コインロッカーベビー(昭和48年)

Suzuki, Atsushi (スズキ・アツシ)
鈴木 厚(内科医師)
2010年3月13日掲載
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アメリカで生まれたコインロッカーは、昭和39年の東海道新幹線の開通に合わせるかのように日本にも登場し、以後、大阪万博開催などの旅行ブームとともに全国の駅にコインロッカーは増えていった。それまでは手荷物預かり所で住所や氏名を書かなければいけなかったが、匿名性と便利性がうけ、昭和48年には全国のコインロッカーの数は18万個に増えていった。

コインロッカーの使用期間は4日間で、それを超えると鍵が開けられ、中身は2ヶ月のあいだ駅で保管されて開放される仕組みであった。この匿名性と密閉された空間が犯罪に用いられるようになった。

昭和45年2月3日、渋谷の百貨店のコインロッカーで新聞紙に包まれビニール袋に入れられた新生児の遺体が発見された。渋谷署はかつて売春容疑で検挙した女性の指紋が一致したことから、佐世保生まれの女性(21)を全国に指名手配した。これがコインロッカーに新生児が捨てられた最初の事件だった。以後、コインロッカーベビーは急増し、昭和48年にはコインロッカーに捨てられた新生児は43件に達した。そのためコインロッカーベービーという言葉が流行語になった。

赤ちゃん殺しや赤ちゃんの死体遺棄事件が当時は多発し、コインロッカーベービー以外にも発覚したものだけで年間約200件に達していた。生まれたばかりの赤ちゃんは人目をさけて川や林に捨てられ、また駅やデパートのトイレやゴミ箱に捨てられた。人目に付く場所に捨てた母親は誰かに育ててもらえることを期待していたと解釈できるが、いずれにしても許せない行為であった。

医師は妊娠がわかると「おめでとう」と母親に言うが、しかし妊娠を喜ぶ女性がいれば、妊娠を悲しむ女性もいた。出産を希望しない女性には様々な理由があった。当時の性教育は皆無に等しく、避妊に対する知識は乏しかった。マスコミは女性の性の解放を叫びながら、避妊に対する情報が少なく、そのため不幸な妊娠を背負ってしまう女性が多くいた。性道徳は荒れ、それでいて性行為の結果である妊娠という現実は隠されていた。マスコミは婚前交渉をあたかも時代の最先端のようにもてはやしながら、性交渉に伴う妊娠というリスクを隠しながら、未婚の母をふしだらな女性と決めつけていた。

昭和48年当時は、同棲時代、内縁時代、フリーセックス、ウーマンリブなどの言葉がもてはやされていた。性行為が愛の証のように雑誌は書き立て、性行為を推奨するかのように美的に映画は描いていた。このように国全体が経済の高度成長にうかれ、セックスを煽りながら、セックスの結果に対する社会全体の受け入れはあまりに無責任であった。

また妻子ある男性に離婚を条件に身体を許し、妊娠末期に約束を守らずに逃げてしまう男性が多かった。「相手が妊娠したことを知ったとたん、男性はその女性を嫌になる」という身勝手なパターンが多かった。女性は望まない妊娠をしたまま取り残され、大きくなる赤ちゃんを腹に宿しながら途方に暮れるばかりだった。困り果てた妊婦は、腹の中の子どもをどうすることもできなかった。

当時は日本が高度成長期に入ったばかりである。外国の恋愛ものが大量に輸入され、若者はその影響を受けていた。それでいて恋愛そのものを受け入れる社会ではなかった。日本の結婚はほとんどが家柄を重んじる見合い結婚であり、恋愛結婚という欧米の形態はまだなじみが薄かった。まして日本の女性はひとりで私生児を育てる経済力はなかった。また私生児、父なし子の存在を社会が受け入れる時代ではなかった。日本の社会も家族も私生児を恥とし、その存在さえも闇に葬ろうとしていた。現在でも一部の自立した有名人を除けば、日本の社会は私生児に対して日本独自の伝統的嫌悪感に包まれている。

戦前は「生めよ増やせよ」の国策により、性行為は子どもを産むための行為とされた。そして時代が進むにつれ、「性行為は性の享楽を求めること、男女の愛の表現方法」に変わっていった。しかし避妊に対する知識は乏しく、望まない妊娠という現実が日本中に溢れていた。自分だけは妊娠しないという自己中心的な思い込みによる失敗、そして高度成長時代の消費文化を象徴するかのように、不用品を捨てるような感覚で赤ちゃんが捨てられていった。

昭和47年の警視庁の統計によると、母親の赤ちゃん殺しの動機は、未婚者の8割が世間体を恥じ、既婚者の4割が貧困によるものであった。赤ちゃん殺しの背景にはこのような理由があった。わが子であれば自分の意のままに処分してしまう、このような自由の意味をはき違えた未熟な母親が多かったといえる。

この現象を母性本能の喪失と単純に決めつけることはできない。赤ちゃん殺しは、本来、出産させた男性の無責任が背景にあるからである。赤ちゃん殺しは母親だけが犠牲になって追い詰められるが、女性を妊娠させた男性は、妊娠を知らされると女性を突き放し、責任をとろうとしなかった。男性が女性と同じように性行為の結果に対して責任を持つならば、このような悲劇は生じないはずであった。男性の責任は追求されず、女性ばかりが責任を追及された。婚前性交渉については、男性に甘く、女性に厳しい社会であり、男性は妊娠から逃れられても、女性は決して逃れることはできなかった。赤ちゃんの生命は無視され、胎児、赤ちゃんにとっては受難の時代といえた。

また出産を希望しない女性が1番恐れていたのは、紙切れ一枚にすぎない戸籍の問題だった。未婚の女性の戸籍に子どもを産んだ事実が書かれてしまえば、その後に結婚などできるはずはなかった。戸籍を汚してしまった女性の人生は終わったに等しかった。当時の性道徳は荒れていたが、性道徳の荒れによる妊娠を世間が受け入れるような時代ではなかった。未婚の母親は世間から白眼視され、戸籍を汚すという言葉は、未婚の母親に対する社会の根強い偏見を意味していた。未婚の母親はふしだらな女と非難された。彼女らはそれを避けるために赤ちゃん殺してコインロッカーに入れたのである。コインロッカーの使用期間の短縮により、コインロッカーべービーは次第に減少していった。

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