クリスマス:ベツレヘムで、羊飼いたちと夜通しの番をして

Rolheiser, Ron (ロルハイザー・ロン)
翻訳 佐倉 泉
許可を得て複製
英語原文より翻訳: www.lifeissues.net

ルカ福音書はクリスマスの物語を語りながら、イエスが生まれたとき、羊飼いたちが夜通し番をしていたと伝えています。闇のなか、羊飼いたちは何の番をしていたのでしょうか? 羊の群れを脅かすかもしれない外敵が来ないように見張っていただけではありません。彼らは光を求めていました。取り巻く闇を明るく照らしてくれる光を。

「羊飼いたちが夜通し羊の群れの番をしていた!」

ヨハネ福音書は次のように語ります。ベツレヘムのうまやでのマリアとヨセフの様子は描きませんが、その代わり、あるイメージを用いて、クリスマスのイエスの到来を描き出します。闇のなかに輝く光というイメージです。ヨハネが、光が闇の中に差し込んだとは言わず、闇のなかで輝いていたと言っている点に注目してください。この違いは重要です。

クリスマス、キリストが私たちのこの世界に生まれたということはまさに、日常的なことのなかに、そして罪の闇のなかにさえ神を見いだすことなのです。暴力、戦争、強欲、あらゆる場所に広がっているように思われる無関心のなかに、です。クリスマスとは、暗闇のなかに光が見えることです。

そのため、クリスマスが私たちに求めることの一つは、クリスマス物語の羊飼いたちに倣い、番をし、「闇の中に輝く光」を見る希望をもつことです。そのためにどうしたらいいのでしょうか。

キリスト教の伝統ではさまざまな方法で表現しますが、それは「時のしるしを読みなさい」という言葉のうちにイエスが言おうとされたこと、「神の言葉は、神が私たちの生活に書き込まれる体験である」と述べた十字架の聖ヨハネが言おうとしたことです。神はふつうの生活のなかにおられ、ふつうの生活のなかに神を見いだすことが私たちの仕事です。

このことは、伝統的には「神の摂理」という概念のうちに表されてきました。つまり、私たちの人生を形作る偶然のように思われるさまざまな出来事のうちに、別の視点から歴史を記しておられる神の指を見ることができるという考えです。起こるすべてのことのうちに、何らかのかたちで神の輝きを見いだすことができるのです。

したがって私たちは、精神・霊の気象予報士でなければなりません。外的な歴史の出来事のうちにより深い神の働きを見るために、ものごとの内なる天気を読む予報士です。この世界を見るとき、羊飼いたちのようにまなざしを凝らすのです。その中にあるすべて、良いものも悪いものも見つめ、そこに光を見いだすのです。すなわち、神の現存、恵み、あわれみ、ゆるし、愛、無私の心、けがれない心です。

しかしそれは、たやすいことではありません。私たちの周りの闇は深いものです。私たちの生きている世界、そこで目にするものはしばしば、ただ苦々しさ、傷、ゆるせない心、怒り、欲望、むなしいプライド、情欲、不正義、罪です。その中のどこに光を見いだせるというのでしょうか? 毎晩6時からのニュースの中に光を見いだせますか?

クリスマスが私たちに教えてくれるのは、ただニュースが問題なのではなく、私たちがニュースをどのように見るかが問題であるということです。私たちの目に映ることは、その時々に私たちが感じ、考えていることに大いに左右されます。哲学者たちはこのことをこのような原理で言い表しました。「受け取られるものは、受け取る人の型にしたがって受け取られる」。健全な知恵です。仏教ではもっと簡潔にまとめています。人は外にあるものを見るのではない、内にあるものを見、それを外に投影する、という原理です。これを説明するため、表情豊かな小さな逸話があります。

ある日のこと、太った体重オーバーの仏陀が木の下に座っていました。そこへ一人の傲慢な若い兵士が通りかかり、仏陀を見て、言いました。「おまえはまるで豚のようだ!」仏陀は兵士を見上げると、言いました。「あなたはまるで神のようだ!」驚いた兵士は尋ねました。「なぜ私のことを神のようだと言うのか?」仏陀は答えました。「私たちは自分の外にあるものを見るのではなく、内にあるものを見、それを外に投影するのだ。私は一日中ここに座り、神のことを思っているので、外に目をやると、神を見るのだ。ところがあなたは、ほかのことを考えておられるようだ!」

思うに、ここで言われていることははっきりしています。私たちの視野は、物理的な視力でさえ、私たちの姿勢、思い、感情、傷、美徳に結びついています。それらがプリズムを形作り、それを通して私たちは見ているのです。したがって、夜通し番をする務めとは、クリスマスの美しさに目を注ぐということです。クリスマスの美しさとは何でしょうか?

クリスマスは、子どものような心、驚きの心、けがれなさ、喜び、愛、ゆるし、家庭、共同体、与えることについて語ります。こういったことに結ばれているとき、ふつうの日常生活の内にあるすばらしいものを、私たちはより容易に見ることができます。これらは、闇の中に光を輝かせてくれます。

時に私たちは、最初のクリスマスのときと同じように、生まれたばかりの子どもの顔に、最もはっきりと闇の中の光を見いだすことがあります。けがれなさが私たちの心を驚きのうちにとらえ、一時、私たちの皮肉やかたくなさは和らげられるのです。実は、それがクリスマスのおもな挑戦の一つなのです。

羊飼いたちのように、夜通し番をするように求められ、私たちは番をします。そのとき、当たり前のように受け取るよりも驚きの気持ち、皮肉よりも子どものような信頼、無関心よりもより多くの愛、苦々しい思いよりもゆるし、洗練よりも無邪気な喜び、自分自身よりも他者に関心を注ぐことに、私たちの心は満たされるのです。

クリスマスは心を和らげるためです。そして目は、よりよく見えるようになるのです。

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