荒野で叫ぶ声

Novotny, Jerry (OMI) (ノボトニー・ジェリー )
英語原文
2017年7月23日掲載
許可を得て複製

詩人ワーサン・シャイアが自身の詩「ホーム」の一節を引用している。

家がサメの口でない限り誰も家を離れない。
町中が逃げ出すのを見てあなたも国境へ走る。

水が陸より安全でないのなら誰も子供たちをボートに乗せないと
あなたは理解しなければならない。

水が陸より安全でないのなら誰も子供たちをボートに乗せない。

難民の数は2100万人に及ぶが、彼らが好き好んで難民の仲間入りをしていると本気で思っている人がいるだろうか? いないだろう。病院での忙しい一日を終えて家路につく医師、 昼下りにトヨタのトラックの壊れたアクセルを修理する整備士、スクールバックを肩にかけて通学する少女、 息子にお休みのキスをする父を想像してみよう。

誰もが今日と同じ明日が来ると思っている。誰もがリラックスしてその瞬間を楽しんでいる。しかし、 その瞬間に恐怖がやって来ないとは限らない。それは銃声かもしれないし、爆弾が投下される音、 誰かがドアをノックする音かもしれない。周りのすべてが崩れ落ち、荷物をまとめて逃げるまでたった60秒しかない。

あなたなら何を持って行くか?そしてどこへ向かうのか?どうやって移動するか?誰を連れて行くのか。 すぐさま絶望的な選択をして、生涯、その選択に沿って生きていかなくてはならないのだ。

難民の大半は数が多い順に、シリアアラブ共和国、アフガニスタン、ソマリア、南スーダン、スーダン、コンゴ民主共和国 、中央アフリカ共和国、ミャンマー、エリトリア、コロンビアの10カ国から逃れてきている。 この上位10カ国の合計が世界全体の難民人口の76%を占めている。

故郷と呼べる場所がない数百万人の難民を想像してほしい。「故郷」という言葉はどのように定義できるか?「故郷」 と呼ぶためには、次の4つの条件を満たした場所である必要がある。(1)リラックスして平和に暮らせる場所、(2) 自由に考えて行動できる場所、(3)家族や友人が住んでいる場所、(4)学校に通ったり、仕事をしたり、 礼拝したりできる場所。

安全な故郷がない難民は、自分や家族の生存が約束されないという重大な苦悩にさらされる。 さまざまな資源や手段がある世界において、これは受け入れられることではない。クリスチャンなどの宗教団体は、 先の見えない旅路に寄り添っていくことを難民たちに具体的に示さなくてはならない。 あらゆる人道的な手段を使って難民を具体的に支援し、 彼らの存在が忘れられていないことを示して安心させてあげなくてはならない。

ローマ教皇フランシスコは次のように懸念を述べている。「この悲劇は…数百万の人々を襲い、 人道主義を根本から揺るがす危機を生んでおり、団結、共感、寛容さ、 そして迅速かつ具体的な資源の提供が求められている…..難民は人間の駒ではない。難民は故郷を追われた子供、女性、 そして男性なのである。彼らには平和な場所で安心して生活する基本的人権がある。

「世界的な難民」の数が記録を更新している今、私たちはこれ以上黙っていることはできない。言葉ではなく、 具体的な行動が危機を緩和できる。「自分が難民になるとは思っていなかった」という荒野の叫びは聞き流されている。

ローマ人への手紙12章13には次のように書かれている。「真のクリスチャンになりなさい… 見知らぬ人でも歓待しなさい…」。私たちの信仰の深さは、見知らぬ人や難民に対する正義によって判断されるのだ。

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