待降節:純潔空間の創造


ロン・ロルハイザー
英語原文より翻訳: www.lifeissues.net

初期の本で、アニ−・ディラ−ドはどのようにして待つことの重要性を経験したか紹介しています。彼女は蝶がゆっくりと繭から出てくるのを見ていた時でした。その非常にゆっくりとした変態の過程はとてもおもしろいものでした。しかし、その時彼女はせっかちになりました。彼女はろうそくを取り出して、繭を熱しました。わずかに少しですが速度が増しました。効果がありました。その蝶は少し早く姿を現しました。しかし、その過程が不自然に急がせられたために、生まれた蝶の羽は正確に形成されず、飛ぶこともできませんでした。

 その教えはディラ−ドにとって無駄ではありませんでした。彼女は直ちに何が悪かったのか、ある純潔が粗末に扱われたということが分かりました。彼女は出現を早めたのでした。

 私達は待降節をほめたたえる動機のうちのひとつは、救い主は処女から生まれなければならないという考えです。なぜでしょうか?性行為はどういうわけか汚いものですか?普通の方法で懐胎され生まれたことは、イエスキリストの品位にかかわることですか?時々これらの間違った理解が前面へ出てきます。しかしながら、待降節と処女性を結びつける本当の理由は全く違ったものです。第一に、人の姿をした神の息子イエスは人間の父親を持っていないことを強調します。第二に、待降節の霊的なることの鍵として、救い主は処女の子宮からだけ生まれ出てくるという考えがあります。なぜなら、何か「神性な」ものの誕生は、待つことにふさわしい時間と、ふさわしい純潔が第一に行われなければならないからです。しかし、なぜでしょうか?イエスキリストの誕生と純潔は何の関係があるのでしょうか?

 その答えは、純潔の正確な理解にあります。純潔とは何でしょうか?それはまず第一に性行為の何か具体的なことではありません。それは一般に、すべての現実をどうやって経験するかということです。純潔になるためには、十分にまた完全に、他人や、自然や、神に敬意を表して生きることです。純潔は正式に次のように定義されます。純潔はわれわれの必要や要望や協議事項に応じて生活しますが、待つことのない短気さは恩恵を恩恵として、他人を他人として、神を神として受け取りません。明らかに、これはふさわしい尊敬ときちんと待つということ次第です。

 私達はこれを正反対から見つめることで学ぶことができます。私達はどのような理由であれ、(尊敬不足、敬意不足、せっかち、わがまま、無感覚、未成熟、自制心のない要望、美的感覚の欠乏)他人や自然や神と関係を持つ時、私たちは完全になることはできずに独特なリズムや貴重さによって関係を持つため、純潔を欠いています。私たちにふさわしい忍耐と尊敬が足りない時に私たちはこのように振る舞います。

 もしこれが真実ならば、純潔の欠乏による相似形は無責任な性行為に見られます。性行為、それは魂に深い影響を与えるので、純潔あるいは純潔の欠乏について最も強調されているのです。性行為は単なる短いものではなく、あらゆるものの尊敬の中で行われるものです。しかし、様々な方法でしばしば短いものとなります。早産、不正な圧力、微妙なあるいは愚鈍な力、与えることなしに取ること、準備ができていないのに親密な態度をとること、先の責任に関して尊敬の欠乏、人格全体を含むことの不本意、家族と社会のより幅の広い関係の軽視、長期的な健康と幸福の尊敬の失敗、上品な美的感覚の無視、これらすべては性的関係の中で、ふさわしい尊敬の欠乏などです。本質は、アニ−・ディラ−ドの隠喩はその全てを語っています。私達がその過程に不自然な圧力をかけて、繭をろうそくにともす時、それは私達の純潔に欠点がある時です。

 そして明らかに全てにおいて、鍵の要素となるのは待つことです。純潔の90%はきちんと待つことです。それは次の理由によります。待降節の豊かな隠喩のうちの一つは、神性がふさわしい方法で誕生することができるために、処女の子宮を準備することです。待降節は私達に忍耐を要求します。その忍耐は、私たちが望むもののために待たなければいけない時、フラストレ−ションがたまる原因となります。

 ユダヤ教の終末論の文学の中に、これを私たちに教えようと試みる多数のすばらしいくり返し句があります。それらは、救い主が心に抱かれ、懐胎されたり、誕生されたりする以前にまず第一に、きちんと待つ時間が必要であるという考えを私たちに与えています。簡潔に言うと、これらの格言は神学と待降節の霊性を表しています。「人々はいつも急いでいます。神は決して急ぎません」「全ての涙は救い主をより近づけます」「苦しみ、痛みの十字架を通って、復活が来ます。」

 最近の偉大で崇高な作家の一人であるカ−ル・カレットは多くの年月を一人で過ごした、サハラ砂漠の隠修士でした。これらの長い、静かな年月の間、神が私たちに何を言っているのか聞こうと試みました。この荒野砂漠から書かれた彼の本のひとつに、彼は多分今日神が私たちに話そうとしている最も重要なことは、特に西洋文化においては次のようなことであると提案しています。忍耐強くなりなさい。待つことを学びなさい。――お互いに、愛、幸福、神すべてにおいて。偉大な出現の姿(メアリ−、洗礼者ヨハネ、イザヤ)のメッセ−ジは同じです。

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