中絶する女性:「胎児に関する彼女たちの考え」

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忘れる人は誰もいない

ディーンズだけが特別な人なのではありません。「いのちが受精の瞬間に始まることを誰もが知っている」ので、何らかのレベルで中絶に関わった経験のある人は誰も罪悪感を、あるいは少しは罪悪感を感じているのです。このことは、父親、両親、兄弟、友人、カウンセラー、医者など関係者全てに当てはまるのです。しかしそのことは、特に母親に当てはまります、なぜなら母親の身体は汚されてしまったからです。彼女の身体は、彼女の子宮が本来守ることになっている子どもを実際に殺す場として他人に利用されたのです。

他の多くの人々と同じように、ディーンズは、中絶を正当化できても「一種の殺人」だと認めないわけにはいかないのです。それは、その犠牲者が「生きた人間」なのですから。自分の中絶についてよく考えてみることのできる女性にとって、それ以外の結論はありえないのです。

それでも、強い信念や強い対応能力や言葉の機敏さを持った女性は、この中絶されたいのちとある程度の距離を置くことができます。彼女たちは、それは成就される時がまだ来ていない「潜在的な」いのちにすぎなかったと考えます。彼女たちは、そのことについて考える言葉を受け入れやすいものに変えることで影響を和らげることができます。しかし大部分の女性にとっては、知恵や対応能力や言葉の機敏さがないので、この中絶されたいのちは率直に自分の「赤ん坊」、_もし事情が違っていたら、だっこしてかわいがったはずの人間なのです。

この後者の女性たちにとっては、彼女たちの中絶は「必要悪」だったのでした。彼女たちの多くは、罪悪感や、自己非難や自分も子どもも裏切ってしまったという感覚を即座に持ちます。他の女性たちは、否定したり、抑圧したり、未来に集中したりすることで、自分たちの感情を閉じこめようとします。しかし自分が中絶したのが「自分の赤ん坊」だとわかっている女性にとっては、過去は必ずその代償を要求します。嘆き悲しむ必要性が、執拗に追いかけてきて追いつくでしょう。そしてこの必要性は社会に思いやりを持って認められ、愛する人たちによって共有されなければなりません。

中絶の間に失われたいのちを人間だとみなさない考え方をあくまで捨てない「強い」女性の未来も確かなものではありません。もし彼女がこのような信念を中絶前に自分の人生に組み込んでいれば、自分が信じていたものと自分の行動が一致します。このような場合、中絶経験によって彼女が変わることもなく、影響を受けることもなかったことはその通りであるかもしれません。

しかし、もし女性の中絶前の信念と巧妙な中絶後の考え方との間に一致がなければ、彼女の心が安らぐ見込みはあまりありません。このような場合、彼女のより「成熟した」そして「熟練した」考え方は、中絶が人間のいのちを奪うものだということをかつて知っていたということを隠しても隠しきれない、うわべだけの合理化以上の何物でもなくなりそうです。この女性の現代性はうわべだけのものですから、この女性は、中絶よりずっと前に、この現代性が深くまで浸透し人格の一部となりきっている女性が持っている自信や防衛機能を欠いていることになります。この女性は、うわべだけの現代性しか持っていないので、はげしく興奮して中絶の自由を護っているその怒りのエネルギーのためにすぐに見分けがつきます。彼女は自分の信念体系に冷静な自信が持てず、他人の相反する信念を尊重することもできません。それどころか、彼女は自分の新しい倫理観に対する全ての挑戦を個人的な侮辱だとみなしますが、それはまさしくこれらの挑戦が、彼女のうわべだけの新しい倫理観を通り抜けて鳴り響き、今も彼女の心の所有権を主張する古い倫理観の眠りの邪魔をするからなのです。

このような女性は、このうわべの人間とその下の人間とが同じものとならなければ、本当のやすらぎを知ることはないでしょう。そしてこのやすらぎは、本物の人間が古い倫理観に従って、自由に嘆き悲しみ後悔することができなければ、みつけることはできないと思います。なぜなら中絶の時に彼女の良心にあったのはこの古い倫理観だったからなのです。彼女がまだ応答をしなければならないのは、この古い倫理観に対してなのです。そうするまで、彼女の「新しい倫理観」は、過去の行為を正当化するために採り入れられた全ての倫理観と同じように、合理化に汚染されたままなのです。彼女の新しい自我は、一致しない自我、つまり過去との和解ができていない自我の上に築かれているので、不安定なのです。このような女性は、精神的な時限爆弾です。彼女はうわべの下に未解決の圧力を内含しています。もしこのうわべが粉々になれば、発生する感情的な爆発が、彼女の人生にも愛する人々の人生にも修復不可能な被害をもたらすかもしれません。

旅が始まる

実際、クリニックの待合室を見回してみると、希望ではなく絶望に駆り立てられた人生が見えてきます。私には女性たちが、心の中で泣いてさよならを言っているのが見えるのです。そして私は、永遠に自分たちの過去となる今を見る勇気がないので、食いしばった歯と動かない目が、断固として未来に向けられている女性たちが見えます。

彼女たちの多くの顔を覗き込むと、いつ人間が「人」となるかに関する哲学的議論が、霧散して希薄なエレベーターミュージック以上の何物でもなくなってしまいます。これらの待合室にいる女性たちが、それに耳を傾けようと無視しようと、それは彼女たちの生き方に実際的な影響は何もないのです。なぜなら、言い訳や特別な言葉の文句の下にある、かつて「赤ちゃんはどこからやってくるの?」と尋ねた幼い少女のレベルで、ここにいる全ての女性たちは、いのちが受精の瞬間に始まることを知っているからなのです。それは人間のいのちなのです。それは家族のいのちなのです。それは彼女の一部であり、またもう一人の人の一部なのです。それは二人の子どもなのです。残された唯一の問題は、どのくらいうまく彼女がこの真実と共に生きていけるだろうかということ、_あるいはどのくらい長く彼女はこの真実から逃げおおせることができるだろうかということです。


References:

1  Mary K. Zimmerman, Passage Through Abortion (New York: Praeger Publishers, 1977), 69. David C. Reardon, Aborted Women, Silent No More (Chicago: Loyola University Press, 1987), 13. [Back]

2  "A New Ethic for Medicine and Society," California Medicine, Sept. 1970, 113(3):67-68. [Back]

3  Zimmerman, Passage Through Abortion, 194-195. [Back]

4  Magda Denes, In Necessity and Sorrow, (New York: Basic Books, 1976), 94. [Back]

5  Linda Bird Francke, The Ambivalence of Abortion (New York: Random House, 1978), 61. [Back]

6  New York Times, March 23, 1994 cited in "The Public Square," First Things, June/July 1994, p.79. [Back]

7  Francke, Ambivalence, 201. [Back]

8  Denes, In Necessity and Sorrow, 97-98. [Back]

9  Francke, Ambivalence, 63. [Back]

10  Jane Doe [pseud. Linda Bird Francke], "There Just Wasn't Room in Our Lives Now for Another Baby," New York Times, May 14, 1976, Op-Ed Section. [Back]

11  Zimmerman, Passages, 110-111. Reardon, Aborted Women, 12. [Back]

12  Reardon, Aborted Women, 14-15. [Back]

13  Daniel Callahan, "An Ethical Challenge to Pro-choice Advocates," Commonweal, Nov. 23, 1990, 681-687, 684. [Back]

14  Reardon, "Psychological Reactions Reported After Abortion" The Post-Abortion Review, Fall 1994, 2(3):4-8. [Back]

15  From an interview with columnist Colman McCarthy, "A Psychological View of Abortion," St. Paul Sunday Pioneer Press, March 7, 1971. Dr. Fogel, who continued to do abortions for the next two decades, reiterated the same view in a subsequent interview with McCarthy, "The Real Anguish of Abortions" The Washington Post, Feb. 5, 1989. [Back]

16  R. F. Badgley, et al., Report of the Committee on the Abortion Law, Supply and Services, Ottawa, Canada, 1977:313-319. [Back]

17  "New Study Confirms Link Between Abortion and Substance Abuse," The Post-Abortion Review, Fall 1993, 1(3):1-2. [Back]

18  Reardon, "Psychological Reactions Reported After Abortion" The Post-Abortion Review, Fall 1994, 2(3):4-8. [Back]

19  Ibid. [Back]

20  Denes, In Necessity, 101. [Back]

21  Ibid., 122. [Back]

22  Ibid., xvii. [Back]

23  Ibid., 6. [Back]

24  Ibid., xv-xvi. [Back]

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