ロックダウン下の生活への対処

Novotny, Jerry (OMI) (ノボトニー・ジェリー )
英語原文 Dealing with Life Under Lockdown
2020年8月22日掲載
許可を得て複製

今年3月から、世界全体が「ロックダウン」下の生活に対処してきた。これにはステイホーム、マスクの着用、 学校や職場の閉鎖、ソーシャルディスタンスの確保、各種会合の自粛などが含まれる。 我々の生活はこの新型コロナウイルスのパンデミックによって混乱をきたしており、 医学的解決策はこれまでのところ見つかっていない。見通しが立たない。理解できていない。 パンデミックは世界を制止させている。

このウイルスの悲しい面は、多くの家族が愛する人を亡くしたところである。 彼らはお別れを言うために臨終に立ち会うことができず、葬儀に参加することもできなかった。多くの場合、 彼らは愛する家族が埋葬されるのを遠くから見守った。さらに、多くの人が職や貯蓄を失い、小企業が倒産した。 世界経済は危機的状況であり、完全に回復するには何年も要するだろう。

カトリック教徒にとって、痛みと混乱の時間でもあった。教会で礼拝に参加する自由はこれまで当然のことと思われてきた 。しかし、今年は、ロックダウンにより教会は閉鎖され、キリスト教徒は復活祭の儀式に参加できず、集会に参加できず、 秘跡を受けることもできなかった。キリスト教団体はホームレスへの食事の提供、 病院での病人の見舞やカトリック教育の提供などの慈善活動を停止せざるを得なかった。

キリスト教で我々が教わるのは、神はすべてのことを益としてくださるということである。Covid-19のような、 悲惨なパンデミックからどのような益がもたらされるのかについて考えを巡らしてみよう。 神は我々に何を伝えようとしているのか。

聖人ペトロは伝えられた:「人間に捨てられ神に選ばれた尊い生きる石である主に近づけ。 生きる石としてあなたたちもこの霊の建物の材料となれ。」(ペトロの第一の手紙 2:4-5)

この危機の間に何か学んだことがあるとすれば、それは教会が単なる建物や施設以上の存在であるということである。 ロックダウンにより、教会に行くことができなくなり、我々は自宅で祈った。LINEなどの現代のテクノロジーにより、 テレビで集会を観たり、説教を聞いたりすることができる。それは教会で共に集うことと同じではないが、 神の存在を経験し、一つの信仰のもとに一つに団結させてくれた。共通の敵である新型コロナウイルスに直面していたため 、我々はともに祈った。

このことから、キリスト教信徒を結びつけるのは建物ではなく、ともに祈る人々の信仰、 希望そして愛であると結論づけることができる。神はすべての信徒に存在する。したがって、ともに祈った時に、 神はそこに存在するのである。

我々は聖ペトロの言う「生きる石」である。「教会」の意義は建物ではなく、キリスト教コミュニティなのである。「 生きる石」として、我々一人一人が、キリストが我々に与えたミッションを継続するために必要であり重要である。 ともに集うことはできないかもしれないが、ともに祈ることはできる。そして敬虔な祈りは力強いものである。 このパンデミックの中、祈りへの献身により、我々は違いを生み出すことができる。我々の祈りによって、 イエスキリストは存在し、この世界で重要な存在となるのである。

聖ペトロはこのようにも伝えられた:「あなたたちは選ばれた民族、王の司祭職、聖なる民であり、 やみから輝かしい光にあなたたちを呼ばれたお方の不思議を現すために選ばれた民である。」(ペトロの第一の手紙 2:9)

キリスト教信徒であるということは暗闇から呼び起こされたということである。これはどのような意味なのか?(1) イエスキリストは、我々を罪という暗闇から呼び起こした。我々が善良に生きられるように。(2) イエスキリストは我々を恐怖という暗闇から呼び起こした。我々が神のご加護に我々の人生をゆだねられるように。(3) イエスキリストは我々を利己心という暗闇から呼び起こした。ウイルスに冒された他者を助けられるように。たとえば、 我々は嘆き悲しんでいる人を慰め、心を痛めている人と共に歩むことができる。

要するに、神はこの新型コロナウイルスのパンデミックの期間に我々に何を伝えようとしているのか?神は我々に、 社会の中で他者を助ける「生きる石」となるよう求めているのである。社会や生活様式は変化しているが、 一つ変わらないことがある。我々の変わらぬミッションは、傷ついた世界にキリストをもたらすことである。自分たちが「 生きる石」であること、つまり、我々を導く道であり、真実であり命でもあり、また、我々を暗闇から呼び起こし、 傷ついた人々に朗報をもたらすために我々を遣わしたイエスキリストに心を寄せる「生きる石」であることを、 このパンデミックが我々に教えてくれることを願う。

アジアでは、苦しんでいる人々の多様なグループが存在する。我々に何ができるかの例を1つ挙げてみる。「生きる石」 として、ロヒンギャ・コミュニティの苦境について認識を深めてみよう。

過密状態のバングラディシュの難民キャンプでは、 適切なソーシャルディスタンスや全体的な衛生状態を維持することは不可能であることがわかる。 カリタスの代表は次のように述べている。「 新型コロナウイルスのパンデミックを予防する重要な対策の1つはソーシャルディスタンスの確保です。しかし、 難民キャンプでの生活では、この確保に十分なスペースがありません。」

「バングラディシュの難民キャンプで生活しているロヒンギャ難民は、4回もの悲劇の犠牲者です。 彼らはミャンマーの故郷から暴力的にトラウマとなるような形で追放された犠牲者となりました。 赤痢や痘瘡などの医療にかかわる緊急事態の犠牲者となりました。また、サイクロンがバングラディシュを襲った際には、 彼らは繰り返される気候の緊急事態の犠牲者となりました。そして現在、バングラディシュに重くのしかかっている、 グローバルの新型コロナウイルスのパンデミックの犠牲者にもなっています。」と、カリタス・ バングラディシュは述べている。

「生きる石」として、我々はロヒンギャの人々の苦境に積極的役割を果たさなければならない。 この緊急の危機がこのような立場の弱い人々を直撃している中、我々は彼らの苦しみに必ず終わりが来るよう、 あらゆるレベルで取り組む必要がある。

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