道徳上の孤独


ロン・ロルハイザー
英語原文より翻訳: www.lifeissues.net

「神秘主義的な祈りの指針」という彼女の本の中で、ラス・ブロ−ズはテレ−ズ・リジックスについて興味深いコメントをしています。彼女の写真を見て、ブロ−ズは、集団の中にいてさえも、テレ−ズの顔には分離の素質、1人でいる素質があることを表わしていると指摘しているのです。彼女はとても社交的な人だけれども何かがいつも彼女を分離させています。何ものも全く消すことができないようなそれほどの孤独が彼女の中にあります。

ロバ−ト・コ−ルズはサイモン・ウエイルについて本質的に同じコメントをしています。彼女は道徳上の孤独をかかえていると彼は提案しているのです。

「何年か前、私は孤独に関する本を書き、本質的に4種類の孤独があることを提案しました。それは、疎外感、落ち着きのなさ、不安定、精神的な憂うつです。今日、本を書くなら、道徳上の孤独という別の種類を加えるでしょう。それは何でしょうか?」

孤独は私達の生活のまさに真ん中に横たわっています。孤独や落ち着きのなさや分離を感じることは、私達の生活の危機を経験しているということではありません。それは、心の中で燃える炎です。私達は安らかな存在ではなく、時折落ち着かなくなります。しかし、落ち着かない存在も、時折落ち着きを経験します。これは、私達存在のすべてのレベルにおいて真実です。それは、身体、心、魂、性的関心においてです。私達は永久に落ち着けず、何かに追われているようで、飢えて、何かを求め続けている生き物です。決して、他人と完全に結合しません。

この人生の中で、私達は決してこれらに完全に打ち勝つことはできません。いつも、私達はなんとなく一人で分離を感じます。時々、この落ち着きのなさはより不完全で、私達は私達が何を必要とし、何を欲しているのか言い表わすことができません。そして、時々これらのことが強迫観念のように人生の中心にのしあがって来て、逃れることが出来ないので、とてもつらいです。いつも、そこに孤独があるのです。

今日、社会やメディアの説明によると、これらの問題の原因は性的な飢えだと言われています。私達が本当にさみしくて、私達が本当に欲しい物は性行為だと力強い声は主張します。その他はごまかしと言うのです。孤独の最後の解決はロマンティックな性行為と言われています。私達にとって、恋人という表現はただ単に性的パ−トナ−を意味します。性行為は私達の孤独に対する最後の答えの万能薬として見られています。

たとえ全ての真実からは遠く遠く離れていても、この中には幾分真実があります。適切な状態にある性的な結合は、本当に一つの肉体を完成するよう神によって決定され、孤独に打ち勝ちます。男性にとって一人でいることはよくありません。性的結合以外では、私達は結局はいつも幾分根本的に一人で、単体で、孤独で、少数派です。しかしながら、経験が私達に教えるように、性的結合それ自身が分離に打ち勝つことを保証することはありません。なぜでしょうか?私達は性行為だけではふれあえないレベルで孤独なのです。私達の一番深い孤独は道徳です。

私達が最も孤独である場所は私達の魂の一部の道徳です。すなわち、私達が物事について最も強く感じる場所、そして、全て最も私達にとって大切なものがあり、大事にされ守られている場所なのです。そこは私達が高潔なものを攻撃された時、私達が神聖を汚されたと思う場所なのです。

愛していても、冒涜しても、誰もめったにその部分にふれません。なぜでしょうか?なぜなら、私達が最も大切にしている場所であると認めている部分に私達はとても慎重だからです。この部分は私達が最も傷つきやすい場所であり、そして、また私達が最も深く保護する部分です。このようにして、しばしば、この部分で私達は一人です。激しい孤独は道徳的孤独を結果として生じます。私達が性行為のパ−トナ−を求めるよりも深く、私達は道徳的な親近感を求めています。私達と一緒にいる人は私達にとって最も大切な深い部分において大事にされ、守られています。

私達の最も深い孤独は、真実において道徳的で、同性質の魂で、ソウルメイトです。すばらしい友情と、すばらしい結婚はいつも道徳的親和力がその本当の基礎にあります。これらの関係にある人は最も深い意味で恋人です。なぜなら彼らは性的な結合があるかどうかにかかわりなく最も大切な所でお互いがおさまっているからです。道徳的親和力の経験において、私達は家に帰ったような経験をします。時々、性的な魅力やロマンティックな感情によって特徴づけられたりしますが、時々そうでないこともあります。いつも同性質の精神があり、彼または彼女は私達が大切だと思っている大切なものを持っています。聖書より、アダムがイブを見た時に感じた感情を感じています。最後は、肉体は肉体へ、骨は骨へです。

私達のほとんどは、これを探すために生活を過ごしていて、多分サイモン・ウエイルとテレ−ズ・リジックスのように、よい結婚や健康な家族や親密な友達にもかかわらず、私達はそれを決して見つけることができないのです。何がなされるべきでしょうか?テレ−ズ・リジックスは、結局は、私達は全てこころを追放し、ある神秘論を通してのみこの分離に打ち勝つことができると提案しています。それはお互いが思いやり、楽しみ、平和、忍耐、善性、我慢強さ、忠実、誠実、やさしさ、貞節を持っておさまることによって成り立ちます。性行為の向こうにさえも道徳的孤独があります。それに打ち勝つためには、より崇高な愛を求め、聖霊の内に互いにとどまることです。

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