差別を取り除く

フランク・パヴォーン


私達はいつも同じことを繰り返している。他人が自分と違うという理由だけで、その人には価値がないと決めつけてしまっている。私達は、特に自分が敵意を抱いた人に不自然な差別をしようとする。彼らが自分の隣人であるという大切なことを忘れて。 新約聖書の福音書の中で、イエス・キリストは他人に対する価値観における不自然な差別を絶えず取り除こうと努力している。イエスは以下の点に関してそのような努力を惜しまなかった。

  1. 人種:ユダヤ人とサマリア人の対立の中で、イエスはサマリア人女性に話しかけることを惜しまず、そこの人々に信仰の贈り物をした。(ヨハネ福音書4章)
  2. 性:イエスの社会では女性に対する扱いが平等でなかったにもかかわらず、イエスは彼女達を公平に扱った。
  3. 健康:イエスは病人、悪霊につかれた者の世話をなさった。(マルコ福音書一:32)
  4. 職業:社会では見下されていた存在の税吏ともつきあいをもち、その中の一人を使徒とさえ呼んでいた。(マテオ福音書九:9)
  5. モラル:イエスは信仰者達に敵を愛し、迫害する人のために祈り、心から相手を許すようにと命じた。(マテオ福音書五:44、十八:21〜35)
  6. 年齢:弟子達の反対を押し切って、イエスは子どもや幼児を歓迎し祝福した。(ルカ福音書十八:15〜16)
イエス・キリストは不自然な差別が存在することを認めなかった。イエスは明確な真実をもって差別を撤廃しようとした。誕生前の赤ん坊に対する私達の対応もこの真実によって判断を下されるべきものである。私達の社会は彼らに対して誤った差別をしてきた。なぜなら彼らは年が違うので、その価値も普通の子どもとは違うと決めつけてきたからだ。これこそイエス・キリストが福音書の中で絶えず挑戦してきた他人に対する誤った評価に当たるのではないだろうか? イエス・キリストに従う者達は、誕生した子どもとそうでない子どもに対する差別を撤廃するために至急とりかからなくてはならない。肉体的な違いというのは、人々が想像する以上に少ないのである。命の価値には違いというものは一切存在しないはずである。「この小さな者の一人さえあなどらないように気をつけよ。」(マテオによる福音書十八:10)