中絶する女性:「胎児に関する彼女たちの考え」

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誰も無事なものはいない

中絶権の最も熱心な支持者でさえ、これらの問題に影響を受けないことはないのです。プロのジャーナリストであり、女権拡張論者であり、中絶権擁護の活動家であるリンダ・バード・フランクは、彼女が、自分と夫の好調な仕事の邪魔となる可能性のあった予定外の妊娠に直面して、「今はもう一人子どもを産む時期ではない。」という決断をしたいきさつを述べています。それは比較的やさしい決断でした。感情的なためらいなく、論理的で実際的な選択が行なわれました。

フランクと彼女の夫が実際に待合室で座っていて初めて、予期しない迷いが生じてきました。「突然、かっこいい言葉や、私が参加した中絶権賛成の行進や、『胎児の友』という団体に抗議するために、オールバニヘ送った電報や、私が身につけていた『人口増加率ゼロ』のボタンが剥がれ落ちて、私は自分のとても小さい赤ん坊と二人っきりになりました。」彼女は胎児がどんなに小さいか、したがってそれが人間であることがいかに不可能かということに、心を集中させようとしました。しかし彼女は以前に子どもを産んだ経験があり、自分自身の体の感触が彼女の身体の中で本当のいのちが育っていると語り続けていました。「母になる選択権を行使できる権利を求めて足にまめができるほど行進をよくしたけれども、私はその待合室で、自分が思っていたような現代的な女性でないということがわかりました。」と彼女は書いています。10

手術室に入る時までには、彼女は自分が前もって決めたコースからなんとか逃れたいと必死に願っていました。彼女は夫が雄々しくドアを押し破って入ってきて、それを止めさせてくれることを願いました。彼がそうできず、医者が手術のために彼女の性器を押し広げ始めたとき、彼女は自分で医者にやめてくれるように懇願しました。しかし医者はもう遅すぎると言って、手術を終わらせてしまいました。その時点で彼女は負けてしまいました。「私たち女性はなんとたくましいのでしょう。そしてなんと従順なのでしょう。肉体的な苦痛は、機械のブーンという音によって私の子宮の中身を吸引するのが完了し、カクテルパーティーの後のゴミのように私の赤ん坊が吸い出されたことがわかる前にすでに終わっていました。」

その後も、彼女の迷いは続きました。世界の美しさにをじっくりと考えられるくつろぎの時間に、彼女は中絶した子どもの「訪問」という一般的な反応を経験しました。彼女の優しい「小さな幽霊」が彼女を尋ねてきて手を振るのです。そして彼女は涙ながらに、もしあなたが戻ってこられたら、忙しい生活をしていてもあなたの居場所を作ってあげられるのにと、亡くなった赤ん坊に約束をして手を振り返すのでした。

中絶後5年が経って、フランクは自分自身の中絶についての複雑な感情を再調査してみたくなり、「中絶の迷い」という題の本を書きました。そしてその本の中で、彼女はおよそ70人の女性や夫婦や両親や男性の中絶経験に対する反応を文字にしました。彼女が発見したことは、その本の題が示しているように、全ての人が迷っていて、しばしば罪悪感や後悔の念にかられていることを率直に認めていることでした。彼女がインタビューした人々の70パーセント以上が、中絶に対して何らかの否定的な感情を表明しました。たいていの人々が、中絶には「赤ん坊」が関連していると理解していました。人間の胎児が人間であることを否定した人々は、ぶっきらぼうに否定しましたが、それは自分たちの自信のなさを暗示していました。フランクのように中絶の決定の心構えができていた人はまたほとんどいませんでした。そのフランクは、少なくともその問題に直面していて、中絶を正当化する主義に賛成していた中絶権擁護の活動家であったという利点がありました。しかし中絶論争に参加した経験のある人はほとんどいませんでした。ほとんどの人が、中絶に対する道徳的な危倶を抱いているにもかかわらず、他に選択の余地がないと思って中絶をしていたのでした。

フランクのインタビューは、他の研究者が発見したことと一致しています。これらの発見によって、たいていの女性にとって中絶はとどのつまり限られた選択肢であることがわかります。中絶を受けた女性の30パーセントから60パーセントが、最初は妊娠を全うし赤ん坊を産みたいと思っているのです。11 これらの女性の多くは、中絶の瞬間でさえまだ赤ん坊を産みたいと思っていますが、他の人々や事情によってそうせざるを得ないと感じるので中絶をしているのです。実際、中絶後の問題を経験する女性の中で、80パーセント以上が、もし状況が良かったなら、あるいは愛する人の支えがあったら、最後まで妊娠を全うしたでしょうと言っています。そして60パーセント以上が、他の人々や事情によって中絶を「強要された」と感じたこと、そして約40パーセントが、中絶クリニックでのカウンセリングに行ったときに、まだ中絶に代わる何らかの選択肢を見つけたいと思っていたと報告しています。12

このようなデータは、中絶を「選択する」というよりはむしろ、多くの女性、おそらくほとんどの女性が、中絶を「甘んじて受け」ていることを示しています。「選択」という聞こえのよい言葉が、望まない中絶、つまりもし彼女たちに母親としての力を与えるのに必要な愛情と支えが得られさえすれば、赤ん坊を産むことを望むであろう女性への中絶という国民的問題を実際あいまいにしているのかもしれません。

赤ん坊を望まない恋人や両親やその他の人々が、それが「みんなのために一番よいこと」だからといって、望まない中絶を受けるように、どのように圧力をかけたり、しつこくせまったり、脅したり、さらには暴力をふるって強要したかを述べている女性たちの証言をうまく否定することのできる人は誰もいません。ヘイスティングズセンターの所長である、中絶権擁護の倫理学者のダニエル・キャラハンでさえ、「それが自分たちの目的にかなうとき、男性が女性に望まない中絶を長い間強いてきたということは、よく知られていますが、めったに口にされることはありませんでした。アラン・グットマッカー研究所によって報告されたデータは、女性の約30パーセントは、女性自身ではなく誰かが望むから中絶を受けていることを示しています。」と書いています。13

みんなが変わる

このデータは、私自身の1千例以上ものケーススタディとともに、中絶の決定はしばしば、ためらいながらの決定、あるいは他の人々を喜ばすためだけにされる決定であることを示しています。多くの女性達にとって、それは絶望の行為以外の何物でもありません。全ての人にとって、それは人々の人生を元に戻せないほど変え、自分の性の営みや自己像のまさに核心部分に触れる、極めて感情に関わる問題なのです。それは人生を左右する出来事です。結婚すると妻となり、子どもが生まれると母になるのと全く同じように、中絶をしたあとは、今までとはどこか違った「別の人」になるのです。

全ての人生を左右する出来事と同様に、振り返って、「もしジムと結婚してなかったら私の人生はどう違つているでしょう。私に双子が生まれていなかったら、私の人生はどんなに違っているでしょう。」と思うのは人間の性質です。だから中絶をした女性は、かならず「もしあの赤ん坊を産んでいたら、私の人生はどうなっているでしょう。」という問いに直面します。

多くの女性にとって中絶は、他の全てのことがらが関わってくる人生のキーポイントとなるのです。彼女たちの心のなかでは、全てのことが、「中絶以前」に起こったこととして、あるいは「中絶後」に起こったこととして、はっきりと位置付けられるのです。この決定的な出来事の前と後で、自分を全く違った人間であるとみなすことさえあるかも知れません。260人の女性の過去を振り返った研究において、平均して中絶後11年近くたって、51パーセントの人が、中絶した後「人格が劇的に変わった」と報告しています。そしてその中で79パーセントの人が、その変化はマイナスのものであったと言っています。14

中絶は人生において非常に深い意味を持つ出来事なので、よく考えてそれを自分の人生に融合させるか、恐れてそれを抑圧するかいずれかをしなければなりません。どちらも易しいことではありません。前者は、不屈の精神と正直さが必要です。後者は単に不健康です。感情を抑圧することが、数々の精神的身体的病気の原因であることは、精神医学の基本的な原理です。抑圧した感情は、それ自身の内なるプレッシャーを作り出し、情緒的なエネルギーを吸い取り、もはや無視できない方法で吹き出すまで、人生に混乱を引き起こします。

このような観察結果は、長年中絶に賛成をしてきて、自ら2万例の中絶を行なってきた精神科医であり、産科医であるジュリアス・フォウゲル博士によって実証されています。中絶賛成の考え方から中絶と接してきましたが、フォウゲル博士は「母親の心に与える心理的影響」に深い関心を持っています。

「中絶は感情に大きな影響を与えるテーマです。年齢や経歴や性的能力がどうであれ、全ての女性が中絶をすることでトラウマを負います。その人の人間性に大きな影響を及ぼすのです。この部分は女性自身の人生の一部をなしています。中絶をすることは、自分自身を破壊していることになるのです。害を及ぼすことのない中絶はありえないのです。いのちの力を相手にしているのです。あなたがいのちがそこにあると考えるか考えないかは全く的はずれなことです。何かが造られつつあって、それが身体の中で起こっていることを否定することはできません。トラウマは、無意識の中に沈みこみ、女性の人生において全く表面化しないこともよくあるかもしれません。しかし、中絶は、それに賛成している多くの人々が主張しているほど、無害でお手軽なものではありません。精神的な代償を払わなければならないのです。それは疎外感であったり、人間の暖かさを払い除けることであったり、もしかすれば母性本能を硬化させることであったりするかもしれません。中絶をする時、女性の意識のより深い部分で何かが起きるのです。精神科医として私はそのことを知っています。15

中絶問題の賛否両方の立場にいる他の研究者も、フォウゲルの懸念を同様に感じています。研究者は、中絶のストレスと関連のある100種類以上もの精神的影響について報告をしています。これらのもののなかには、性的機能不全、うつ状態、フラッシュバック、不眠、発作的な不安、摂食障害、埋伏した悲しみ、後に生まれた子どもとの絆を作りにくくなること、感情的爆発の傾向の増加、親密な関係を維持することにおける慢性的な問題、集中力の低下や今まで楽しく接することができた活動や人々に喜びを持てなくなることが含まれています。カナダの2つの州における、過去5年を振り返っての研究によって、中絶をした女性の25パーセント(それに対して中絶をしなかった女性は3パーセント)が中絶後に精神科の治療を受けていることがわかりました。16

中絶をした女性には自己破壊的な行動が増加することが恐らく最も心配される事でしょう。中絶歴のある女性は、喫煙をしたり、飲酒をしたり、麻薬を使用したりする傾向が増加します。700人の女性を対象にした研究では、一度目の妊娠の後麻薬やアルコールを乱用するケースは、中絶をした女性のほうが最後まで妊娠を全うした女性より約4倍多いことがわかりました。17 中絶をした260人の女性を対象にした別の研究では、37パーセントの女性が、自分を自己破壊的だと表現し、28パーセントが1回以上自殺を試みたことを認めていることがわかりました。18

否定することの必要性

抑圧と否定が中絶経験に対処する最も一般的な方法です。自分の中絶について実際に否定的な感情に直面した女性の60から70パーセントが、後悔や否定的な感情を尋ねられれば、他人や自分自身に否定したであろう時期があったことを認めています。平均して、この否定の期間は約5年間で、少ない人で1ヶ月、多い人で20年でした。19

一般的に、否定と逃避行動はすぐにわかります。私たちのケーススタディの参加者で、自分たちの中絶後の適応が易しかったと主張している人は、ほとんど必ず、短い隠すような反応をしますが、それは同時に多くのことを明らかにしているのです。今日届いたばかりの次のような反応についてよく考えてみましょう。これは私が述べたパターンの典型的なものです。

なぜ中絶をしたのですか?:「私は異常妊娠で胃に結索があったからです。」
中絶についてどう思いますか?:「いやだったけれど、最善のことをしました。」
中絶の影響は何かありますか?:「他の人間のいのちを奪ったので、悲しい気持ちになりました。」
中絶経験にどのように対処し、それは効果がありましたか?:「特に何もしていません。それを克服しました。」
中絶によってあなたの人生がどう変わったと思いますか?:「自分をもっと大切にするようにしています。」

明らかにこの女性は、自分が中絶したのは「赤ん坊」で、「胎児」とか「妊娠」ではなかったと言っています。さらに彼女は、中絶をすることによって、「他人のいのちを奪った」と率直に述べています。このような発言によって、この女性が高度な合理化をしていないことがわかります。彼女にとって、それは「いのちとなる可能性のあるもの」でなく、赤ん坊であり、その死は悲しむべきものなのです。同じように単純かつストレートに、彼女は「それを克服すること」によって、この死に対処しています。彼女が実際にそれを克服していることが期待されますが、実際は本当の解決とその経験を自分の人生に組み入れることを妨げる逃避行動を取っているだけなのではないかと懸念されます。

しかしそうなると、否定と逃避行動は中絶にとって絶対必要なことになります。私のことばをそのまま取らないでください。中絶権賛成の女権拡張論者の心理学者である、マグダ・ディーンズ博士による「必要と悲しみにおいて」を見てみましょう。

自分自身の中絶の直後、フランクと同じようにディーンズは、他の人々がどのように中絶を経験しているかを観察するために、中絶クリニックで数ヶ月を過ごしてみたくなりました。フランクとは違って、ディーンズは熟練した精神科医であり、インタビューした人々の言葉の奥にあるものを見通すことができました。彼女は、勇ましい言葉は恐怖心を隠すために使われていること、冷静な言葉は疑念を隠すために使われていることがわかっています。たとえば、ある患者のインタビューを紹介するときに彼女は、「彼女が言っていることは全て正直でストレートであるように聞こえます。彼女が私というよりはむしろ自分自身に嘘を言うのは、彼女が中絶のことに触れるときだけです。」と書いています。20

しかし、このような自己欺瞞を見抜くことは、ディーンズが彼女たちを批判しているということを意味しているのではありません。それどころか、否定することは最悪の状態から自分を守るために必要なものだと彼女は弁護をしているのです。「そうです。これらの人々は、嘘を言い、自分をだまし、嘘の証言をし、偽りの告白をし、責任逃れをし、ただ忠実なふりをし、過去を無視し、否定しています。私たちの誰がこのような行動と違った行動をとるでしょうか、特に危機的な状況においては。特に元に戻すことにできない選択をしてしまった時には。」と彼女は書いています。21

保身とは一種のゲームの名前で、ディーンズは中絶クリニックの正気は、そのゲームのルールを厳格に守ることによってのみ維持することが可能だということを明確に理解しています。患者もスタッフも、この自己欺瞞という陰謀に協力して加担しているのです。スタッフと患者両方とのインタビューを説明して、彼女は、「特にこの本は多面的で、巧妙な、恥ずべき逃げ口上に関する証拠書類であり、その逃げ口上によって私たち全員の生死が決まるものです。」と書いています。22

中絶クリニックでは、「事実は礼儀の問題であり、波風を立てないという協約の問題なのです。」と彼女は付け加えています。23

ディーンズは個人的には、中絶権賛成の考え方を持っていますが、フランクの本と同じように彼女の本も、中絶権賛成運動に受け入れられることは決してありませんでした。それはあまりにも暗く、疑問を抱かせ、混乱させるものだったからです。実際、それぞれの本の筆者の考え方は正反対ですが、ディーンズの本もフランクの本も、中絶は良くても醜い経験、最悪の場合は苦しい悪夢であることを示しています。どちらもその内容の中に、彼女たちが真剣に望んでいる「救われた人生」についての中絶権賛成の考え方を支持する内容を見つけることはできません。それができないのは、中絶が女性に与える影響を詳細に一人一人研究すれば、その内容が決して励みとなるようなものにはならないからです。現われてくるのは、いつも喜びより悲しみのほうが、安堵より罪悪感のほうがはるかに多いのです。

「選択」の哲学は、その現実の姿を剥がしたときだけ、理想として崇拝され、抽象的な姿で信じられる時だけ、称賛することができます。絶望や恐怖や罪悪感や否定の気持ちでいっぱいの女性の観点から検証すれば、この中絶権賛成の考え方は、冷たく不安にさせるものです。乳癌、流産、子宮外妊娠、薬物の乱用、自殺傾向、性的能力不全、埋伏した悲しみや母の日の憂うつの観点から検証すれば、それは偽物なのです。

要するに、そこにいた経験のある人として語りながら、ディーンズは、純粋に女性に選択の権利が与えられるべきだという理由で、いつでも受けられる中絶に賛成しているのです。しかし彼女はその選択に不安を抱いています。なぜなら最も理想的な状況下でさえ、たとえいつでも受けられる中絶が、「国家によって無料で、そして教会の慈悲の支持を受けて提供されても」、彼女はそのような純粋な自由は、恐怖心や罪悪感や中絶に固有の他の問題を増加させるだけだと信じているからです。「なぜなら、もし私たちが中絶を法律に挑戦することの領域から取りのぞけば_、」と彼女は書いています。

「_もし私たちが中絶を当然そうであるべき自由の行為であることを許せば、個人的にも全体的にもその意味は、必然的にあらゆる人の意識のなかに現われてくるでしょう_私は自分を殉教者とみなし世間と戦う方が、人とは違った境遇の悲しみを自分だけで味わい、自ら選んだ運命に対する心の痛みを知ることよりもずっとずっと楽な仕事だと思うのです。従って私は、あるがままに受け入れられることを望みます。罪悪感を抱いている中絶賛成者として。」24

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