中絶に関する考え方が変わった看護婦

Shafer, Brenda (シェイファー・ブレンダ)
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1996年3月21日のアメリカ合衆国下院、司法制度に関する憲法委員会の小委員会での、パーシャル・バース・アボーション禁止法案に関する公聴会での正看護婦であるブレンダ・プラット・シェイファーの証言(公聴会記録 1833号)(1996年4月1日に部分的に再び証言)

司法委員会の委員長および委員の皆さん、私は、ブレンダ・プラット・シェイファーです。私は委員会の要請により、現在、パーシャル・バース・アボーション法として知られているものの目撃者としての私の経験をあなた方にお話しするためにこの場に参りました。

私はオハイオ州で資格を取得した正看護婦で、14年間の経験を持っています。1993年に私は、オハイオ州デイトンにある看護婦の斡旋団体である「キンバリー・クオリティー・ケア」に雇用されました。そしてその年の9月、「キンバリー・クオリティー・ケア」によって私は、マーチン・ハスケル博士が経営する婦人科医院での仕事に就くように求められました。私は当時中絶大賛成の考えを持っていましたので、この仕事を快く引き受けました。私は10代の娘たちに、もし若くして妊娠したら、中絶を受けさせるよと言っていたほどでした。娘たちはこの件については、私と違った意見を持っていて、娘の一人はこの問題に関して親子の意見がどんなに違っているかを高校のクラスの文集に書いたほどでした。

当時私は中絶権に賛成の強い考えを持っていたので、この仕事は私にとっては何の問題もないだろうと考えていました。

しかし私は間違っていました。私は医者のそばに立って、彼がパーシャル・バース・アボーションを行なうのを見ました。そして私が見たものは、いつまでも私の心から離れないのです。

私は9月28日から30日の3日間ハスケル博士のクリニックで、看護婦助手として働きました。

最初の日に私は数例の第1期の中絶を手伝いましたが、私が関わるのはそれだけだろうと私は予想していました。(患者の一人は15歳の少女で、中絶は3回目だったということを覚えています。)

2日目に、私はハスケル博士がD&E(拡張と吸引)法と呼ばれる第2期の中絶手術をするのを見ました。彼は胎児の様子を調べるために超音波を使用しました。それから、彼は鉗子を使って、子宮内の胎児をばらばらにし、一つずつ取り出して容器の中に捨てました。

また最初の2日間に、私たちは20週目、つまり4ヶ月半を過ぎて、パーシャル・バース・アボーションを受ける準備をしている女性の子宮頸管を拡張するためにラミナリア秤を挿入しました。(ハスケル博土はこの方法をD&X、つまり拡張挽出法と呼びました。)このような女性が6人ないし7人いました。

3日目に、ハスケル博士はこの公聴会のテーマとなっている手術をいくつか行なうときに、観察をするように言いました。私は斡旋団体から派遣されてそのクリニックにいたのでしたが、ハスケル博士は私を常勤の看護婦として雇うことを考えていて、私はそのクリニックで行なわれている中絶手術の全領域に渡るオリエンテーションを受けていたのでした。

私はこのパーシャル・バース・アボーションの3例が行なわれている場にいました。私が皆さんに詳しく説明するのはその第1例目についてです。

妊婦は妊娠6ヶ月(26週半)でした。彼女は医者に胎児がダウン症だと言われ、中絶を決意したのでした。彼女は私がそのクリニックに勤めた最初の2日間に、ラミナリア秤の挿入と交換のためにクリニックに来ましたが、ずっと泣いていました。3日目、彼女はパーシャル・バース・アボーションを受けるためにクリニックにやってきました。

ハスケル博士は超音波診断装置を手術室に持ち込み、胎児が見えるように電源につなぎました。超音波スクリーン上で、私は心臓の鼓動を見ることができました。ハスケル博士がスクリーン上の胎児を見つめていたとき、胎児の鼓動はスクリーン上にはっきりと映し出されていました。

ハスケル博士は鉗子を挿入し、胎児の足をつかみ、足を産道の中に引きおろしました。それから彼は胎児の体と腕、つまり頭以外の全てを分娩させました。博士は胎児の頭は子宮の中にあるままにしておきました。

赤ん坊の小さな指は、握り締めたりゆるんだりし、足はバタバタしていました。それから博土は鋏を赤ん坊の後頭部に突き刺しました。すると落ちそうだと思うときに赤ん坊がするようなびっくりしたときの反応と同じように、赤ん坊の腕がたじろぐように痙攣しました。

博士は鋏を開き、開いたロヘ強力な吸引のチューブを差し込み、赤ん坊の脳を吸い出してしまいました。赤ん坊の体は完全に弛緩していました。

私は自分が目撃していることに全く心の準備ができていませんでした。私は、博土がこのようなことをするのを見守りながら、もう少しで吐くところでした。

委員長、私は新聞で、クリントン大統領がこの法案に拒否権を行使すると言っていることを読みました。もしクリントン大統領がそのとき私が立っていたところに立っていたなら、この法案に拒否権を行使することは決してないでしょう。

ハスケル博士は赤ん坊の頭を分娩させ、臍の緒を切り、胎盤を分娩させました。彼は、胎盤と彼が使用した器具と一緒に、赤ん坊を容器に投げ入れました。私は赤ん坊が容器の中で動くのが見えました。他の看護婦に尋ねると、彼女はそれは単なる「反射運動」だと言いました。

私は長い間看護婦をしてきて、たくさんの死や自動車事故で重傷を負った人や銃創などを目撃してきました。私はあらゆる種類の外科手術を見てきました。しかしその経歴のなかで、このようなものを目撃したことは一度もありませんでした。

その女性が、自分の赤ん坊を見たがったので、彼らは赤ん坊を洗浄し、毛布にくるんで彼女に手渡しました。彼女は泣き続け、「ごめんなさい。私を許してね。」と言い続けました。私は我慢することがでず、私も泣いていました。その男の赤ん坊は、今まで私が見たこともないような非の打ちどころのない天使のような顔をしていました。

私はその日、もう2例このような手術が行なわれている間その部屋にいましたが、私は本当にショックでした。自分が他のどこかにいるふりをし、起こっていることについて考えないように努めました。私は、そこから出ていくのが待ちきれませんでした。その日クリニックを去ったあと、私は二度と戻ることはありませんでした。ところで、あとの2例の中絶は母子共に健康なケースでした。

私は自分が見たものに大変な影響を受けました。長い間、あの日あのクリニックで私が見たものの悪夢を見ました。今でも時々そのようなことがあります。

委員長、私が目撃したことは嘘だという人々、そのような人々の言うことが正しければいいのですが…。私はそのようなものを見なければどんなにか良かったことでしょう。でも私はそれを見てしまいました。そしてそれを忘れることはできないでしょう。あの男の赤ん坊は、殺されたときには、完全に生まれる少し前で身長はわずか数インチでした。あの男の赤ん坊と他の赤ん坊に対して行なわれるのを私が目撃したことは、この国で許されるべきことではありません。ご清聴ありがとうございました。

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