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『他人のことはかまうな?』

フランク・ペイボーン


公の場で中絶反対のデモをしている生命擁護活動家のグループは、通りすがりの人々から様々な意見をもらいます。その中には肯定的な意見も否定的な意見もあります。このような意見の一つが、他人のことをかまっていないで家へ帰れ」と言う忠告です。

「他人のことはかまうな」。これはおもしろい忠告ですよね。実際、そうしたとしたら、ずいぶんと気楽な生活が送れるでしょう。私達は家に帰り、ホームレスや飢えた人達のことを忘れることができるでしょう。それを「彼らの問題だ」と言って片づけてしまうこともできます。私達は自分のことだけを気にしていればよいのです。失業者や貧しい人達、身よりのない人達のことを忘れることができます。何と言っても私達は自分のことだけをしっかりとやってさえすればよいのですから。私達は麻薬売人や幼児虐待者、野蛮人や放火犯のことをもはや心配する必要はないのです。また、エイズに感染した人達のことや戦火にある国々のことを考える必要もなくなるでしょう…。これら全てのことを忘れて、自分達のことだけを気にしていればよいのです。

実は、この忠告はとても古くからあるものなのです。人類史上初めて、カインが自分の弟アベルを殺した後で、彼は神にこう尋ねました。「私は弟の番人でしょうか?」。 この問いに対する答は「イエス」です。私達キリスト教徒には「自分達自身」をかまう以上の高潔な使命があるのです。どこであろうと、どのようにであろうと、私達の兄弟姉妹が苦しんでいるとしたら、それは私達の問題なのです。現在、私達の兄弟姉妹のうち最も無防備なのは子宮の中の赤ん坊達で、毎日四千四百人もが中絶によって殺されています。そして、彼らの母親もまた犠牲者なのです。なぜならば、彼女達は子どもの面倒を見るために必要な手助けを得られていないからです。中絶はまた、彼女達を肉体的にも精神的にも傷つけています。

もし私達が赤ん坊達を愛しているなら、そして、もし私達がその母親達を愛しているなら、中絶問題は私達に関係ないものではなく、私達の問題なのです。カインの安易なアドバイスを聞くのをやめ、その代わりにキリストの桃戦的な教えに従う時なのではないでしょうか?「これが私の掟です。私があなた方を愛したように互いに愛しあいなさい。」という教えを。中絶に対して「ノー」と強く言い、母親と子どもが真に必要としているものに対して「イエス」と言う時なのです。これはキリスト教徒の問題なのです。これは愛の問題なのです。