生命倫理について(4)

Shimazaki, Hiroki (シマザキ・ヒロキ)
出典:『LOGOS(みことば)』 2007年8月掲載より
執筆: 2007年8月1日
許可を得て複製

今回は、堕胎について考えたいと思います。教会の考え方としては、堕胎は殺人と同じ重大なことであると言っています。では、具体的には、堕胎はどのような問題をはらんでいるのでしょうか?

まず一つには、女性のからだと精神の問題です。いろいろな方法があるのかと思いますが、少なくとも何らかの器具を用いて胎児を取り出す必要があります。ということは、からだにも何らかの負担が強いられることになります。何度も堕胎を繰り返していると、子どもをもうけたいと思うときに、妊娠できなくなったりする危険性も出てきます。これは女性にとって大きな障害の一つとなるでしょう。そして、たとえからだの面において何らかの支障や障がいがなかったとしても、精神的なダメージはかなり大きいものと思われます。

女性は、愛している男性と結ばれ妊娠します。女性は、愛する人の子どもを宿すことができた喜びを感じることでしょう。しかし、男性が子どもを出産し育てることを拒否したり、何らかの事情で子どもを育てることができないことがわかったとき、妊娠したことに大きな後悔の念をもつことになります。その後、話し合いを進めたりするうちに、堕胎することしかないと思い、堕胎することを決心することになり、堕胎することになります。

これですべてが終わり心の整理がつくのかと言えば、そうでもありません。愛する男性の子どもを宿しながら、殺してしまったことに大きな心の痛みを感じることになります。その後もいつまでもいつまでも、堕胎してしまったことに対して自責の念と良心の呵責をもってしまうのです。そのことがよくわかるのが、日本各地の寺院等にある、水子供養です。水子供養のところに行ってみますと、多くのおもちゃやお菓子など子どもが喜びそうなものが奉納されています。これは、自分が宿した子どもは、どのような状態であれ、自分のかわいい子どもであるという母性愛の最たるものではないでしょうか?

このような心の傷は、そう簡単に癒すことはできません。ある時には、人間不信や男性不信に陥ることもあるでしょうし、何らかの精神障害を患うようなこともあるかもしれません。それほど、心のダメージが大きいことなのです。このことからも、堕胎を簡単に選択することには大きな問題があることがわかります。女性だけで妊娠することはありえません。必ず、男性がそこには関わってきます。となると、女性に心の傷をつける責任の一端は、男性にもあるといえます。まるで、虫けらや動物などに対するような簡単な気持ちで堕胎を選択して欲しくありません。男性も女性も共にからだと精神の両面に大きなダメージがあるということを考えて欲しいものです。

そして、周りにいる人たちもお腹の中にいる子どもが無事にこの世の中に生まれ出てくるようにいろいろな面で支えて欲しいと思います。それが、キリスト教でいうところの「愛」となるのです。

この記事の上へ