「いのちへのまなざし」を読みましよう。

Miyashita, Ryouhei (ミヤシタ・リョウヘイ)
宮下 良平
東京教区 元多摩教会主任神父
出典  多摩カトリックニューズ2001年3月号
許可を得て複製

もう皆様にもミサなどで紹介しています、「いのちへのまなざし」を是非お読みください。

この本はこの2月末に発行されたものです。日本の司教様たちが、「21世紀への司教団メッセージ」として、 カトリック信徒のみならず信徒以外の方々に向かって発せられたメッセージです。

「20世紀は、実に多くの人々の人生を軽んじ、そのいのちを虫けらのように踏みにじった世紀でした。その背景には、 絶対化された国家主義、イデオロギー、民族主義があり、さらにその奥には、 為政者たちの利権と権力への飽くなき野心が見え隠れしています。わたしたち、こうした悲惨な歴史を繰り返さないために 、他の何よりも、いのちは尊いものであるということを訴えたいのです。」(8P)と先ず述べています。

そして「いのちは、神のわざであり、神のたまものです。これは、わたしたちカトリック教会の揺らぐことのない確信です 。わたしたちは、ここに、人間のいのちの尊さについての絶対的な根拠があると信じています。 人間が安易にいのちの分野に介入すべきではないと、わたしたちが強く訴える根拠もここにあります。どんな人であううと 、すべての人は軽んじてはならないという根拠もここにあります」(14P)と述べています。

「いのち」ということが「神のわざ」であり、「神のたまもの」ということを、今日、 何か新鮮なこととして耳にしている方も多いのではないでしようか。

この生きる意味の原点をいつの間にか、私たちは心の片隅から追いやってしまったのかもしれません。 それはいつの頃からなのでしょう。戦後のある時代から、そして私の人生のあの頃からと思い当たるかもしれません。

私たちカトリック信徒は、この確信をもう一度、今の日本の社会で再確認してゆかなければなりません。

かつては当たり前のことを当たり前として受け入れることができなくなった現代において、 それは人が生きて行く上ではより厳しい時代を迎えていると言えましょう。

しかし、それは別の言い方をすれば、 希望をより具体的なかたちで実感できる可能性を秘めた時代を迎えたと言えるでしょう。

その希望を見つけるということのためには、先ず私たちカトリック信徒がカトリック教会は何を考えているのか、 どこに中心を持っているのか、どこへ向かおうとしているのかを知ることから始めなくてはなりません。

司教様たちは、第二バチカン公会議以前に教えられていた「公教要理」を“復活”しようとは考えておられません。 この本は“メッセージ”です。メッセージ として発せられたことを受け取り、理解し、行動するのは、そのメッセージを耳にした私たち次第です。それは、「 公教要理」と言われるように、「教会の確固たる教えとして信者が守るべきこと」より、 ある意味で厳しい要求かもしれません。なぜなら、自分がそれぞれの場で考え、 自分で判断し行動することを求められているからです。司教様たちはこう願っています。「わたしたちは、 このメッセージを手に取られた方々一人ひとりが、カトリック教会の信者であれ信者でない方であれ、この中からくみ取り 、それを自らの責任において主体的に、自分の生き方として選択してくれることを心から願っています。 一人ひとりが自分の人生の責任を負わなければならない、ということは厳粛な事実です。

教会がこれまでさまざまな機会に公にしてきた文書と異なり、「教会の教えはこうである」という、 どちらかというと断定的な表現を避けて、人々と社会に対する「メッセージ」 という形をわたしたちが選んだのはそのためです。」(126P)

どうぞ、皆さんこのメッセージを読んでください。そして、お考えください。

そして、より多くの人々にこのメッセージをお伝えください。

                      神に感謝

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日本プロ・ライフ・ムーブメントより

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