本当の平穏を探して

Reardon , David (リアドン・デビッド)

妊娠していることに気が付いたのは、1977年6月でした。まるで自分の人生が、音を立てて崩れていくような気がしました。私みたいな良い子が、妊娠するはずがない!その時私は高校2年を終え、優等生名簿に名前が載ったところだったのです。進学したい大学をいくつか調べ始めていました。私は自分の人生の大きな計画を立てていたのです。

私が妊娠していることを知ったら、みんな何と言うかしら?まず、私がどういうことをしていたか、みんなに分かってしまうでしょう。他の女の子達が妊娠したときに受けた恥辱とあざけりを私は見たことがあります。私は大勢の前で恥をかくことを思うと耐えられませんでした。

両親に話すと、両親が私の「恥ずかしさ」の問題を解決してくれました。両親の仕事場に、看護婦の友人がいたのです。その人が、私が中絶を受けられるように手配してくれました。

私には、中絶以外に選ぶ道はありませんでした。妊娠したことで既に一度両親をがっかりさせているのだから、ここで赤ちゃんを産みたいと言ってもう一度がっかりさせたくはない、と自分を納得させました。その時の私は感情的になっていて、論理的に考えるということが出来なくなっていたのです。私は両親にすべてを任せました。両親にすべて決めてもらえば、私はとても楽だったのです。お腹の中で育ちつつある赤ちゃんについては、何の考えも及びませんでした。自分のことだけを考え、周りの人が自分をどう見るかだけ考えていたのです。

私はボーイフレンドのことも頭にありませんでした。彼は私の妊娠を実は喜んでおり、赤ちゃんが欲しいと言っていました。私達は結婚するべきだと彼は思っていたのです。私が中絶したとき、彼はショックを受けました。私の両親に電話をかけ、両親を殺人者と非難しました。それ以来私は彼と会っても話してもいません。

中絶する日は、母が車でクリニックに連れていってくれました。最初に妊娠テストを受けました。陽性でした。次に、カウンセリングのために小さな部屋に連れていかれました。そこで、「チューブを使って子宮の壁についている『細胞のかたまり』を吸い込む」と教えられました。「それは5分しかかからないし、たいして痛くない」と言われ、とても簡単なことのように聞こえました。妊娠したかと思ったら、あっと言う間に元通りのように感じたのです。

そして検査室に連れて行かれました。中絶医師が入ってきて、他にも若い女性が、私の手を握るためにいました。とても陽気な人でした。彼女も以前中絶を経験しているので、同じ境遇の女の子達の手助けをしているつもりだったのでしょう。その時は、私も彼女が素敵に見えました。でも今は違います。

中絶手術が始まりました。これまでの人生で、あの数分間に味わった程の強烈な痛みを感じたことはありません。まるで自分の内臓全部が吸引機にはぎ取られているような感じでした。私はその苦しい体験の間ずっと泣いていました。

手術後、最初に味わったのは安堵感でした。私の問題は消え去り、もう誰にも知られることはないのです。母と私は家に帰りました。まるで何も起こらなかったかのように、この先の人生を歩んでいけばよかったのです。

それから3日間は、ベットに横になっていなければなりませんでした。色々と考える時間が十分ありました。その間何があったか、自分がどういう気持ちでいたかはあまり覚えていませんが、母に聞くと私はよく泣き、聖書を読んでいたといいます。神は私を正しい方向に導いて下さっていました。何故ならそれまでの私には、聖書を読む習慣はなかったからです。

自分が恐ろしいことをしたからといって神から顔を背けるのではなく、私には神が必要であり、神の息子イエス・キリストを通じて与えて下さる許しが必要なのだということを、神は教えてくれました。中絶手術の二日後、イエス様が私の罪を清めて下さると信じました。

私が中絶クリニックでしたことは何だったのか、正確にわかったのは、しばらくしてからでした。中絶が悪いことだとは分かっていましたが、中絶の事実を知るにつれて、私は自分が赤ちゃんを殺したのだと分かるようになりました。中絶とは、殺人です。吸い出された「細胞のかたまり」とは、6週間目の産まれる前の赤ちゃんなのです。私の赤ちゃんには手も、足も、脈打つ心臓もあったのです。吸引力はとても強く、吸引されるときに赤ちゃんはバラバラにされてしまいました。

自分が中絶した赤ちゃんのために悲しむのは、ごく普通のことなのだと知りました。この子の世話をする喜びを私が得ることは、もう決してありません。けれど、神は私を許して下さり、私の赤ちゃんが天国で神と一緒にいることで、私は本当の平穏を得ることが出来たのです。

中絶というのは、終わってしまえば忘れられるものではありません。決して忘れることの出来ないものです。約7年間、私は自分が中絶したことを隠そうとしてきました。神による全面的な癒しがあったからこそ、今、私は人々に自分の体験について話せるようになったのです。

私は自分のしたことが良かったとは思っていません。中絶することを選んだのは罪です。けれど、神が私の経験を使って、他の女の子達が同じ過ちを犯さないようにし、神の愛を示すことが出来ると信じているのです。

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