キリストの全てを受け入れなさい

フランク・ペイボーン


キリストを受け入れるということは私達が全ての兄弟姉妹を愛することを意味します。このことはキリストが受け入れる人々が私達にとって好ましく思えない時であっても変わりありません。その人々は変わっているかも知れません。もしかすれば彼らはうるさい人々かも知れません。私達を怒らせたことのある人々かも知れません。

あるいはもしかしたら、その人々は非常に小さいかも知れません。今日の私達の社会の中のある一群の人々、つまり胎児はしばしば拒絶されているのです。母親がその子ども達を養えないと思えば、他のもっと良い選択肢が与えられることなく、彼らの多くが中絶されてしまうのです。私達は、子どもを拒絶しながらもその母親をなんとか愛し受け入れることができます。どうして私達は一人しか愛することが出来ないのでしょうか。キリストは母と子の両方を受け入れておられます。キリストは母も子も愛しておられます。どうして私達はそうすることができないのでしょうか。どうして私達の社会はそうすることができないのでしょうか。

キリストを受け入れるということは、キリストの全てを受け入れること、つまりキリストが愛するものを全て受け入れ、愛することなのです。もし私達が中絶を支持すれば、私達はキリストが愛するものを拒絶していることになるのです。そして、その点において、私達はキリスト自身を拒絶していることになるのです。

愛することそして受け入れることは必ずしも、思うほどたやすく楽しいことではありません。もし私達が本当に私達の近くにいる人を愛するならば、私達は中絶をなくするためにより前進し始めることになるでしょう。私達は人を排除して、問題を決して解決出来ません。私達は中絶に賛成して、決して女性のためになれません。私達は社会の将来のメンバーを拒絶して、社会を良くすることは決して出来ないのです。キリストの将来の使徒を殺して、キリストの体を決して作り上げることは出来ないのです。中絶以外の道があるのです。それは愛…一部の人々だけでなく、全ての人々を愛し慈しむ愛なのです。