中絶は黄金律を破る行為である

フランク・パヴォーン


キリストの教えによると、私達が隣人に対してどのように接するべきかをはっきりと知ることが出来ます。これらの教えは、実はキリストの掟の最初の二つなのです。つまり、「何よりも神を愛しなさい」そして「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」という教えです。いかに隣人を愛するかについては、主の次の二つのみ言葉が示して下さっています。ひとつは「人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ」という黄金律であり、もうひとつは「あなたがわれわれのうち最も弱い者に対してすることはすべて、私に対してするのである」ということです。

キリストのこれらのみ言葉は、今日の重大な問題である中絶に私達がいかに取り組むかを導いて下さっています。私達の中絶への対応とは、つまり力の無い小さい子どもとその母親への対応にほかなりません。そこに黄金律を当てはめてみましょう。まず、子どもの立場に立ってみます。(私達は皆かつて母の胎内にいたのです)十分に慈しみ育てられてこの世に生まれてきたいですか?それとも中絶されたいですか?胎児は目に見えず、中絶に反対できないというだけで、いとも簡単に存在を忘れ去られています。けれど、一体どこの誰が母の胎内で殺されることを望むというのでしょうか。黄金律は母親の立場にも当てはまります。もし、妊娠したことを喜べず、困っているのであれば、あなたはまず何を必要としますか?当然、助けを必要とします。私達はなんとしても、母親がその子どもを殺すのではなく、育てるように手助けをしていかなければなりません。

主はこう言われます。「あなたがわれわれのうち最も弱き者に対してすることは、私に対してするのである」ですから、胎児とその母親の立場に私達自身を当てはめたように、今度はキリストを当てはめてみます。なぜなら、胎児は間違いなく私達のうちで最も「弱き者」であるからです。胎児には力も、自分を守るものも、発する声もありません。話すことも、投票することも、抗議することも、祈ることすらできないのです。母親もまた、ひとりぼっちで、無理解な周囲に踏みにじられがちです。キリストの教えによってその答えは明快です。母と子を救えば、それが主に仕えることになるのです。逆に、母と子を拒めば、それは主を拒むことになるということです。 キリストの教えの通りに互いに愛するためには、中絶を一切受け入れず、生命を与える選択へ努力していかなければなりません。