避妊の反道徳性

Saunders, William (サンダース・ ウィリアム)
英語原文より翻訳: www.lifeissues.net

教会ではなぜ避妊を誤りだと説いているのか?

避妊の道徳性について話す前に、私たちの一人一人が神の像と姿にかたどって創造された肉体と精神を持つ貴重な人間であることを思い出して欲しい。

第2バチカンの現代世界における教会に関する司牧教令は、次のように主張している。「人間は、肉体と魂が統一された存在である。人間は、その肉体の存在が物質界を構成する要素となる。人間の存在を通じて世界は完全なものとなり、神を褒め称える声を自由に発することができる。したがって、人間は、その生命を軽視してはならない。人間には、神が創造し最後の日まで育んでくださるその肉体を尊重し、敬意を持って守護していく義務がある」(no.14)。聖パウロは、私たちの肉体は聖霊の住まいである(第1コリント6:19)と述べている。故に、私たちはその肉体を罪深い行動に加担させることで肉体の尊厳を貶めることがあってはならない。さらに、こうした罪深い行動は教会そのものを傷つけることにもなる。

したがって、私たちには、肉体が求める正しい食生活、適度な休息と運動、良好な衛生状態を確保する責任がある。意図的に肉体やその機能を傷つける行為を行ってはならない。例えば、私たちは肉体の健康を維持するために、市販薬あるいは処方薬という形で薬を飲むことがある。ただし、適法の薬剤であってもそれを乱用したり、有害作用が認められている薬剤を使用したりすることで肉体に害を与えないよう注意しなければならない。

外科手術が必要になる場合もある。肉体およびその人自身の健康を維持するために、病気に冒された臓器あるいはその機能に異常をきたし肉体に害を与えている臓器は取り除くか、交換されるべきである。例えば、破裂しそうな虫垂を摘出する手術は、「前がん状態の」ホクロを取り除く手術と同様に道徳的な行為である。ただし、健康な手を切り落とし、体の一部とその機能を失わせることは、その人を不具にする切断行為であり、道徳的にも誤りである。

こうした原理を念頭におき、避妊の問題についてお話したい。ここでは、直接的避妊と間接的避妊を区別する。

直接的避妊とは、健康な臓器の正常な機能を破壊することで将来的な子どもの誕生を妨げることを目的とした行為を指す。永久避妊法として最も効果的かつ危険が少ない方法は、男性では精管切除術、女性では卵管結紮である。このような直接的避妊は、不具の原因となる切断行為であり、道徳的に誤りと見なされる。違法な避妊行為について、教皇パウロVI世は、その回勅「フマネ・ヴィテ」(1968年)において次のように述べている。「同様に非難されるべきものとして...男性であるか女性であるか、あるいは永久的であるか一時的であるかに関わらず直接的避妊がある」(no.14)。またカトリックのカテキズムにも「医学的な治療を目的として行われる場合を除き、直接的に意図された無実の人に対する切断行為、不具にする行為、および避妊処置行為は道徳法に反する」と書かれている(no.2297)。

間接的避妊は、道徳的に許される行為である。この場合、健康な臓器の機能を失わせたり、子どもの誕生を妨げたりする意図で手術、薬剤の投与、あるいは放射線治療を行うのではない。むしろ、病気に冒された臓器を摘出あるいは病巣を破壊することが直接の目的であったにも関わらず、不幸なことにそうした手術や治療が「間接的に」その人を不妊にしてしまう場合がある。例えば、子宮ガンと診断された女性に子宮摘出手術を行うことは、法的にも道徳的にも全く問題がない。病気に冒された臓器を取り除き、その女性の肉体の健康を維持することがその手術の直接的な効果であるが、間接的な影響として、彼女は不妊となり、子どもを産むことができなくなる。女性の卵巣あるいは男性の精巣がガンに冒された場合、あるいはその機能の異常により体全体の健康に悪影響が及んでいる場合にも、これと同じことが起り得る。間接的不妊において道徳性が認められるのは、純粋な治療目的ならびに病気のために必要と判断されて処置が行われた場合である。

最後に、避妊における国家の権利について注意しなければならない。教皇ピウスXI世は、その回勅カスティ・コンヌビイ(1930年)において、次のように警告している。「優生学という目的を重要視する人々は、より健康で生命力のある子孫を残すための有益な助言を呈するだけでなく、優生学を他の本来より高い目的より重要視しようとしている。すなわち国家当局が、彼ら独自の規範や科学的憶測に基づいて、本来結婚する権利があるにも関わらず、遺伝により傷害や不具を持つ子孫が誕生する可能性があると考える人たちの結婚を禁止しようとしているのだ。当局は、こうした人々の意思に反してまで、法律によって医師の手術を強要することでその生殖能力を奪おうとさえしている。」

ピウスXI世の回勅が出された後間もなくしてナチス・ドイツによる「低価値者」の大量避妊を含む優性プログラムが世界の知るところとなり、教皇の教えが予言的なものであったことが明らかとなった。現代社会においても、福祉の問題を解決する手段として、漠然としたものながら避妊処置の考えを抱いている政府が尚も存在している。生命保険会社が、高度なケアを必要とする子どもを持つリスクを犯すより、避妊するよう個人に圧力をかける事態が起らないとも限らない。

ヨハネ・パウロII世は、その回勅「いのちの福音(Evangelium Vitae)」において、生命は「科学的・組織的に計画された脅威にさらされている」と警告している。パウロII世は、さらにこう続けている。「国際機関までもが避妊、不妊、中絶を広く可能にする運動を奨励・推進するという現実において、私たちは実在の『生命を脅かす陰謀』に直面している。さらに、マスコミまでもが、避妊、不妊、中絶、さらには安楽死にさえも依存する社会を人類の進歩と自由の勝利の象徴として是認し、プロ・ライフ派(中絶反対派)を社会の進歩と自由を妨げる敵として報道することで、この陰謀に加担していることは否定できない」(no.17)。

カトリックの教義では、この問題に関し、人格と行動の両面から個人の尊厳を敬うことを真に教えている。

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