産児制限する前に考えよう

Scott, James W. (スコット・ジェームス)
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なぜ私たちは「産児制限(バースコントロール)」について語るのだろうか。この表現は一九一四年にバース・コントロール運動のリーダーであり、家族計画連盟の創始者であるマーガレット・サンガーが婉曲語句として初めて用いたものである。本当の主題は避妊、つまり受精の阻止である。ここでは結婚、性、出産、そして避妊に適切な人間の責任感といった神学的議論に触れているだけの余裕がない。しかし、聖書の中には避妊に直接関係のある題材がいくつかあるので挙げてみよう。

オナンの罪とは?

まず最初の題材は「創世の書」 三十八:6〜10である。オナンは亡くなった兄の妻であるタマルと関係を持ち、兄に子どもを得させることに同意した。しかし、オナンは最後の瞬間になって彼女から離れ、身ごもらせることを防いだ。そして「彼のしたこと」が主を怒らせた。オナンの罪は一体何だったのだろう。彼が兄への義務を果たそうとしなかったことが罪になった、という者もいる。だがこの「義務」というのは単なる社会の慣習であって主の法則に触れるものではない。それはモーゼの律法のもとでさえ、このような慣習から逃れ、悪い評判だけを抱えて逃げることが許されているからである。(「第二法の書」二十五:5〜10)つまりオナンがタマルと何の関係も持ちたくないと言っていれば、主は彼に罰を与えなかっただろう。ところがオナンは彼女と関係を持ちたがった。しかし、彼女が妊娠するのを防ごうとしなければ、それは全く問題なかったのである。彼がタマルに関して犯した罪は、彼女の妊娠を阻止したこと、あるいは主の言う人間の性に刃向かったことに対してだったのである。

Pharmakeiaとは何か。

一世紀のギリシャ・ローマ世界において、肉欲、背教、及び廃退は最高のものとみなされていた(悪い神を崇拝する場合が多かった)。その結果、避妊(大抵の場合、一時的な不妊用の薬を飲んだ)、中絶(胎児を破壊するための薬の服用を含む)、そして幼児殺し(幼児を自然界や野獣に「さらけ出したり」、溺死させること)が広く受け入れられ、道徳的異議など唱えられることはほとんどなかった。

使徒パウロは当時の不道徳を非難していたが、不思議なことに沈黙を保っていた。または避妊や中絶、幼児殺しといった話題にだけは沈黙を保っていたようにみえたのかもしれない。この明らかな沈黙の理由には、これらの行為がもっと広範囲な部類に含まれていたことが挙げられるかもしれない。当然のことながら幼児殺しと中絶は彼の殺人全体に対する非難の根拠となっていた。同じように避妊も何か別の広い意味の部類に入っていたのだろうか。

これらを考えるに当たっては「ガラツィア人への手紙」五:20に述べられている Pharmakeiaに対するパウロの非難を読み直す必要がある。聖書学者の多くが、このギリシャ語の単語が「魔術」や「妖術」(英語の聖書にはこれらの単語が使われている。)を意味しているといい加減に定義してきた。ところがPharmakeia(英語で薬学を意味する"pharmacy"の語源である。)は、もともと一般的に悪い目的のために使用された薬や毒を指すものだった。これらの混合物には魔法の特性があると信じられていたので、その後「魔術」を意味するようになったのである。パウロの時代にはどちらの意味も使われていた。ここではどちらの言葉の方が適切だろうか。

「ガラツィア人への手紙」五:19〜21には「肉の働き」の長いリストが記載されている。これらは一般の人々においてはごく普通の個人的淫行である。しかし魔術は魔術師による仕業であっていわゆる個人の悪ではない。それにもかかわらず悪のために薬が使用されることがとにかく広まっていた。このようなリストには魔術を見つけるよりも、淫行、偶像崇拝、嫉妬、泥酔などを見つける方が最もらしいのである。このような見方はリストに載せられたPharmakeiaの占める位置によって確固たるものとされてきた。

性的罪と論争を含む罪の間に「偶像崇拝」とPharmakeiaが存在する。異教徒寺院が「神聖なる」売春を呼び物にしていたことを考えると、「偶像崇拝」は罪の第一グループに属すると考えるべきである。それPharmakeiaをもたらすのである。論争を含む罪と同じ部類の罪に属さないことは明らかだが、それでも無理なく第一グループに入れることが可能である。それでは特に性的な目的で薬物を使用することは一体どう考えるべきなのだろうか。それは妊娠を阻止し胎児を殺す薬物と同じ扱いになるはずである。

興味深いことに、三世紀初期の神学者ヒッポリュトスは現存のキリスト教信者によって初めて避妊に言及されたその著作の中で、「信奉者」と呼ばれた女性たちが「不妊のための薬物」を使用することを非難していた。

同じ用語が二世紀初期のエフェソスの内科医ソラノスの著書「婦人科学」の中で避妊と中絶両方に触れる形で使われていた。また一世紀の伝記作家プルタルコスは、女性が夫の嫡出子獲得を阻止するための様々な行為(こっそり子どもを置き換えたり姦通したり)とともにPharmakeiaについて(特に注意書きもなく)触れている。(「ロムルス」 二十二:3)よって、「ガラツィア人への手紙」五:20におけるPharmakeiaが、特に避妊と中絶における薬物の悪用に言及していると考えるのは妥当なことなのである。

同じように、「ヨハネの黙示録」九:21、二十一:8、二十二:15において避妊(及び中絶)に対して非難を見いだすことができる。九:20〜21においては、人々が自分の犯した偶像崇拝、殺害(中絶と幼児殺しを含む)、Pharmakeia、淫行そして盗みを悔いることがなかったとされている。私たちはあらためてここで一般的な悪行のリストにおいてPharmakeiaにまつわることは性的淫行が中心であることを悟らされるのである。そしてここでも避妊薬の使用が含まれるかどうかが議論されるのである。二十一:8と二十二:15においても同じ分析が可能である。(十八:23は、個人の淫行ではなく世界における「バビロン」の影響を描いているので魔術に関する参照である。「イザヤの書」四十七:9、四十七:12参照のこと。)

神の選民は何を教えてくれたか。

世俗文化の廃退が急速に進んで、バース・コントロール運動は伝統的なキリスト教の道徳から距離を置いた、一般的な文化的運動には不可欠となった。結果を省みない快楽を求めるため、避妊、中絶、同性愛などに対する道徳的異議がなくなりつつある。

神は教会を通じて何代もの間教え続けてこられた。神は何世代もの人々に自分の知恵を授けられて来たのである。だから私たちはずっと昔から続いているキリスト教の財産である知恵を尊重するべきである。つまりキリスト教の伝統がギリシャ正教会、カトリック教会、プロテスタント教会とともに何世紀にもわたって、つい最近まで避妊に対して一つの同じ見解を持ち続けたことは非常に重要なことなのである。避妊は非常に強い調子で非難され、時には犯罪行為とされたのであった。

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