愛は徳によってのみ得ることができる

McManaman, Doug (マックマナマン・ダグ)
許可を得て複製
英語原文より翻訳: www.lifeissues.net

50年以上前から、西洋社会では、歌や詩、あるいは映画を通じて愛を称えてきた。にもかかわらず、我々は愛が崩壊する様子を目の当たりにしてきたし、それは今も続いている。どうしてだろうか?我々人間はなぜもっと愛情深くなれないのだろうか?我々はなぜ人の歌、たとえばジョン・レノンの歌に語られているような平和や普遍の正義を手にすることができないのだろうか?その理由として、以前と比べて我々の愛情が薄れていることが考えられる。今日の我々の状況を正確に描写した寓話を紹介しよう。

人口20,000人未満の小さな町で、古い家が炎に飲み込まれた。現状を把握するため、町人たちは役場に急きょ集まり、対応について話し合うことにした。町には大きな貯水池があり、家が火事になることはないと考えていた町人たちは混乱していた。そこである人が、みんながお金と労働力を出し合って貯水池を大きくしようと提案した。そして、彼らはその通りにした。その後1日程度で貯水池は以前よりずっと大きくなった。しかしその間に、家は焼け落ちてしまった。

一週間後、驚いたことに、別の家が火事になった。人々はもう一度役所に集まり、この不可解な状況について話し合った。ある人が、貯水池をさらに大きくしようと提案した。そして彼らはもう一度貯水池を大きくした。しかしその間に、燃えていた家は焼け落ちてしまった。

一ヵ月後、別の家が火事になり、またしても緊急集会が召集された。彼らは全員、貯水池の大きさが不十分であり、火事を解決する最適な方法は貯水池を拡大することだという意見で合意した。しかし、部屋の後方にいたある人物が手を挙げ、前に進み出て、これまで聞いたことのない新しい解決策を提案した。「ホースを使ったらどうだろうか。」部屋にいた人たちは驚き、唖然とした様子で互いの顔を見合わせ、笑い始めた。ある町人が言った。「ホースで消火できるなんて聞いたことがない。」他の町人も同意した。「火を消せるのは水だけで、ホースじゃないよ。」と別の人が指摘した。彼らはさらに大声で笑い、ばかげた代案を提示した男を嘲笑した。結局、彼は役場から放り出され、戻って来ないように言われた。

我々は愛について歌い、愛によって問題が解決すると信じている。たいていの場合、これは真実である。しかし、破綻する夫婦は増え続け、家族は崩壊している。子どもも暴力的になっているように思われる。我々の解決策、つまり愛情を持つということがあまりに単純で、それが問題を困難にしているのではないだろうか。人間の本質はもっと複雑である。我々の解決策は、より大きな貯水池を作ろうとした町人たちの解決策と同じように、理屈に終始しているのだ。

町人たちがいかに不合理かに気づいた人がいた。彼は前に進み出て、ホースを使うことを提案した。しかし、ホースは火事を消すためのものではないと信じている町人たちから嘲笑されてしまう。確かに町人たちの考えは正しかった。火を消すのはホースではなく水なのである。しかし、彼らは男が提案した解決策を誤解した。彼はホースを火の中に投げ込めとは言っていない。そんなことをしてもホースは焼けてしまうだろう。彼は、ホースを道にして火事の現場に水を届けようと提案したのだ(ホース自体を使うのではなく、ホースによって、あるいはホースから水を届ける)。ホースは貯水池と燃えている家をつなぐ橋と言える。

これこそが、教会が2,000年以上前から唱えていることなのである。すなわち、愛を届けるには道筋、つまり徳が必要なのである。愛は徳を通じてのみ届けられる。我々は、地球上のあらゆる愛を得ることができるが、たとえば、愛情の対象が子どもの場合など忍耐を必要とする状況で、その忍耐という徳をなくしたら、愛はその対象に届かないだろう。我々は心に大きな愛を抱えているが、崇高さ、あるいは正義、勇気、根気、純潔、節度、柔和さ、寛大さという徳を失っていては、周囲の炎を消すことはできないだろう。性急、思慮不足、移り気、怠慢、あるいは多くの人がそうであるように、経験(記憶)から学ぶことができない人、また、触れ合うことの喜びがわからない不節制な人は、その愛を自分から相手に届け、彼らの人生に輝きを与えることなどできないだろう。現代社会が抱える問題の解決策は、より多くの愛を得ることでもなければ、ましてや金銭を得ることでもない。人生においていかに徳を培うかを学ぶことである。ただし、「培う」という言葉通り、それには大変な努力が必要となる。野原を耕すほうが時間もかからず、ずっと楽である。徳を培うことは、人生において重要なことなのである。

世界で愛の大切さが叫ばれているが、それこそがこうした皮肉な状況の原因になっている。愛のために、平和のためにと語ることはたやすい。愛や平和について歌うことはもっとたやすい。しかし徳を得ることは難しい。だからこそ、現代社会では愛が崩壊しているのである。聖グレゴリーは、次のように述べている。「善行はすべて4つの基本的美徳の上に成り立っている。」これらはすなわち、賢明、正義、勇気、節制である。ソロモンの知恵(知恵の書)には次のように書かれている。「だれか正義を愛する人がいるか。知恵こそ働いて徳を得させるのだ。すなわち、節制と賢明、正義と勇気の徳を、知恵は教えるのである。人生にはこれらの徳よりも有益なものはない。」(知恵の書 八:7) しかし、社会は正義ではなく喜びを好むため、その努力の成果は徳ではなく、搾取と貧困、覚せい剤、中絶と安楽死、離婚と親権をめぐる争い、そして最後には戦争に至る。こうした問題に対して、普遍的な解決策はない。解決策は、一人一人が見つけていかなければならない。各自が、賢明な心、正義感に基づく意思、節度ある人間らしい感情、そして勇気ある精神を身につけるべく、責任を持って努力しなければならない。こうした努力がない限り、世界の現状は変わらないだろう。技術的にさらに進歩する一方で、道徳は退行していくと思われる。

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