幹細胞研究に関して焦点をぼかすこと

Smith, Wesley (スミス・ウェズリー)
National Review
July 12, 2001

公判弁護士の間では古くから次のような格言があります。それは、「もし事実を論じることができない場合は、法律を論じよ。もし事実も法律も論じることができない時は、煙にまいて焦点をぼかせ。」というものです。この諺は政治的な議論にも同様にあてはまります。

幹細胞論争においては、胚性幹細胞研究(ESCR)への連邦の資金援助の支持者によって吐き出された煙があまりにも濃くなってしまって、地球温暖化の活動家が警告を発しなければならないほどになっています。

現在まで、胚性幹細胞研究に対する連邦政府の資金援助を主唱する人びとがその議論を推進してきました。統計評価局(STATS)によって明らかにされた主流のマスコミによる見え見えの歪んだ報道(そのことについては前回説明しましたが)のことを考えれば、このことは驚くべきことではありません。しかし現在、連邦政府の資金援助に反対する人びとは、流れは実際自分たちの方に向かってくるかもしれないと期待をし始めています。実際、ブッシュ大統領がどうすべきかについて時間をかけて考えれば考えるほど、それだけ空気が澄んでくる(本質がはっきり見えてくる)のです。

以下は、連邦政府の資金援助に賛同する主な主張です。かつては説得力のある主張を支えるコンクリートの柱のように思われたものが、崩れ始めるかもしれない微細なまとまりのないものから作られていることがわかったのです。

体外受精で作られた胚だけが破壊の対象となるだろう

アメリカ人は非常に実際的です。したがって、連邦政府の資金援助に賛成する最も効果的な主張は、体外受精の実験の結果破壊される運命にある胚だけが、連邦政府の資金援助によって行なわれる研究に用いられるだろうという約束でした。この主張に対する反対派の反応は、これらの胚の破壊を要求している法律が全くないこと、最終的に不妊の夫婦によってそのうちのいくらかが養子として迎えられるかもしれないこと、そのような考え方そのものが制御できない危険な状態につながるということでした。たしかにその通りではありますが、体外受精で余った胚の使用をアルミニウム缶のリサイクルと同じようなものだと考えているように思われる一般大衆を説得することはできませんでした。

しかしこの一般大衆の自已満足を打ち砕くような話が急にニュースとなったのです。バージニア州ノーフォークのジョーンズ生殖医学研究所の科学者たちが、自分たちが卵子1個につき1500ドルから2000ドルを支払い、卵子の提供者の同意の上で、胚性幹細胞研究でそれらを破壊する目的で胚を作るためにそれら使用したことを自慢げにマスコミにもらしたのです。これらの科学者は、研究のために胚を作ることは、冷凍の体外受精の胚を用いることと同様に「倫理に反していない」と主張しています。さらに、彼らは長期間の冷凍後に解凍された胚よりも、作られて間もない胚の方が研究のためには「優れている」かもしれないとも言いました。もしそのことが本当なら、「余った」体外受精の胚を使用することにどのくらいの間満足していられるでしょうか。

このような事態の進展に対する胚性幹細胞研究賛成の科学者や生命倫理学者の反応は特に本音を語っています。力強くはっきりとジョーンズ研究所を非難するかわりに、彼らの主な不満は「最悪のタイミングだった。」というものでした。そしてそれは、暴露したことはブッシュ大統領に連邦政府の資金援助を拒否する理由を与えかねないまずいことであったという意味でした。報道されたところでは、胚性幹細胞研究側からは、研究において破壊する目的のためだけにヒト胚を作ることは非道徳的なことであるという抗議は全くなかったということです。

この突然の話で、体外受精の範囲が決して守られないことが今や明らかになりました。それどころか、連邦政府の資金援助を受けた胚性幹細胞研究は、現在体外受精の研究に使われている私的な資金を、ジョーンズ研究所が着手した種類の活動に資金を提供するために自由に使えるようにするだけのものになるでしょう。さらに、私たちはバイオテク産業が、万一研究が臨床的に実行可能なものになれば、クローニングは胚性幹細胞医学の必要な一面となるだろうということを根拠に、すべての人間のクローニングを禁止することになる決定的なウエルダン法案に対して反対のロビー活動を盛んに行なっていることを忘れてはいけません。したがって、体外受精で作られた胚に対する研究を制限することについてのすべてのこのような論議は、実際には昔ながらのおとり商法にすぎないのです。

胚は実際には研究において破壊されない

連邦政府の資金援助の提唱者の中で、胚を破壊するという考えに気が進まない人々は、科学的な定義を変えることによって自分たちの不安な心の内を落ち着かせています。したがって、ワシントンタイムズ紙のスザーン・フィールズは「これらの受精された卵子は一般的に胚と呼ばれいますが、実際には子宮壁に着床されるまではそうではないのです。もっと正確に言えば、それらは未分化胚芽細胞なのです。」と書きました。

フィールズは文章を書くのが上手かもしれませんが、彼女は明らかに人間の生物学のことを知らないのです。どのような名前で呼ばれても胚は依然として胚なのです。アメリカ医学協会の1989年版の「医学百科」にははっきりと「受精の瞬間から、8週目までの発達中の赤ん坊は胚と呼ばれる。」と書かれてあるのです。生命の最も初期の段階において、胚は受精卵として知られています。胚は子宮内に移植することができるような発達の段階に達すると未分化胚芽細胞と呼ばれるのです。この時点で胚は、胚膜に包まれた100個以上の細胞からなっているでしょう。これが幹細胞が採取されるときに破壊される胎児の段階なのです。

これらの同じ路線で、自称プロ・ライフ(中絶反対)のオーリン・ハッチ上院議員やコニー・マック前上院議員やその他の胚性幹細胞研究支持者は、生命は実際に母親の子宮内に着床するまで始まらないと主張し始め、そうすることで今までの中絶反対の主張との一貫性という細い糸にしがみつこうとしているのです。(ハッチ上院議員はかなり不作法なことに、「いのちは子宮の中で始まるのであって、冷蔵庫の中で始まるのではない。」と言ったのです。)

生命は母親の中で始まるのであってペトリ皿の中で始まるのではないという考えは、これらの中絶反対の政治家が確かに持って当然の形而上学的な信念体系を反映しているかもしれません。しかしそれは生物学ではありません。生物学的には、生命は精子が卵子と合体する瞬間に始まるのです。その時点で一個人の遺伝子の構成が決定されるのです。残りは単に時間と発達の問題にすぎないのです。

胚性幹細胞だけが医学の飛躍的進歩を完全に約束する

ここ数年の間、胚性幹細胞研究の支持者からの宣伝は、胚だけが、科学者が幹細胞研究によって開発したいと思っている全領域の治療の可能性を提供できると主張するものでした。幸いなことに、臍帯血や器官や脂肪等の胚に代わりうる幹細胞源を用いた驚くべき飛躍的進歩によって、場面が劇的に変わりました。実際、臍帯血の中に発見される幹細胞を使って、恐ろしい人間の病気がすでに治療されています。さらに、最近の科学雑誌には、骨髄の中に発見される幹細胞は胚性幹細胞と同じくらいフレキシブルである可能性があると書かれてありました。したがって、科学者は、胚性幹細胞研究の支持者が成し遂げたいと望んでいるほとんど全ての医学的恩恵を、代替細胞療法を用いて、医学の進歩が「収穫のために熟した作物にされる」人間のいのちを犠牲にして払われるというファウスト的取り引きを社会が受け入れる必要無く手に入れることができるかもしれません。

幹細胞問題は中絶反対派対中絶賛成派の論争の最も新しい局面である

マスコミは、幹細胞論争を、ただ単にわが国の中絶に関する決して終わることのない文化的闘いにおけるもう一つの前線として扱ってきました。しかし実際はそうではないのです。合法化された中絶の論点は、その前提を人が認めようと認めまいと、法律は女性に妊娠と意志に反して出産するために自分の身体を使うことを強制すべきではないということです。しかし、胚性幹細胞研究においては、女性は何も強制されていないのです。したがって中絶は全く無関係なのです。

幹細胞論争においては、わが国は巧みにかわしたり妥協したりできない決定的な問題に直面しています。実際それは究極的な問題です。それは、人間の生命は、ただ人間であるというだけで固有の価値があるのかということです。もしそうならば、連邦政府の資金援助による胚性幹細胞研究は間違っていることになります。なぜなら実際それは、価値ある臓器を手に入れるという実利的な目的のために生命を破壊することを人びとに承認させることになるからです。もしそうでないなら、つまり地上の他の生きものの価値と違った固有の価値を私たちが持たないなら、この大騒ぎはいったい何なのでしょうか。

たぶんこのような理由で、その問題はそのような激烈さで私たち全員の意識に影響を与えているのでしょう。最終的に、幹細胞論争の決着は、胚に関するものでは全くなく、人間の生命の意味と目的に関するものとなるでしょう。

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