自力で理解する人工妊娠中絶

Matsumoto,Nobuyoshi (マツモト・ノブヨシ)
松本信愛(聖トマス大学/ガラシア病院チャプレン)
1998年出版『いのちの福音と教育』
http://www2u.biglobe.ne.jp/~shinai/ronbun-frame.html
許可を得て複製

第1章 受精卵・胎児に関する考察

〈ねらい〉受精卵も胎児もすでに人間であるという実感を持たせる

〈資 料〉「受精から誕生まで」「胎児の胎内生活」「誕生前後」等のビデオ

まず、言葉の整理をしておきましょう。受精してから誕生するまでの人間は、「胎児」と呼ばれる以外に、 特にその初期には、「胎芽」または「胚芽」、および「接合体」または「接合子」と呼ばれることもあります。「接合体」 というのは、精子と卵子が受精した直後の受精卵を指し、「胎芽」は、その後より胎児と呼ばれるまでを指します。 英語でも、区別するときは、接合体をzygote、胎芽をembryo、胎児をfetusと言います。以前は、 日本産科婦人科学会では、妊娠8週未満を「胎芽」、8週以後を「胎児」と呼び、世界保健機関(WHO) でも8週以後をfetusと呼ぶのが常でしたが、最近の胎児学の発達の結果、特に「8週目」 を境にして呼び名を変える根拠はなくなったとされています。それでも、ごく初期段階で、 頭も手足の徴候も見えないときに胎「児」と呼ぶのも少し変なので、受精直後からごく初期段階までを「受精卵」と呼び、 以後適当に「胎児」という呼び名で呼べばいいと思います。これは、法的なものではありませんので、 その境目を週数等で決定することは避けておきます。最近は、英語でも、 同様の主旨でembryoとfetusを使用しているようです。

次に、妊娠の「週数」「月数」の呼び方についても整理しておきましょう。まず、一般的にはよく「月数」で呼ばれますし 、公的にも以前は「月数」で呼んでいましたが(例えば以前の「優生保護法」の中絶できる時期)、現在は、 特に断りがない限り、「最終月経の第一日より数えた満の週数」で呼ぶことになっています。特別な場合というのは、 たとえば、医学的な説明で「受精XX週」というときのように、本当に受精したときから数えるような場合とか、 以前の法律でまだ「月数」で数えている場合等です。

言葉の整理をしたところで、今回は、「人間はいつから人間なのか」ということについて考えてみます。

「実際にいつから人間か?」という質問は「現実に、いつから人間と呼ばれるか?(いつから人間扱いされるか)」 というのとは違います。「いつから人間と呼ばれるか(いつから人間扱いされるか)」ということに関しては、 現実に法律で決められたときになるでしょう。たとえば、「いつから大人と呼ばれるか(いつから大人扱いされるか)」 ということに関しては、法律が「20歳」と決めれば「20歳」、法律が「18歳」と決めれば「18歳」 ということになります。しかし、医学的または心理学的に、すなわち、「実際に」いつから大人なのかは、 法律によって決められるものではありません。むしろ、医学的、心理学的に検討し、「ある時点」 で大人であるという結論が出れば、法律の方がそれに基づいて変更されるべきです。同様に、「いつから人間と呼ばれるか (いつから人間扱いされるか)」ということに関しても、法律が「誕生の時」と決めれば「誕生の時」、法律が「 妊娠25週目」と決めれば「妊娠25週目」ということになるでしょう。しかし「実際に」いつから人間なのかは、 法律が先に決めるものではありません。科学的、理性的に「ある時点」で人間であるという結論が出れば、 法律の方がそれに基づいて制定されるべきなのです。この意味では、法律がどう定めているかよりも、科学的・ 理性的吟味の方が大切だと言ってよいのですが、多くの日本人にとって法律の方が先に来がちなので、まず、 法律に基づいて吟味してみましょう。

(質問1)「受精卵や胎児は人でしょうか? 人ではないでしょうか? 人でなければ何でしょうか?  まず法律的に考えてみましょう。

生徒が特に法律に興味を持っていないかぎり、正確な答は言えないでしょうが、いろいろと考えさせるのが目的ですから、 誘導尋問をすればよいわけです。以下の質問は順次回答を与えてから次に進みます。

(尋問例)

  1. 民法ではいつから「人」と認めているでしょうか?
  2. 妊婦を胎児も一緒に殺害した場合、「二人」を殺した罪に問われるでしょうか?
  3. 現在の日本に「堕胎」を禁じている法律はあるでしょうか?
  4. 1948年(昭和23年)にできた優生保護法では、当初「妊娠後いつまで」なら中絶できたでしょうか?
  5. その後、その「時期」に変化があったでしょうか? あったとすれば、「なぜ」変化したのでしょう?
  6. 病院は中絶した胎児をどうするのでしょう?

(1)に関しては、民法第1条の3項に「私権の共有は出生に始まる。」とありますので、「出生したとき」 というのが正解となりますが、ここで二点注意しておきます。まず、第1点は、これは、「私権」 すなわち人間としての権利がいつ与えられるかを言っているのであって、科学的、哲学的に「その時」 に人間になるというのとは観点が違うということです。第2点は、「出生」と言っても厳密なときはいつか、すなわち、 赤ちゃんの頭がのぞいたときか、体全体が母体外へ出たときかを問います。正解は、(民法では)体が全部出たときです。 これを「全部露出説」と言います。ここで(2)の質問に移るわけです。

(1)の回答からみるならば、胎児の体が全部出てしまわない限り「二人」を殺したことにはならないはずです。しかし、 刑法の「判例」は(胎児の体は母体の中でも)胎児の頭が少しでも外気に触れておれば、「二人の殺人罪」 となるという方を取ってきました。いわゆる「一部露出説」を取っているのです。 民法の全部露出説との間に時間のズレが生じています。

(3)の質問は、少しでもこのような問題に関心があればすでに答を知っているでしょうが、 日本では合法的に中絶ができるので、「堕胎」を禁じている法律などはないと考えている生徒もかなりいるでしょう。 むしろ、そのような生徒がいてくれる方が話を進め易いというものです。「刑法」にはれっきとした「堕胎罪」 が今でもあり、212条では「自己堕胎」が禁じられていて違反者には1年以下の懲役、213条は「同意堕胎」 で違反者は2年以下の懲役、214条は「業務上堕胎」で違反者には3カ月以上5年以下の懲役が定められています。 この法律がなぜできたのか、そして今も残っている理由等を考えてみるのもよいでしょう。少なくとも、 胎児のことがよく分からなかった時代でも、ある人々が主張していたように、胎児を母親の「できもの」 のようには考えていなかったということです。

(4)の正解は「妊娠8ヶ月未満」です。当時は「月数」で数えていましたので、 妊娠7カ月の終わりまでの胎児は同法によって合法的に中絶ができたのです。(現在の数え方では、「妊娠満28週未満」 ということになります。)

(5)の前半の質問の答をまとめて記しますと、合法的に中絶できる時期には以下のような変化がありました。

(イ)と(ロ)は実質的な変化はありませんが、それまで「月」で表していたのを(ロ)で「週」表記に改めたのです。 しかし、そのときは「未満」を使用しないで「以前」を使用しています。そこで、変化をわかり易く見るために、 全てを現在の表現方法に統一して表してみますと、実質的には以下の3段階の変化があったことになります。「 妊娠満28週未満」「妊娠満24週未満」「妊娠満22週未満」。結局、「この時期」を境に中絶をしてもいいか、 いけないかを決めているのです。それは、そこを境に「人間であるか否か」を決めているのでしょうか。 昭和51年末までは中絶が許されていた、満24週から27週の胎児も、昭和52年からは許されなくなるのですが、 それまでに中絶されていた満24週から27週の胎児たちは、「なにもの」だったのでしょうか。同じことは、 昭和52年から平成2年末までの、満22週と23週の胎児についても言えます。しかもその変化が「厚生事務次官の通知 」で行われているのです。厚生事務次官に胎児の命を取る時期を決める権限がどうしてあるのでしょうか・・・ このような疑問をみんなで考えてほしいと思います。

(6)に関する法律は、中絶された胎児が「4カ月以上」であれば、「死産届」を提出して「埋葬許可」を取り、 埋葬することになっています。ということは、4カ月未満なら汚物として扱ってよいということです。これから見ると、「 4カ月以上」の胎児は「人間」で、「4カ月未満」は「物」なのでしょうか。 このことについても皆で話し合ってほしいと思います。

(質問2)「日本の法律には胎児を人間扱いしているようなものはないのでしょうか?」

これも法律を知らなければ答えるのは無理ですが、以下のような法律が日本にもあるということを知らせるための質問です 。

(民法721条)「胎児は損害賠償の請求権についてはすでに生まれたものとみなす。」 (民法886条)「胎児は相続については、すでに生まれたものとみなす。」

これらは、胎児にも「損害賠償の請求権」と「相続権」を認めているわけです。もちろん、その権利の結果を得るのは生まれてからですが、とにかく、胎児にもそのような「権利」が認められているのです。「権利 」が認められている主体は「物」のはずはなく「人」のはずではないでしょうか。

ついでに、これは日本の法律ではありませんが、日本も認めていることなので触れておきます。それは、 1989年11月20日に国連総会で満場一致で採択された、「児童の権利条約」(この条約の「児童」 という表記はよくないということで、ある人々は「子供の権利条約」と呼びますが、政府訳が「児童の権利条約」なので、 ここではそれを使用します。ちなみに英語はchildで、対象は18才までです。)のことです。 日本では採択後4年以上経った1994年3月29日に批准され同年5月22日より施行されました。その「 児童の権利条約」の前文には、1959年11月20日に国連総会で採択された「児童の権利に関する宣言」 を引用して次のように明記されています。「児童は、身体的及び精神的に未熟であるため、その出生の前後において、 適当な法的保護を含む特別な保護及び世話を必要とする。」「出生の前後」すなわち、生まれた後だけでなく「生まれる前 」から「法的保護を含む特別な保護及び世話」の必要性を認めているのです。と言うよりむしろ、ここでは、生まれる「前 」も「後」もあまり区別していないと言うべきでしょう。 

以上、「法的」な観点から胎児について見てきましたが、ここからは、私達の頭を使って「理性的」に考えてみましょう。

先にみたように、法的には、赤ちゃんが生まれるか、まだ母親の体内にいるかで決定的な違いがありましたが、「 人間である」ということに関して、理性的考察の観点からは決定的な違いを見ることはできません。

例えば、すでに生まれた赤ちゃんを想像してみて下さい。その赤ちゃんの誕生の10日前は、まだ母親の体内にいたわけですが、もし、その10日前に帝王切開して取り出していたらどうでしょう。誰でも、 その取り出された赤ちゃんは、百パーセント「人間である」と認めるでしょう。同じ赤ちゃんは、1ヶ月前でも、 必要なら2カ月前でも同様に帝王切開で取り出して育てることができるのです。このように考えれば、赤ちゃんが、 母親の体外へ出るか、体内にいるかで、人間になったり、人間でなかったりするのではないということが納得できるはずです。体内ですでに人間であった者が、体外へ出てくる、 いわば、生きている「場所」が変わるのに過ぎないのです。

このことは、いわゆる超未熟児として生まれた赤ちゃん達のことを考えると、もっと現実味を帯びてきます。例えば、 1980年に千葉市立病院の未熟児病的新生児センターで生まれた赤ちゃんは「妊娠22週、522グラム」 で生まれて元気に育っていますし、1981年に聖隷浜松病院未熟児センターでは「妊娠23週、510グラム」 の赤ちゃんが誕生しています。1984年にはニューヨークで「20週、397グラム」の赤ちゃんが誕生したと報道されました。ギネスブックものでは、1938年にイギリスで世界最軽量の「283グラム」 の赤ちゃんが誕生して、立派に成人したと報告されています。

こうして、理性的に考えていくならば、妊娠20週、10週、5週・・・とさかのぼっていっても、結局は決定的な切れ目 (人間でないところから突然変異でもして人間になるところ?)は考えられないのです・・・受精の瞬間まで。

次に現代科学の目で胎児を見てみましょう。以前は、胎児の発育に関する知識は、 中絶された胎児を観察することによって得られるのが常でした。中絶手術を行ったことのある医師は、 何週目の胎児はどのようなものであるかということを目で見ていたはずです。彼らはそこに「非常に未熟な人間の赤ちゃん 」を見ることはできなかったのでしょうか。

1971年に出版された、剣持加津夫の『小さな生命』という写真集があります。(結婚生活社、絶版) 中絶された胎児の写真集です。「私はカメラを通してこの小さな生命の代弁者になりたい」 という著者の意図が十分に表れていて、形こそ小さいが、そこにあるのは、まさにバラバラ殺人事件と同じです。手、足、 頭、内臓などが引きちぎられている写真です。10週、11週目頃の胎児には、しっかりと5本の指がついており、 その手が中絶手術でちぎられています。この写真集を見ただけで、多くの生徒が「中絶はまさに殺人だ」 という実感を持ちました。医師達こそ、まず実感を持って胎児を人間と見ることができた人たちだったのではなかったのでしょうか。

今は、超音波診断装置などの発達で、誰でも容易に体内の胎児の様子を見ることができるようになりました。 画面に映っている胎児は目を動かし、指をしゃぶり、おしっこをしています。このように、 すでに私達と同じように目や手があり、母親とは別の血液(型)を持ち、子宮内で動き回っている胎児( そしてそのまま育てれば、私達と同じ一人の大人にまで育つ胎児)を、一人の人間の命とみないで、 単なる母体の一部と考えることは、もはやあまりにも無理があると言わなければならないでしょう。

トーマス・バーニーの『胎児は見ている』では、「厳密な科学的報告や研究結果に支えられて」 胎児の精神的活動にメスを入れ「胎児は、見、聞き、感じ、さらには母親の思考や感情を読みとることさえでき、 胎生6カ月目頃(ひょっとするともっと早く)から、積極的に精神的活動を行っている一個の人間なのである。」 という結論を引き出しています(小林登訳、祥伝社、1982年、「著者まえがき」)。 このテーマに関してもう少し深めたければ、レナート・ニルソンの胎児成長の写真記録『生まれる』(松山栄吉訳、講談社 、1981年)や、M.ゲイブリエル夫妻著、ヒューイ・陽子訳『胎児は語る』(潮文社、1994年)および、 同書の最後に挙げてある「参考文献」等が参考になるでしょう。

以上のように、科学は、胎児を「未出生の赤ちゃん」(unborn baby)としてとらえ、 肉体的にも精神的にも未発達な赤ちゃんが母体内で成長していく過程を私達に示してくれるようになりました。 ここでも少し理性を使えば、出産を予定しているときの胎児だけが「かわいい赤ちゃん」で、中絶が予定されたとたんに、 それが「人」でもなければ「赤ちゃん」でもなく「もの」のようになってしまうと考えることの不条理は、 誰の目にも明らかなのではないでしょうか。

ここでビデオを見せましょう。「受精の瞬間から誕生まで」「胎児の胎内生活」または「誕生前後」 をテーマにしているものなど。今は、超音波診断装置を利用したものや、 テレスコープといわれるカメラを利用したものなどでかなり詳しく見ることができます。目的は、 生徒達が自分の目で胎児を見て、これは紛れもなく「人間である」ということを実感することです。そのため、「中絶反対 」をテーマにしているものはここでは見せないで、次の段階で見せる方がいいでしょう。中絶反対の意見は、 胎児がどのようなものかを実感した生徒が自ら納得して導き出してこそ本当に力を発揮できるからです。(NHKの「 受胎の神秘」の「受精以後」、「母と子の絆」「赤ちゃん」等。サン・グラフ教育映像部の「生命創造」もよい教材です。 )

以上の過程を経て、生徒達が「胎児は人間である」という確信を持ってから、胎児や受精卵について、 教会がどのように教えているか説明します。

バチカンの教理省が1987年に発表した『生命のはじまりに関する教書』は、それまでの教会の教えを繰り返しながら、 人間の始期と受精卵に関して次のように述べています。

以上で明らかなように、教会も、受精の瞬間から「人格的人間(person)」であると断言はしていないのです。 人格的人間にふさわしいように「尊重し」「扱う」べきであると主張しているのです。「卵子が受精したときから、 両親とは別の生命体が成立することは、発生学と遺伝子学が示すとおり」ですが、どの時点で新しい生命体の「人格( person)」が始まるかは、科学も宗教も証明することはできません。しかし、 このような場合でも倫理的態度は明かです。まずこのように厳密に人かどうかわからない場合には、 その可能性のある時から慎重に(人間であっても問題がないように)取り扱うのが「倫埋的義務」です。 その点から考えれば、受精の瞬間から「人格的人間生命」と考え、それにふさわしい取り扱いをするのが正論です。 それは丁度猟師が森で動物を見つけたときに、銃を向けた獲物が「確かに人間でない」という確信がない限り、 言い替えれば、人間である「可能性がなくなる」まで、引金を引いてはいけないのと同様です。ですから、たとえ「 いつから人格的な人間生命か」ということを決定的に言うことができなくても、というより、 むしろ決定的にそれを言うことができないからこそ、その可能性のあるとき、すなわち「受精の瞬間」から「 人間生命のように」(あるいは「人間生命であっても問題ないように」)扱わなければならないのです。これが、「 倫理的要求」なのです。

このテーマの最後に、「胎内診断」に関する教会の教えについて触れておきましょう。新しい命をつくる過程においては、 かなりきびしい条件を主張しているように見える教会も、一旦芽生えた命に対する「治療」等に関しては、 かなり積極的に受け入れています。

バチカン教理省の『生命の始まりに関する教書』は、「胎内診断」について次のように述べています。「 受精卵や胎児を傷つけることなくその生命を尊重し、個人としてのその保護や治療のために行われるのであれば認められる 。」また、胎児に対して行われる「治療」に関しても「人間の胎児(受精卵・胚芽を含む) を傷つけることなくその生命を尊重し、必要以上の危険を冒さず、直接に胎児の治療と結びつき、その健康状態を改善し、 または個人としての生存を助けるようなものであれば、胎児に対して行われる治療行為は認められる。」と述べて、 受け入れています。むしろこれは当然の結論なのです。胎児も人間であれば、 私達と同じように病気を治すための治療を受ける権利もあるのです。

私達人間は、受精の瞬間より始まり、母体内で成長して出産を迎え、その後も成長を続けて成人となり、やがて、 いわゆる熟年を経て老衰していくのです。しかも、その間、本質的な変化はなく、 常に連続性を持って成長している一人の人間なのです。

第2章 人工妊娠中絶に関する考察

(ねらい)中絶は「大勢がしていて、法律でも罰されないから大したことではない」のではなく、「とんでもないこと」 なのだけれども「多くの人々がしていて、法律でも罰されないようになってしまっている」ということを理解させる

(資 料)『優生保護統計報告』(厚生省大臣官房統計情報部編、厚生統計協会発行ー毎年ー)「沈黙の叫び」(ビデオ)

胎児を「人間」と認めるならば、中絶は人を殺していることになり大きな倫理的問題となります。その場合は、「 産む産まぬは女の自由」という最近の中絶のキャンペーンも、「赤ちゃんを殺すも殺さないも女の自由」 というのと同じことになるのですから「とんでもないこと」だといわれるのも納得がいくはずです。しかし、胎児を「人間 」と認めなければ、中絶も倫理の大きな問題とはなりません。その意味では、第1章で見た「受精卵と胎児に関する考察」 が中絶問題の全てだといっても過言ではありません。「胎児」に関する考察で、生徒たちから自然に「 胎児は本当に一人の人間だ」「中絶するなんてとんでもない」という声が出なければ、こちらからいくら「中絶はだめ」 といっても効果はあまり期待できないのです。ですから、中絶の本質的問題は、第1章で取り上げている「 受精卵と胎児に関する考察」のテーマであったということにして、 ここではむしろ中絶の周辺の問題を取り上げてみたいと思います。

次の文は、ある医学博士のものですが、まず、この文章の「非論理性」について生徒に考えさせてみて下さい。

「もし、胎児を人間と認めるならば、理由が何であれ、人工妊娠中絶(堕胎)は殺人罪となるはずです。 これが殺人罪にならないのは、胎児はまだ『人間』のいのちではなく、単なる生物学的な『いのち』であって、 いわば人間の可能性にすぎないという考え方が根本にあるからであります。」(佐羽城治「人間の『いのち』 の問題ーいつから人間か、いつまで人間かー」、日本安楽死協会編『安楽死論集』第5集、人間の科学社、1981年、 197頁)

たしかに、胎児を人間と認めるならば中絶は殺人ということになります。しかし、「殺人である」ということと、「 殺人罪になる」ということとは別問題だということを、まず生徒たちに発見させて下さい。ここで「殺人罪」 といっているのは「法律の問題」なのです。そして、法律上「殺人罪」が成り立つためには、 そのことが法律で決められていなければなりません。ですから、たとえ「人の命を取っても」 殺人罪にはならないということがあり得るのです。

たとえば、日本における「死刑」について考えてみて下さい。死刑執行人はたしかに死刑囚を殺すことになるのですが、 もちろん、彼に「殺人罪」は適用されません。だからといって、誰も死刑囚が人間ではないなどとは考えていません。 しかし、死刑が法律で認められていない国で誰かが同じことをすればそのひとは「殺人罪」で罰されるでしょう。

ですから、極端なところ、もしも「満1歳の誕生日をもって人間と認める」などという法律が施行されたとすれば、 誕生から満1歳までの赤ん坊は、法的には「人間扱いされない」し、その赤ん坊を殺しても「殺人罪」 は適用されないということになりうるのです。(それにもかかわらず「倫理的には」1歳までの赤ん坊も「人間」なのです 。)これは暴論だと思われるかも知れませんが、古くは、奴隷を人間扱いしていなかった諸外国の奴隷制度時代や、 侍が町人を切っても罰されなかった「切り捨てごめん」のまかり通っていた日本の侍時代、比較的新しいところではナチス ・ドイツでユダヤ人やポーランド人をいくら殺しても殺人罪が適用されなかった例などがあります。当時、いくら「殺人罪 」が適用されなかったとしても、それらの被害者が倫理的に「人間」であったことを疑う人はいないでしょう。

そして、現在の日本の法律では、倫理的に「胎児は人間です」といくら叫んでも、法的には(ほとんど)「 人間扱いされていません」し、その命を取っても「殺人罪」は適用されないのです。しかし、すでに明らかなように、「 胎児を殺しても殺人罪にはならない」ということから、「だから胎児は人間ではない」 という結論を引き出すのは全く論理にかなっていないのです。

そのようなことを無視した佐羽氏は前出の文章に続けて次のように書いています:「今日では、 このような考え方が既に一般的になり、妊娠の人工中絶は日常のことであり中絶に際して、 情緒的なためらいや感傷はあっても、殺人という罪悪感を抱く女性はほとんどいないと考えます。」(同書197頁) そして、結論として、「『いつから人間か』という問いに対して、それは受胎の時でなく、 出産をもって始まるという私なりの結論を述べました。これは私の持論である、生命の『質』の問題、すなわち、 胎児は生物学的な『いのち』ではあるが『人間の生命』ではないという考え方を強調したかったからであります。」( 同書201頁)同書によれば、この論文はまず医学生たちの受験雑誌『医歯薬進学』(1980年9月号) に掲載されたとなっていますので、医学博士のこの文章の影響力は非常に大きかったと思われます。

ところで、第1章でも見たように、公共善に基づいて、日本国民としての権利と義務を法的にいつから認めるかという意味で 、「いつから人間と見なすか」という時期を法律によって規定するということは理にかなっているといえます。 それはちょうど、「いつから成人とみなすか」というのに似ています。法律によって現在の「20歳」を「18歳」 にすることも可能なのです。

しかし、法的に人間としての「権利・義務をいつ与えるか」ということと、倫理的に「いつ人間であるか」 ということとは異なりうるのです。正当防衛で相手を殺したとき「法的には」罰されないようになっていても、それで「 人間を殺したことにならない」のではなく、あくまでも「人間の命を取る」のですが、 それが特殊なケースとして法律で認められ罰されないということなのです。

ですから、法律に関して大切なことはその内容です。「正当防衛を認めるべきか」「安楽死を認めるべきか」「 死刑を認めるべきか」「臓器移植を認めるべきか」「満1歳から人間と認めるべきか」「誕生から人間と認めるべきか」「 受精から人間と認めるべきか」・・・法的には、正式手続きによって認められたものが効力を発するのですが、 法律で認められていることが必ずしも倫理的に妥当であるということではないということを前提に、 正しい判断力を養うことが必要です。これこそ教育の大切なところです。

倫理的に問題のある法律は、通常強制するものではなく、利用したい人は利用するが、 避ける気があれば避けて通れるものです。ただし、法律で罰されないだけについその庇護に入りたくなる誘惑があります。 中絶を合法化している「母体保護法」(旧「優生保護法」)は、罪のない人の命を取ることを認めている法律ですから、 どう考えても「悪法」といわざるを得ません。ただし、今の若者たちに「悪法」 だから利用しないようにというだけでは力がありません。あくまでも、自分たちで納得して、 自分たちで避けようと思わせなければ効果は期待できません。「法律で認められているのだからそんなに悪いはずはない。 」という考えを打ち砕くための以上の説明は、そのような若者に考えてもらうための第1ステップです。

第2ステップとして、そのような法律(「優生保護法」1948年7月13日、1996年9月26日より改正されて「 母体保護法」となる)がなぜ日本にできたのかを説明するのも役に立つと思われますので、 簡単な背景と経緯について見ておきましょう。この点に関しては、井上紫電「日本の堕胎」(P.マルクス著、土屋哲訳『 産まない自由とは何か』日本教文社、1972年、253頁ー274頁)に要領よく纏めてありますので、 手に入る方はそれを参考にして下さい。

「優生保護法」ができた1948年といえば、 日本はまだ終戦直後で多くの人々は食べることさえ満足にできなかった時代です。 そこへ約600万人もの外地からの引揚者や復員者があったといわれています。その上にいわゆるベビーブームで、 前年の出生数が260万人で、1948年が270万人でした。( 1995年の出生数はそれらの半分以下の119万人です!)こうして、人口過剰が本当に死活問題となっていて、 赤ちゃん(胎児)の命を取って人口増加を抑えるという方法でさえ反対しにくいような特殊な状況の中で、 人口増加を抑えるのに非常に効果的な方法として「妊娠中絶」を認める法律が国会を通ってしまったのです。しかし、 表向きは「人口抑制」のためとはいわないで、あくまでも「優生学上よい子孫を産むため」として「優生保護法」 という法律になったのです。(それが1996年9月の改正では、その法律の中の「優生学上よい子孫を産むため」 という内容を全て消し、「不妊手術」と「中絶」ができるという条項だけを残して、名前を「母体保護法」 と変えたのですから、この法律制定の当初の表向きの目的も完全になくなってしまって、「不妊手術」と「中絶」 が許される法律というだけになってしまいました。現在は「母体保護」だけが大義名分ですが、 世界で経済レベルがトップクラスの日本で、中絶の理由のほとんどは「経済的理由」なのです。)

戦後の特別な状況の中でも、初めからあまり自由に中絶ができるというのでは国会を通らないおそれがあるということで、 最初は非常に厳しい条件を付けて通しました。その条件とは、「分娩後1年以内の妊娠、または、 すでに数人の子供を有している者の妊娠で、その赤ちゃんを産むと母体の健康を著しく害する」と思われる場合に、 その判断をした医師以外のもう一人の医師の意見書を添えて、 保健所の区域ごとに設置される優生保護委員会に審査を申請し、O.K.を得た上で中絶の手術をすることができる、 というものでした。前に述べたような特殊な状況の中で、このような厳しい条件の下に、この法律が成立したのです。 そして、(当初の予定通り?)翌年より法改正を行って、やがて中絶が事実上野放しとなるのです。まず、法成立の翌年に 、「1年以内の妊娠」や「数人の子供を有している者」という規定が削除され、「妊娠の継続または分娩が身体的または、 経済的理由によって母体の健康を著しく害するおそれのある者」についても中絶できるようになり、いわゆる「経済的理由 」で中絶できるという内容が入れられました。それも、戦後の経済的困窮の中での「経済的理由」の追加だったので、 多くの人々に受け入れられてしまったのでしょうが、世界で経済レベルがトップクラスの現在でも、 中絶のほとんどの理由が「経済的理由」なのです。(1995年の統計では、年間中絶の99・ 927パーセントがこの理由の項目にあげられています。)そして、それから3年後(1952年)に、 ついに他の医師の診断も、地区優生保護審査会の審査もいらないことになってしまい、 中絶を行う医師一人の認定で中絶ができるようになり、中絶は事実上完全に野放しになってしまったのです。     第3ステップとして、赤ちゃんの命を取ってしまう中絶が、どの程度行われているかということを見てみたいと思います。 毎年「優生保護統計報告」が出ており、その数は一時に比べるとずいぶん減少しているのですが、( それでも交通事故死の30倍以上!)、その数字は現実より相当少ないはずだということを見てみたいと思います。

統計報告書によれば(すなわち、届けられた数だけで)、中絶件数は法律制定後、その改正と共に毎年順調に(?)延び、 25万(1949年)、49万(1950年)、64万(1951年)、80万(1952年)となっており、 1953年でついに100万の大台に乗ります。それから9年間100万代が続いて後、 届け出数は減少の一途をたどるのですが、 それは実数とかなりかけ離れているはずだということをいくつかの理由を挙げて見てみたいと思います。 

(実数はもっと多いであろう理由その1)

個人的には立派な医師を何人も知っていますが、医師の脱税が多いこともまた周知の通りです。新聞などによりますと、 必要のない薬を出すのはまだましな方で、出してもない薬を出したように報告したり、ひどいケースでは、 すでに亡くなった患者をまだ治療していたようにして治療費を請求したというようなニュースが報道されています。 それらは全て、そのようにして保険の点数を上げて請求しなければ収入が上がらないからです。 このようなことを考えるとき、保険が利かなくて現金で手術をする中絶は、届ければ税金がそれだけかかってくる上に、 届けなくても収入になるのですから、適当に減らして届けている医師がかなりいるのではないかと推測されているわけです 。医師の脱税行為が無くならない限り、このように勘ぐられても仕方がないのではないでしょうか。また、 手術の内容から見て、自分の手術のことを医師が届けていないことがわかっても、 どの患者もあえてそれを指摘しようとはしないでしょうから、医師の方も安心して少な目に報告できるわけです。そして、 誰もその報告された数字が実数に合っているかどうかチェックしようとしていないでしょうが、 たとえ誰かがそれを試みても、手術件数を報告するように義務づけている法律は、一ヶ月分づつ纏めて翌月の10日までに 、知事宛に、事後報告するようになっているのですから、実務上チェックは不可能な形になっているのです。また、 良心的な医師は良心的な医師で、中絶は倫理的にも医学的にもよくないことだとわかっているので、 あまり多くの中絶件数を報告することに躊躇があり、少な目に報告したくなるのです。

(実数はもっと多いであろう理由その2)

中絶届出数が100万代を続けていた頃と最近の「人口」「出生数」「中絶の届出数」を比較してみましょう。 例として1955年と1995年を比べてみましょう。人口は1995年の方が約3000万多いのに、 出生数は約60万少なく、届けられた中絶数も1955年が117万で1995年が34万と3分の1以下、 約80万も少ないのです。これはどういうことでしょうか。世はフリーセックス時代といわれ、 人口が3000万も増えており、出生数は正確であると思われるので、避妊のことを計算に入れても、 中絶数が届出数の何倍もあるであろうと推察するのは理にかなっていると思われます。

(実数はもっと多いであろう理由その3)

具体的な数字を示すものとしては次のような証言があります。「優生保護法」 制定の時に国会議員として自身尽力した太田典礼医博は、自著、『堕胎禁止と優生保護法』の中で次のように述べています :「中絶届出数は年々うなぎ上りになり、百万をこえてきた。 しかも実数は少なくともその2倍ないし3倍あるだろうと推測され、5倍はあるとする意見さえ出るに至った。 いずれにしても、出生数をはるかに上まわっていることは疑いない。」(人間の科学社、1967年、182頁)次に、 前述の井上紫電先生によりますと、厚生省公衆衛生院人口室長村松稔氏は、『厚生の指標』誌の昭和46年3月号の中の「 わが国における出産抑制の分析」と題する論文で、「昭和40年の届出中絶件数は84万であるが、実数は310万、 すなわち届出数の3・7倍と推算している」ということです。(P.マルクス 前掲書 258頁)太田氏にしても、村松氏にしても、立場上、故意に大げさにいうはずもないので、 これらの数字は少なく見積もってもこの程度はいえるということではないでしょうか。

以上見ましたように、報告書の中絶数は実際の何分の一かであると思われます。もし全てが報告されてその数が、200万 、300万となれば人々ももう少し真剣に中絶のことを考えるのではないかと思われます。 この辺の事実を生徒たちにも理解しておいてもらいたいと思います。

ここでビデオ「沈黙の叫び」を見せましょう。すなわち、そんなに多くの中絶が行われているのか、と驚いたところで、「 中絶」という名の下に実際はどんなことが行われているのかを見てもらうわけです。 このビデオは生徒によってはかなり刺激が強いでしょうから、ビデオの後は、 話し合いより各自静かに感想文を書かせる方がよいでしょう。その後で、それらの感想文に基づいて(日を改めて) 話し合うのもよいと思います。

ここで一つ注意していただきたいことがあります。中絶のむごさ等を見せた後は、必ず、母親になることのすばらしさ、 すなわち妊娠できることのすばらしさを(特に女生徒に)知らせる配慮をして下さい。このフォローがないと、 妊娠することをいやなものとして記憶したり、恐るべきもの、または、避けるべきものとして受け入れてしまい、 悪くすると将来の結婚生活に悪影響を及ぼすからです。

最後に、中絶に関する教会の立場を少し整理してみましょう。第1章と第2章の説明を終えた上でなら、 教会が中絶に反対しているということを、単に「古い」とか「堅い」とかいう印象ではなく、 納得できるのではないでしょうか。

教会の中で、中絶に関して古いところでは、西暦1世紀の末に書かれたといわれている『十二使徒の教訓』にすでに「 胎児や幼児を殺すなかれ」と書かれています。(佐藤清太郎訳、中央出版社、1965年、11頁)以来、 教会は常に中絶を断罪してきましたが、比較的最近で主なものを少し挙げてみます。まず、 第2バチカン公会議では次のようにいわれています:「あらゆる種類の殺人、集団殺害、堕胎、安楽死、 自殺などすべて生命そのものに反すること・・・はまことに恥ずべきことである。」(「現代世界憲章」27番)「 堕胎と幼児殺害は恐るべき犯罪である。」(同 51番)また、バチカンの教理省は1974年に「堕胎に関する宣言書」 を発表して、信仰・理性の両面からこの問題に光を当てています。(邦訳『堕胎に関する教理聖省の宣言』 カトリック中央協議会、1975年)そして1995年に発表されたヨハネ・パウロ二世の回勅『いのちの福音』( 裏辻洋二訳、カトリック中央協議会、1996年)では、多くの頁が中絶の問題に当てられています。 その中からいくつかを引用しておきましょう。

「行われてしまった人工妊娠中絶はどのような手段でなされたものであれ、 受胎から出産へ至る人間としての生存の初期段階にある胎児を、意図的に直接に殺害することです。・・・ そこで抹殺されるのは、いのちのごく初期にある人間です。」(58番)

「人工妊娠中絶は一人ひとりの責任の域を越え、一人ひとりに向けてなされた危害の枠を越え、 明らかに社会的な次元に挑戦する問題となっています。」(59番)

「直接的な人工妊娠中絶は、つまり目的として意図された人工妊娠中絶であろうと、手段としてのそれであろうと、 罪のない人を意図的に殺害することなので、つねに重大な道徳上の不秩序をなすのです。」(62番)

「立法機関あるいは社会の過半数が、少なくとも一定の条件のもとに胎児殺害は合法であると宣言するとき、 人間としてもっとも弱い者、何ら身を守るすべを持たない者に対して、実際には『専制君主的な』 決定をしていることにはならないのでしょうか。」(70番) 

最後にヨハネ・パウロ二世が同回勅の中で「中絶を経験した女性」 に宛てて書いている部分を紹介してこのテーマを結びたいと思います。

「教会は、皆さんの決心に影響を及ぼしたと思われる多くの要因があることを知っています。また教会は、多くの場合、 それは苦渋に満ちた、身を裂かれるような決断であったであろうことを疑いません。皆さんの心の傷は、 いまだにいやされていないかもしれません。確かに、現実に起こったことは大きな過ちでしたし、 今なお過ちとして残っています。けれども、落胆のうちに沈み込まないで下さい。望みを失ってはなりません。むしろ、 起こったことをよく理解し、それに誠実に向き合うようにしてください。まだ悔い改めていないなら、 謙遜と信頼をもって悔い改めに身をゆだねてください。いつくしみ深い父はゆるしの秘跡によって、 そのゆるしと平和をあなたに与えようと待っています。決定的にすべてが失われたのではないことが、 やがて分かるでしょう。そして、今は主のもとで生きるあなたの子供に、ゆるしを求めることもできるでしょう。 他の人々からの友情に満ちた、専門的な援助と助言によって、さらに皆さん自身が味わった痛ましい経験の結果、皆さんは 、すべての人がいのちの権利を持つことのもっとも雄弁な擁護者となりうるのです。 これから子供たちの誕生を受け入れることによって、 あるいは自分の身近にいてくれる人を必要とする多くの人々を迎え入れ、世話をすることによって、 いのちとかかわることをとおして、皆さんは人間のいのちに対する新しい見方を推進する人となるでしょう。」(99番)

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