帰る場所がない

Novotny, Jerry (OMI) (ノボトニー・ジェリー )
2017年5月15日掲載
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母親が地平線を見つめている。彼女がたもとに座っている木の合間から焼けつくような太陽が見える。 6人の子供たちが周りに集まり、彼女は生後18カ月の赤ん坊に授乳している。彼女は言う。「 ここ数日は本当にひどいことばかりで、とても辛い思いをした。十分な食べ物がなく、生のキャッサバしかなかったので、 それを子供たちに与えた。子供達が疲れたら、みんなで休み、子供たちには水を与えた。」

30歳のこの母親は、 安全を求めて南スーダンから避難することを余儀なくされた150万人の難民のたった一人に過ぎない。 こうして南スーダンはアフリカ最大の難民危機に直面し、シリアとアフガニスタンに続いて難民数で世界第3位になった。 シリアでは、現在、難民の数が500万人を越え、退去を迫られた市民が国内にさらに630万人いる。 アフガニスタンの難民数はこれに続く300万人である。

この数年で、世界では記録的な数の難民が自国を追われている。南スーダンだけでも、難民の60%以上が子供で、 到着時点でその多くが警告レベルの栄養失調に至っている… 最近新たに到着した難民は、激しい戦闘、誘拐、レイプ、武装グループの恐怖、生命の危険、 切迫した食糧不足を報告している。その他の国の難民も同様の危機を報告している。

多くの国が世界的規模で難民を保護する代わりに、門戸を閉ざすようになっている。具体的に言うと、最も豊かな国々が、 世界全体で2100万人に及ぶ難民問題をその他の貧困国だけに押し付けているのだ。一方、 政治家や影響力のあるメディアは難民を「安全保障上の脅威となる」「不法な」あるいは「正体がわからない侵入者」 と表現している。

国際的な保護を必要とする人々を非人間的に扱うことで、豊かな国は暴力、迫害、 戦闘から逃れてくる人々を守る責任を回避している。難民の権利を守る新しい国際法が必要なのだろうか? 答えはノーである。国際的な難民法や人権保護法は人々が戦争や迫害から逃れ、 且つ第三国に保護を求めるのに役立つ常識的なシステムを提供するものである。

メディアや政治家が「難民」と「移民」を同じ意味で使用することが増えている。しかし、 これら二つの言葉には大きな違いがある。「「難民」は迫害など、 深刻な人権侵害のリスクが実際に存在することから母国に戻れない人々のことである。「移民」は、 仕事やより良い教育による生活向上などを理由に移動する人々のことである。

この地球上の平等な市民として、私たちには他所から来た人たちの尊厳を守りながら親切に迎える大きな義務がある

聖書のマタイによる福音書25章31ー40節には難民を快く受け入れることについて書かれている。キリストは「 お前たちは、私が飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていた(難民)ときに宿を貸し、 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」すると正しい人たちが王に答える。「主よ 、いつわたしたちは飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、 のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見て宿を貸し、 裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、 お訪ねしたでしょうか。そこで、王は答える。「はっきり言っておく、 わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」。

新約聖書では私たちがすべての人を「キリスト」本人とみなすべきことを明確に示している。豊かな国々は、その膨大な力 、資金、そして資源を用いて神の律法を守り、「帰る場所がない」2100万人の難民の命を保護しなくてはならない。

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