コミュニケーションの大切さ(3)

Shimazaki, Hiroki (シマザキ・ヒロキ)
嶋崎浩樹
2001年5月
霊性センターニュース
出典 『LOGOS(みことば)』
許可を得て複製

そのままのあなたで

   

今まで二回にわたり、コミュニケーションツールと「聴く」と言うことについてお話ししてきました。最後に、コミュニケーションにおいてもっとも大切なことだと思うことをお話ししたいと思います。それは、表題にもある「そのままのあなたでいい」と言うことです。これは、そのままの「わたし」というのは、何ものにもかけがえのないものだと言うことです。「わたし」はわたしであって、あなたでも、彼でも彼女でもないのです。その「わたし」ということをコミュニケーションにおいては尊重し、生かし続けることが大切となります。

 人は、いろいろなこの世のしがらみとかに囚われて本来自分の持っている姿で生きられなくなっています。どこかで良い子になったり、強がって見せたりと、作り上げられた「自分」というものを生きています。でも徐々にそのことに対して心の重圧が深まり、ストレスがたまり、その結果、いろいろな悪いでかたをするようになります。ある時には、怒りの感情として、ある時にはヒステリックになったり、ある時には落ち込んだりします。でもそれも今の自分の状況を表しているのであって、他の人の感情ではありません。

 まず、その人に対して「そのままのあなたでいいんだよ」と言ってあげること、これが第一です。こう言われると、「わたしは、こんなところがいやだ」とか「嫌い」だとか言い返されるかもしれません。しかし、人間本来の持っているものに悪いものはありません。なぜなら、人間は、神様によって創造され、しかも神様の似姿として造られたからです。ということは、ある意味において私たちは、神様と同じだといえます。であるならば、私たちは尊いものであるはずです。神様がご自分に似せて造られた以上、不完全で悪いものが存在するはずはないのです。一人一人どんな人であっても、生きていることに意味があるのです。生きることによって、神様を証していくのです。

 一人一人が神様に似たものであり、尊いものであることを認識させることが、コミュニケーションの大切な点です。つまり、相手の人を生かすと言うことです。相手の人を生かすというのは、相手の人を良いところも悪いところも全部受け入れると言うことです。これが本当にできるようになると、相手の人は自分は受け入れられたと感じ、伸び伸びとしてきます。そしてわたしを信頼し、緊張なく話すようになります。 ここで一つの例をお話ししましょう。わたしのところに洗礼の勉強をしに来ている若い女の子がいます。この子は、はじめは自分の過去の心の傷に囚われ、「自分は価値のない者だ」とか「自分はブスでもてない」と言ったようなことを言っていました。そこで、まずはその人の過去のことを清算させながら、自分を好きになるように言いました。これは、彼女にとってはとても難しいことでした。何度も過去に人から言われたことを持ち出しては、「わたしはダメなんだ」というような言葉を繰り返していました。人に影響されているとわかったので、こちらからは何も言わずにただ自分で自分の本当の姿を見つめるように指導していきました。こちらから褒めること、良いところを言うのはとても簡単なことですが、でも彼女の場合、それでは自立しないことがわかっていました。いつも人を頼り、人の目を気にしていたからです。今後生きていく場合、最終的には人の目を気にしないで、自分というものをしっかりと持って、自分に対して自信を持つ必要があったわけです。また、たとえ孤独になったとしても「あなたには、神様がついているよ。神様だけは絶対に裏切らない。神様は、あなたを愛し、あなたのことを赦しているよ」と言うことを体で感じることができるように接してきました。そして二年がたった今、それまでとは見違えるような女性になったのです。ある時には、わたしに対して泣きわめいたり、恨み言を言ったりしました。それに対してわたしは、ある時はじっくりと聴き、ある時は宥め、ある時には叱りとその子のペースにあわせながら指導していったのです。とにかくその人が本来もっているものを引き出し、その人がその人らしく生きていくことができるように接していったわけです。

 この例は、特殊な例かもしれません。でも、その人がその人らしく生きるように接していくと言うことは、コミュニケーションにおいてとても大切なことだとはいえます。そしてそれを阻害するものは、エゴイズムです。自分だけが良ければとか人を自分の奴隷か道具のように扱うことです。これでは、殺人行為と何ら変わりません。愛に反する行為です。愛をもって、人とコミュニケーションを図り、その人その人の中におられる神様の姿を見いだすことによって、その人を尊び、またその人の中に働かれる神様のみ業を賛美すること、それがコミュニケーションにおいて大切なことではないでしょうか?生きていて価値のない人は誰もいません。みんな神様の前に尊いのです。最後に聖書の箇所を引用して終わります。

わたしの目にあなたは値高く、尊い。」(イザヤ 43.4)

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