避妊に対する教会の道徳的教え

アンソニー・コップ神父
説教:Part II

「これはアンソニー・コップ神父による3回続きの説教の2回目のものです。」

今カトリックの夫婦は、どのくらいの子どもを産むように神から求められているのでしょうか。自分たちを良き聖なるカトリックの夫婦と考えるために、カトリックの夫婦はたとえば25人もの子どもを産まなければならないのですか、というこっけいな発言に答えないままにしておいたのですが、その質問に今お答えしましょう。35年前の第ニバチカン公会議において示された教会自身の教えを参考にするのが一番良いでしょう。その1965年の公会議の最終文書が「Gaudium et Spes」つまり「現代世界憲章」であったことを思い起されるでしょう。「Gaudium et Spes」の中には、人間のいのちの問題、つまり子どもをこの世界にもたらすことに関する部分があります。私は、私たちの教会のその公式の教えを参照することによってその質問に答えることがよいと考えました。私は特に50節目を参照し、それを読んで見たいと思います。そこには次のように書かれてあります。「婚姻と夫婦愛はその本性上、子どもを産み育てることに向けて定められている。事実、子どもは婚姻の最も貴重なたまものであり、両親自身の善のためにも大いに寄与する。…夫婦は人間の生命を伝達し、人間を育てる任務を自分に固有の使命と考えなければならない…夫婦は自分が創造主なる神の愛の協力者であり、いわばその解釈者であることを知っている」

さてたった今「Gaudium et Spes」の中からあなた方に読んだその文章についていくつかコメントをいたしましょう。まず第一に、教会は私たちに婚姻と夫婦愛はその本性上、子どもを産み育てることに向けて定められているということを教えていますが、それは神が福音の中で明らかにされているのを前回見ての通りのことです。今まで私が宗教を教えると学生が私に次のように言うときがありました。「神父さん、結婚したくても子どもが欲しくなければどうなのでしょう。私たちは結婚しても子どもは作らないつもりなのです。」私は即座に、それなら結婚すべきではない。なぜならあなたはまだ結婚する準備ができていないからですと言いました。神が教えておられるように、教会は私たちに結婚の第一の目的は子どもをこの世のなかに生み出すことだと教えています。したがって、結婚して子どもを作らないのは明らかに間違っています。また公会議は、子どもは結婚における単なる一つの贈り物ではなく結婚の最高の贈り物だと教えています。母や父となっているあなたがたは、子どもが生まれたあと子どもを手にとってきっとこのことが本能的にわかったと思います。結婚の最大の贈り物は、新しいいのちつまり子どもなのです。その子どもを抱き締めたとき、これが夫婦の愛情の表現であることはきわめて明らかなことです。それは本当に美しい贈り物なのです。そのときまた、子どもは両親自身の善のためにも大いに寄与することも理解することができるのです。

私には子どものいる2人の姉妹がいますし、当然2人の義理の兄弟もいます。結婚してから、子どもを持つことによって彼らが大変変わったことが私にははっきりとわかります。子どもを持つことは夫婦をよい方に必ず変えるのです。なぜなら子どもを持てば、あなたがたは愛情、特に自分を犠牲にする愛情を深めていくことが明らかに必要だからです。あなたがたは子どものために自分を犠牲にすることが必要ですし、また忍耐力や他の美徳も培わなければなりません。したがって、子どもを作ることは、夫婦に大きな利益、特に精神的な利益をもたらすのです。私たちはまた、夫婦には創造主である神の愛と協力するという特権があるということも読み取れるのです。ご存じのように、神は人を天から産み落とされるのではありません。夫婦は新しいいのちをこの世界にもたらすことにおいて神と協力する必要があります。神が一人でそのことをなさるのではありません。夫と妻は、子どもをこの世にもたらすことにおいて、創造主である神と協力をしなければならないのです。だから結婚した夫婦が創造主である神にどんなに近いかちょっと考えて下さい。神とそんなに親密な関係を持って働けるということはなんと素晴らしい贈り物でしょうか。

さてそれでは、神が子どもをこの世にもたらすことに関して何を望んでおられるかという問いの答えにはなりませんね。神はどのくらいの子どもを望んでおられるのでしょうか。私たちが最初に心に留めておかなければならないことは、公会議がこの部分の最後で私たちに語っていることで、そこには次のように書かれています。「神から託された任務をこのように果たす夫婦の中で特記すべきは、慎重と共通の同意と勇気をもって多くの子どもをりっぱに育てるよう引き受ける人々である。」

言い換えれば、教会は私たちに、多くの子どもをこの世にもたらすことにおいて寛大で勇気のあるカトリックの夫婦は特に賞賛されるべきだと教えているのです。もちろん歴史的に見ておわかりのように、過去30年から40年の間ずっとカトリック教徒で大家族の人はかなり一般的なことでした。私は5人子どもがいる家族で育ちましたが、今であれば5人の子どもの家族とは大家族だと考えられるでしょう。正直に言えば、私の妹や弟が生まれた時には、私は時々両親に、「どうしてそんなにたくさんの子どもを産まなければならなかったの?」と不満を言ったものでした。私たちは貧しかったので、お金も物もあまりありませんでした。どうしてそんなにたくさんの子どもを産まなければならなかったのでしょう。利己主義的な観点から、もし子どもの数が少なかったら、もっと暮らしが楽で、新しい車やカラーテレビなどのもっとすてきな物が買えるのにと私は思いました。

20年30年経ってそのことに目を向ければ、そのような子どもが5人もいる大家族の中で育つということは素晴らしいことであったことがわかります。それは人生で私たちが頼ることができる人々は、究極的には家族だからなのです。3人の妹と1人の弟がいて、ある程度人生を共有できるということは私にとってなんと素晴らしいことでしょうか。大家族の中で育つことができることはなんて素晴らしいことでしょうか。教会は、多くの子どもをこの世にもたらすことにおいて寛大で勇気のあるカトリックの夫婦は特に賞賛されるべきだと教えているのです。

しかしあなたがたは、その文章の中で、慎重と共通の同意と勇気をもって決定されなければならないという言葉が教会によって話されていることに気づいたはずです。言い換えれば、その決定は夫婦によってなされるということです。この部分の最初で、教会はこのように教えています。「この判断は、最終的には夫婦自身が神の前において行なうべきものである。」言い換えれば、いのちをこの世にもたらすことにおいてどのくらい神と協力するつもりであるかについての決定を神の前で共に下さなければならないのは夫婦なのです。神父として私は、あるいは他の神父も、司教も、さらには教皇も、あなた方は5人子どもを作らなければならないと言うことはできません。神の前で、神と相談して、神の前で祈り、神に「主よ、何人子どもを産むことを私にお望みでしょうか。」と尋ねながら決めるのは、夫婦であるあなた方なのです。そのことを第一に心に留めておかなければなりません。それは神の前での夫婦の共通の決断なのです。

また教会は、このことを決断するときには慎重な判断の後、ある種の要素を考慮しなければならないと言っています。そのような要素のいくつかは、また教会によってリストアッブされています。それには、夫婦自身のためとすでに生まれている又はこれから生まれる子どものためを考慮すること、時代の風を読む能力、夫婦の物質的精神的レベルの状況、そして最後に家族と社会のため、そして教会のための判断が含まれています。言い換えれば、神の前で祈り決断をする夫婦は、決断にいたるときに特別な要素を心に留めておくべきなのです。

子どもを産むことを遅らせる又は子どもを産むことを止めるための正当な理由がいくつかあります。その正当な理由とは何でしょうか。3つあります。最初の理由は次のものです。それは経済的な理由と呼んでいいでしょう。言い換えれば、もし夫婦がお金がない、家がないという状況にあるならば、子どもを産むことを遅らせることが賢明で分別のあることでしょう。私は子どもを産むことを1年半遅らすことに決めた夫婦の例を知っています。彼らがそうした理由は、夫がそのとき収入がなかったということです。彼は医学研修中で、家族の中で収入を得ていたのは妻だけだったのです。したがって夫が収入が得られる仕事を始めるまで彼らが子どもを作ることを延期したことは分別のあることでした。したがって一つの理由として経済的な理由があります。子どもを産むことを思い止まる二つ目の理由は、遺伝学的な理由です。言い換えれば、生まれてくる子どもが深刻な障害を持って生まれることがかなり確実な場合です。このことは子どもを産むことを思いとどまる正当な理由になりうるでしょう。最後に3番目の理由ですが、それは健康です。子どもを産むことで女性の健康が危険にさらされることがかなり確実な場合、それは子どもを産むことを遅らせる、又は生涯子どもを産まないことの正当な理由となりうるでしょう。これらは明らかに重大な理由です。

夫婦は教会の教え、つまり夫婦は自分たちの行動において、自分たちの嗜好だけに従ってはならないというということをいつも心に留めておかなければなりません。彼らは良心に従い、またその良心は神のおきての本物の説明者である教会の教えに照らして神のおきてに従うものでなければなりません。したがって、夫婦として神の前でこの決定に達する時、夫婦は教会の教えを心に留めておかなければならないのです。教会が神のおきての説明者なのです。今日その役割を忘れてしまっている夫婦が信者の中にたくさんいるのではないかと思います。人間のいのちを受け入れる決定を下すときに、あなたはキリスト教会の教えを心に留めておかなければなりません。もちろんそうしないことは、神の声を聞かないことです。

それでは私がこの説教の中でたった今述べたこのようなことをするメリットは何でしょうか。「Gaudium et Spes」の最後の文に次のように書かれてあります。「神の摂理に信頼し、犠牲の精神を尊び、人間として、またキリスト者としての強い責任感をもって人類繁殖の任務に従事するキリスト者の夫婦は、創造主に栄光を帰し、キリストにおいて完徳に向かうのである。」あなたがたは犠牲の精神を持ち、神の摂理を信頼してこれらの責任をはたすとき、神聖で聖人に近い存在となるのです。さて、そうなると最後の問いが残ります。それは夫婦として人間のいのちを産むことに寛大であるが、子どもを産むことを遅らせる又は結婚生活で全く子どもを産まないことができる正当な理由がある場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか。そうすることができる正当で道徳的な手段とは何でしょうか。どのようにしてそれをすればいいのでしょうか。またそれは次回の説教の中でお答えしましょう。


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Part III: (3回目の説教に続く)