『煉獄』

Okada Morio (オカダ モリオ)
岡田 守生
出典 D's(ディーズ)さんのぶろぐ
2010年3月2日
許可を得て複製

「れんごく」と読みます。これはキリスト教、特にカトリック教会でいわれるものです。その意味は『 死後地獄へ至るほどの罪はないが、すぐに天国に行けるほどにも清くない魂が、その小罪を清めるため赴くとされる場所である』(ウィキペディアより抜粋)・・・と、まぁそういうことですわ。

現代のカトリック教会において『煉獄』の存在を肯定する考え方は少なくなってきております。ただ、 古くからの信者さんなどは今でも煉獄の存在を信じていて、煉獄にいる魂のために祈る方もいらっしゃいます。

私個人としては『煉獄』の存在を肯定も否定もしません。だって、行ったことないから知らんもん・・・。

ただ、時折こんな風に考えることがあります。

「今私たちが生きているこの世の中こそが『煉獄』なんじゃないか」って。

この考え方、実は仏教にも相通じるところがあると思いませんか。「この世は『修行の場』である」という考え方。 ご存知の通り、仏教の多くは『輪廻転生』を信じるわけですが、前世で果たせなかった『お勉強』、やり残した『宿題』 を今の世の中でやりなさい、というわけです。

輪廻転生があるのか否かは知りません。ただ、今私たちが生かされていることの意味を考えるとき、それが『修行』 であるとするなら、この世はまさに『煉獄』とは言えませんでしょうか。

だとするならどんな宗教の人であれ、私たちは皆今よりもほんの少しだけでも、今生きている意味( 或いは生かされている意味)をちゃんと考えるべきなのではないでしょうか。

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