秘密の誕生

Reardon, David (リアドン・デビッド)
許可を得て複製

ステファニー・クラークは、娘のズボンを探そうとしてクローゼットを開けた。毛布にくるまれた小さな新生児をそこに見つけた時の彼女の驚きを容易に想像できるだろう。「驚きのあまり悲鳴をあげました。」とのちに彼女は報道陣に語っている。「すぐに警察に電話をしました。『誰の子どもか』と聞かれて私は『まったくわかりません。』と答えるしかありませんでした。」

その新生児は、彼女の孫息子ネイヴォーンだった。17歳になる娘シャンタが、妊娠したことをずっと隠し通して、1997年9月21日に自宅で産んだ息子だった。彼女は学校に行く間、いつも息子を寝室のクローゼットに隠していたので、祖母が孫息子に最初に出会ったのは、生後17日のことであった。

親としての責任放棄の罪に問われてから、シャンタは若い母親のためのホームに移り住むという条件のもとでネイヴォーンの保護を認められた。16歳のボーイフレンドは、自分が父親であることを進んで名乗り出て、それまでは「くっついたり別れたり」を繰り返してきたシャンタとの関係をきちんとしたものにすると約束した。

「クローゼット・ベビー」ネイヴォーン・クラークの話題がマスコミを賑わせたが、これは長い間自分の妊娠を認めず、「ことすでに遅し」という状態になるまで現実を否定しようとする十代の若者の姿を浮き彫りにするものだった。

妊娠後期の中絶は、十代の「否定」のせいにされがちである。つまり、十代の若者には自分たちが直面している問題を直視することができず、その結果、初期段階での「より安全な」中絶を行うことができなくなるというものである。この「否定」問題があるからこそ、「めちゃめちゃになった」子どもたちのために、妊娠後期における中絶を認めるべきだと中絶賛成派は主張する、

個人的には私はこの考えに賛成したことはない。確かに、十代の母親たちが「どうか生理が遅れているだけでありますように。」と願って自分の妊娠を否定する傾向にあることもあるだろう。

しかし、何千もの証言からわかったことは、妊娠後期に中絶をした若者は、自分の妊娠に気づかなかったとか、その事実を受け入れることができなかったというものはだれ一人としていなかったということである。むしろ、自分の親に気づかれたとき、中絶するには「すでに遅し」となるように、自分の妊娠を故意に隠し通したというのがほとんどなのである。

残念なことに、彼女たちはアメリカにおいて、中絶するのに「時すでに遅し」ということがあり得ないことを知る。彼女たちの中絶は、強要されたり脅迫によって同意させられたものなのである。このように、十代の若者の妊娠後期における中絶は、若者による否定ではなく、親の虐待が原因なのである。

中絶賛成の親たち

数年前、私はラジオの電話相談コーナーにゲスト出演した。ある女性が電話をしてきて、中絶に危険が伴おうと、彼女は「選択の自由」を主張したいと語った。そこで私は「それならば、少女たちが望まない中絶を強要されることから守られる法律を私たちは作るべきではないでしょうか?」と聞いてみた。

するとその女性はまったくためらう様子もなく、「私は娘に、妊娠するようなことがあったらすぐに中絶すること、と言っています。娘をここまで育てて来たのです。娘の子どもまで面倒を見る気はありません。」と言って私の質問に答えたつもりだった。この女性は、自分の娘以外の人に対して選択の自由を唱えていたが、自分の娘には、一つの選択、つまり中絶、しかないのである。

悲しいことに、多くの十代の若者たちは同じように、自分が妊娠したら親がどのように振る舞うかをすでに承知している。一体彼女たちはどうしたらいいのだろうか?

中には、シャンタ・クラークのように、子どもが誕生するまで隠し続けようとする者もいるだろう。最近カリフォルニアで出会ったある家族には10歳か12歳くらいになる養子の娘がいた。娘の生みの親はその当時十代で、最後の最後まで自分の親に知られることなく子どもを産んだ。妊娠したことを隠し、自ら養子縁組みの手続きをし、引き取ってくれる親を選んで、そして病院で我が子を産んだのだった。(そしてその日には家に戻っていた。)いずれも両親にはまったく気づかれることなくやってのけたのだった。

当然いまも、生みの親と養子にとった親の間には、ある程度のコミュニケーションがあるわけだが、子どもを引き取った親たちは、生みの祖父母は現在に至っても自分たちの孫の誕生を知らずにいるはずだと語っている。

選択肢がなくなったとき

十代の女性みんながみんなこの少女のように機知に富んでいるわけではない。中にはただ単に自分の子どもを中絶することはできないとしか考えられない人も多いのが現状だ。他にはすでに一度中絶を経験していて、これ以上同じことを繰り返したくないと考える人もいるだろう。

だからこそ、彼女らはなんとか事態を切り抜けようと努力するのである。妊娠をひたすら隠して何とかうまく行くようにと願うだろう。うまくいくことも時にはある。ボーイフレンドが自分と子どもをサポートしてくれると約束してくれた後、あるいは自分の両親が今更中絶を強要することはないと確信がもてる時期になった後に妊娠を打ち明ける人もいるだろう。だが、うまくいかないことも多い。妊娠していることがわかってしまい、中絶を強要される場合があるだろう。しかし、少女たちは、どんなことをしてでも赤ん坊が人に中絶を強要されることから守りたくて、妊娠したことや手放したことを隠そうとするのである。

この分析をさらに進めてみよう。混乱し恐怖にかられた若い母親たちが生まれてきた我が子を捨て去る時間やチャンスがなかったとしよう。どうなるだろうか。赤ん坊が生まれたとたんに若い母親はパニックに陥り、泣きわめく子どもの横で、自分の秘密を守らなければという気持ちが母性本能を打ち負かし、タオルや枕、あるいは近くにあるごみ袋を使って鳴き声を押し殺そうとはしないだろうか。その結果、招かれる赤ん坊の死は、嫌悪やパニックによるものだろうか。

このような分析は、以前精神的苦痛を伴う中絶を行った母親にとってはさらに複雑である。このような場合、生まれてきた赤ん坊を故意に殺したり「捨て去る」ことは、以前の精神的苦痛を象徴的に「実演」していることにはならないだろうか?

支援の欠如

数十年前までは、ほとんどの親は自分の娘が貞淑でないと世間にばれることを恐れて娘の妊娠を心配した。学校で避妊薬が配られるようになり、それも生徒に求められた時に限らず、全校生徒に配られるような時代になった今日では、その心配は自分の娘に生まれてしまった「欲しくなかった」孫の面倒を見なければいけないという責任から逃れたいという気持ちに変わってきている。

中絶が手っ取り早く行えることは解決にはならない。むしろそれは問題である。中絶は彼女たちがなんとかして避けようとしていることなのだから!十代の若者が中絶をいとも簡単に選択できる状況は、同時に簡単に希望しない中絶を強要される可能性を持つことになる。この後者の恐怖こそが彼女たちを追い込こんでいるものなのである。

中絶、幼児殺人そして赤ん坊を捨て去ることはすべて恐怖と絶望が招く行為である。そして若くして父親、母親になることを認めようとせず、むしろ批判、虐待、強要を押しつけようとする社会の象徴でもある。唯一の解決策は、若い男女に無条件の愛情をそそぎ、生き方を認める支えの手を差し伸べることである。特に今日のような死に満ちた社会においては、しかし、それはとても難しいことである。

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