生命倫理について(5)

Shimazaki, Hiroki (シマザキ・ヒロキ)
出典:『LOGOS(みことば)』 2007年9月掲載より
執筆: 2007年8月29日
許可を得て複製

前回に引き続きもう少し、堕胎について考えてみたいと思います。厚生労働省が平成13年に母体保護統計を発表しました。その中に人工妊娠中絶についての統計報告があります。それを見てみますと意外なことに気づかされます。

わたしたちが考える堕胎にいたる状況というのは、若い男女が出会い好きになり、いつしか互いに交わり、子どもができてしまうというものです。しかも、お互いは結婚するということはあまり考えておらず、子どもを育てることもできないがために堕胎をしてしまうというものです。ですから、10代から20代が堕胎をする人が多いのではないかと思ってしまいます。

ところが、統計データを見てみると、20歳未満が全体の13.6%、20歳前半が24.2%、20歳後半が21.3%、30歳前半が18.5%、30歳後半が15%、40歳以上が7.4%となっています。これを見てもわかりますが、必ずしも20代までが著しく多いとはいえません。30歳以上というと、既婚者がかなりいるものと推定されます。ということは、単に、「できちゃった」という若気の至りというような多少同情の余地もあるのかなという状況とは訳が違います。

たしかに若い人の堕胎を認めるわけにはいきませんが、それ以上に自己中心であると思うのは、夫婦間における堕胎です。たぶん彼らは、自分たちの生活を守るために子どもが必要ないと思ってのことでしょう。今までと同じ生活水準を保ちたいとか、もっと自由に遊びたいとかいう理由が根底にあるのかと思います。たしかに、子どもができてしまうと、経済的負担も増えますし、時間の制限も増えたりします。しかしそのようなことを乗り越えて子どもを育てていくことこそが、わたしたちが人間的に成長していくことにつながっていくのです。経済的なことについては、意外と何とかなるものです。また、時間を犠牲にすることも、子どもの成長を見ていくと、犠牲ではなく、子どもから教わることも多々あり、子育てが生き甲斐ともなったりすると思います。

キリスト教の愛は、三位一体の神における愛です。三位一体の愛とは、独りよがりの愛ではなく、お互いが助け合い、支えあっていく愛です。その愛の実現のためには、独身よりも、夫婦に、また子どもをもうけて育てていくことも一つの方法であると教会は教えています。一つの家庭を作り育てていく過程において、いろいろなことを発見したり、気づかされることもあれば、失敗や挫折、苦難を味わったりすることでしょう。そういった一つ一つの出来事を通してわたしたちは、完成された人間として成長していくのです。ここまで、いろいろな観点から生命倫理について考えてきました。どれもある一側面だけを切り取ると正当性のある事柄です。しかし、全体から見ると、本当に生命を大切にしているのかどうか疑問をもたざるを得ません。そして、生命を粗末にするということは、他の人や被造物に対しても同じようにぞんざいに扱っていくことにもつながっていきます。これでは、愛に反することになってしまいます。キリスト教的「愛」の観点から、生命の尊さを考えていって欲しいと思います。

この記事の上へ