生命倫理について(1)

Shimazaki, Hiroki (シマザキ・ヒロキ)
『LOGOS(みことば)』 2007年5月掲載より
執筆:2007年4月25日
許可を得て複製

「赤ちゃんポスト」や「代理母」などといったことが今世の中を騒がせています。そこで、今回より生命倫理について考えてみたいと思います。

まず「赤ちゃんポスト」ですが、この名称はあくまでもマスコミがつけた俗称であって、今回の熊本の慈恵病院での名称は、「こうのとりのゆりかご」という名称でよばれています。ポストというと、何か物のようなイメージがつきまとってしまうがために、その名称に対して多くの反論があり、事柄の本質が見えにくくなったりしていました。この慈恵病院ですが、これはカトリック系の病院です。ですので、理事長は、キリスト教的にどうすれば子どもの命を救えるのかをまず第一に考えました。残念ながら、赤ちゃんをはじめとする子どもたちを放置したり、殺したり、虐待したりするという事件がよく報道されています。このような状況を憂い、何とか命を救おうと思い、病院内に24時間赤ちゃんを預かる設備を設けようというものです。

このことに関して、子どもを捨てることを助長するのではないかという意見があります。たしかに、無責任な親が、子どもができたものの自分で育てようとはせず、安易に病院に預けることになるかもしれません。しかし、あくまでも子どもの側から考えて、子どもの命を救うのが良いのか、それとも多少子どもの命を犠牲にしてまでも、親が自分の子どもを育てるように促すのが良いのかを考えなければならないでしょう。キリスト教的立場から考えるならば、どんな命であってもその命を救うことが大切であるといえます。またある意見では、子どもが将来自分の生い立ちを知ったときにショックを受けるともいわれています。そのようなこともありえるかもしれません。もし、ショックを受けたのであれば、少しでも子どもの心の傷をいやし、心の隙間を埋めていく努力をするのが周りにいるおとなたちの責任ではないでしょうか?

この病院のやり方は、けっしてベストな選択ではなく、あくまでもベターな選択です。ですから、今後いろいろな問題が出てくるかと思います。その問題の一つ一つに対応して、人間一人の命が救われ、その人がその人らしく生きていくことができるように導いていくことができれば、より良い方向に進んでいくものと期待しています。

最後に、子どもたちを捨てたり、虐待する親についてですが、なぜ子どもを育てようとする気がないのに、子供を産もうとするのでしょうか?(やむにやまれない理由があるのであれば仕方ないかもしれませんが)子供をもうけるというのは、男性と女性が互いに合意し、行わなければなりません。その行為を行うにあたって、少なからずも子どもができる可能性があるということをまず心にとどめておかなければならないのではないでしょうか?そして何よりも、ただ相手の人のことが好きだとか、愛しているというだけでそのような行為をするのではなく、なぜ神が生殖機能を授けて下さったのかということを考えなければならないでしょう。神が生殖機能を授けて下さったのは、種の保存であると同時に、男性と女性が協力しながら子どもを育てながら、自分たちも完成された人間へと成長していくために授けて下さったものなのです。

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