殺人ではあるが、この事件の動機には愛情と人情が含まれていた。この判決文の朗読の際、満席の傍聴席の各所からもらい泣きの声が流れた。

この事件は大きな問題を抱えていた。ひとつは「回復の見込みのない生きる屍となった息子を生かすことが、苦しみを与えるだけ」とする父親の殺害動機であった。息子は27年間、父親に笑いも喜びも与えてくれなかった。ここに父親の情、葛藤、苦悩があった。このことから裁判官は温情判決を下したのである。身障者を殺害してもよいという考えは、ナチスの優勢思想であり、殺害は決して許せるものではない。しかし父親が息子を殺害したのは、自分の息子を思考力にない者と捉えていたこと、自分が高齢となりこれ以上息子の介護ができないと思ったこと、さらに息子を生かし続けることが息子の生命を尊重することにならないと思ったからである。父親は「人の生命は神様でも奪うことはできないのだから、自分の行為は間違っていた。もし息子に少しでも感情があればやらなかった」と自分の罪をつぐなおうとした。裁判官は父親のうつ病を理由に無罪の判決を下したが、それは法律上の理屈を利用した判決にすぎない。裁判官はこれまで安楽死として無罪になった例がないことから、安楽死を是認することなく、父親の精神病という病気が息子を殺害したとして無罪にしたのである。実際には親として、あるいは人間として正常な判断で息子を殺したのである。しかし不治の病であり、両親の肉体的、精神的苦痛を黙認できず、倫理的妥当性を考慮してこのような判決を下したと思われる。この判決は誰でも納得できる十分な事情があった。検察側は控訴せず無罪が確定した。

昭和40年の統計によると、心身障害児は約2万人とされていた。それでいて心身障害児の収容施設は4380床だけであった。親が若くて元気なうちはまだよいとしても、親が死んだら誰が面倒をみるのだろうか。この国の福祉の遅れがこの事件をまねいたといえる。心身障害児が収容施設に入れる可能性はわずかにあったものの、成人の心身障害者を収容できる施設は皆無に等しかった。清水裁判官は「重症心身障害児を持つ親たちの苦労には頭が下がる。国の看護施設の強化を強く望む」という異例の発言を加えた。

医師の父親は無罪となったが、父親をここまで追い込んだ共犯者は国であるといえる。そして無策だった国の責任まで無罪にすることは出来ないというのが障害児を抱える親たちの考えであった。斎藤厚生大臣はこの温情判決を支持し、施設整備などの対策に尽くすことを約束した。そして二度とこのような悲惨な事件が起きないようにとのコメントを述べた。

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