いのちの始まりと連続体の確立

Kischer, C. Ward (C. ウォード・キッシャー)
「脚注は英語の記事を参照。」
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英語原文より翻訳: www.lifeissues.net

いのちの始まりとその連続体の確立は、生物学者(発生学者)にとって理解が難しい事実ではない。残念ながら、これらの事実は、政治的な見解に都合がいいように再解釈、再定義されてきた。したがって、ヒト発生学は、社会法律的・政治的な声明として書き直される危険に面している。

1973年に判決が下ったロー対ウェード裁判は、法律と科学の分岐点となった。Blackmun判事は、多数意見として次のように述べた:「我々は、いのちがいつ始まるかという難しい問題を解く必要はない。医学、哲学および神学の各分野に長じた人物でも、何らかのコンセンサスに達することは不可能であり、人類の知識が発達途中である現時点において、司法は答えを推測する立場にない。(1)

受精卵の廃棄に反し、受精卵の権利を明確化するための時間に伴う価値としていのちを扱うことを基本的に排除することで、どの廃棄が母親の法的権利になるかの以前に、裁判所は、母親にとって都合の良いポイント、あるいは条件を独断的に設定した。この独断的なポイントは生存可能性とされ、受精後24から28週間の間とされた。(2) Blackmun判事は、生存可能性を個と結びつけ、胎児が「人工的な補助があったとしても、母親の子宮外で」生存できる時点と見なした。(3)

167人の著名な科学者

その後、ウェブスター判決において、ここでもBlackmun判事により書かれた多数派意見で、ロー対ウェード裁判の判決が確認された。ただし、この判決において、Blackmun判事は、被上訴人の支援を受けた11人のノーベル賞受賞者を含む167人の著名な科学者および医師の法定助言者の意見書(Amici Curiae Brief)を使用した。(4)

167人の信任状を掲載した信頼できる情報源を利用して、American Men and Women of Scienceを調べた。(5) 事実、1992‐93年版を使用したが、死亡したか、一時的にリストが外されたことが原因で、66人が見つからなかった。しかし、注意条項に101人がリストに記載されていた。その内、略歴紹介で「発生学」または「発生学の」という言葉が使われていたのは31人だけだった。これら31人の科学者のうち、9人が索引で発生学者として紹介され、1人が発生学者を自称していたが、ヒト発生学者は1人もいなかった!(6) これらの科学者が「被上訴人の支援を受けて」ヒトの発生について語ること(あるいは語らないこと)の信頼性を確立するには、明らかに大きな問題がある。ヒトの発達について最もよく理解しているのは、ヒト発生学者である;しかし、科学についてのこれらの情報源は、有力な理由が明らかだったとしても、調査されていなかった。

ヒトのいのちの始まり

上記の概要には、下記のように記されている:「ヒトのいのちが受精、胎児発達のある段階、あるいは誕生の瞬間に始まるという科学的なコンセンサスはない。」(7) 受精、胎児の発達および誕生は、完全に生物学的(厳密には発生学的)用語である。その声明では、哲学的または神学的な含意の示唆や表明はない。この声明の誤りは、単純な演繹法および受精の結果が新しいいのちの始まりであるという無数の観察結果により、明らかである。

ヒトのいのちの本質

この概要の後半には、下記の記述もある:「ヒトのいのちが本当はいつ始まるのかという問題には、どの特徴によってヒトのいのちの本質が決まるのかについての結論が求められる。科学によって特定の生物学的特徴を検知できるとしても、どの生物学的特徴によってヒトの存在が確立されるかの答えを科学から得ることはできない。」(8) 法廷助言者(amici)が「生物学的」特徴を哲学と神学を除外して言及していることは明らかである。

彼らの声明に対する回答は、数十年前からヒト発生学において知られていた。最適な回答は、ノーベル賞受賞者でタバコモザイク病ウイルスの発見者であるWendell M. Stanleyの記述に含まれる:

「いのちの本質は、生殖能力である。これは、無秩序から秩序を作り出す、あるいは半秩序または混乱からでさえも、あらかじめ決められた特定のパターンを作り出し、そのパターンを形成するすべての要素が、時間経過と共にそのパターンを永久化するエネルギー利用によって達成できる。それがいのちである。」(9)

ロー対ウェード裁判の影響

最高裁は、ロー対ウェード裁判での判決、すなわちいのちの始まりを特定することはできないという内容の見直しを潔しとしていない。(10,11) したがって、この人工的な空白において、Eleanor Smeal(当時、米国女性協会、NOWの会長)が1989年に唱えた:「いのちが誕生後に始まることは誰でも知っている」など、ナンセンスな声明が多数発表された。(12) こうした空白により、個がいつヒト、あるいは人間になるのかに関してもっともらしい議論も行われた。その結果、受精した卵子、あるいは接合子は十分な発達に必要な情報を持たない;(13) 発達の遺伝的制御は「分子制御」と同等であり、こうした制御は妊婦によって維持される;(14)直観、自己認識が、ヒトになることに相当する個の始まりを表す(15)、という奇妙な主張などが発表されることになった。これらはすべて学問的に興味深い課題だが、いのちの始まりの特定において、妥当性も意義も持たない。

いのちがいつ始まるかについての知識を否定することで、最高裁は、新しい個がヒトになる時点、あるいは人格性が授けられる地点を確立した。これにより、遺伝的、発達的、機能的、行動的、社会的、および心理的な個として、そうした補助的な質が引き合いに出されることになった。(16)これは、Blackmunが、医学、哲学および神学の分野を「いのちはいつ始まるのかという難しい質問」に結びつけたことに関連している。(1)

いのちと最初の接触

事象としてのいのちは、進化という意味で、複製(生殖)イベントが持続するようになった約35億年前に始まった。おそらくは多数の複製イベントが起こったが、持続しなかったと考えられる。しかし、最終的に、そうしたイベントの1つが、我々が存在するいのちの連続体の始まりとなり、今日に至ったのである。現在、我々は、いのちの本質として生殖を認識することの重要性を理解している。生殖は、いのちの連続体を支えている。

したがって、その後、進化し、多様性という利点を生むことになった有性生殖において、受精は、新しい個が始まり、連続体を維持する時点になった。このことは、受精の最初のイベントである精子と卵子の最初の接触が、まさに連続体が始まる瞬間になる(である)ことを意味している。

最初の接触後に一連のイベントが始まると、精子の染色体と卵子の染色体を結合させるためのプロセスが起こる。これは、配偶子結合と呼ばれる。この段階が、個の始まりと提案されている。技術的な観点から、これは正しいと言える;しかし、配偶子結合は最初の接触の結果として起こるため、いずれにしてもこれは生じるのである。

最初の接触が新しい個の始まりとして認識されなかったことで、個性化についてその他の独断的な時点が論じられることになった。受精後14日までの初期胚が複数に分裂する可能性があると仮定されることから、一卵性双生児(1つの受精卵から分裂した2人)が発生する状態は、個性化を決める時点として紹介された。したがって、個性化は、14日後まで起こらない。(15) ただし、一卵性双生児の35%が、発達初期の第1または第2分割期に、胚細胞(分割球)の分裂から発生するという発生学的事実は無視されていた。(17) 回顧的に言って、これは、いわゆる個の早期決定を示している。

受胎、受精、妊娠

新しい個の特定(すなわち、新しいいのちの特定)を遅らせようとする試みが、受胎の定義の転換に見受けられる。テーバーの網羅的な医学辞書は、受胎を「男性の精子と女性の卵子の結合;受精」と定義している。(18) モスビーの医学辞書も、受胎を受精と同等のものとして定義している。(19) ステッドマンの第22版医学辞書は、「子宮内膜への胚盤胞の着床」と定義している。受精については一切触れられていない。(20) しかし、ステッドマンの第26版では、受胎を「子を宿す、または妊娠すること;受精」と定義している。(21) 同じ版では、妊娠を「赤ん坊誕生に至る受胎」と定義している。(21)ドーランドの医学辞書では、受胎について2つの定義を用いている:1「胚盤胞の着床で表される妊娠の始まり」;および2「生存可能な接合子の形成」。(22) ドーランドの辞書は、妊娠を「体内に発達中の胚または胎児がいること」と定義しており、幾分矛盾している。(22)テーバーの辞書は、妊娠を「子宮内に発達中の胚がいること」と定義している。(18)モスビーの辞書は、妊娠を「受胎から胚および胎児期を経て出産に至るまで、新しい個が女性の体内で成長し、発達する解胎プロセス」と定義している。(19)こうした矛盾はどこから生じているのか?下記の書籍にヒントがあるだろう:Albert Rosenfeldの書籍Second Genesis(23)の化学的避妊薬に関する議論において、脚注に下記の記述がある:

「これらの物質は、精子が卵子に侵入し、受精すること‐受胎の古典的な定義‐を妨害しないため、これらは、厳密には避妊薬ではない。それらの作用は、新たに受精卵が子宮に着床するのを防ぐことである。この干渉は、受胎後に行なわれるため、そうした行為を中絶の一部と考える人もいる。この袋小路を回避する方法が、ケンブリッジのDr. A.S. Parkesによって提案されている:受胎を受精の瞬間ではなく、着床の瞬間と考える。わずか2、3日の違いである。」

政治的な正当性は、ヒト発生学という科学の内外を縫うように進んでいる!

ヒト発生学者の弁

発生学とは、新しい個の始まりから終焉に至る発達を研究する学問である。したがって、我々は、現代の著名なヒト発生学者が新しいいのちの始まりとヒトの始まりについて何を述べるかに注目すべきである:

逆に言えば、この著者が、上記の真実を否定する記述を目にしていないことは注目に値する。生物学的事実が政治的に扱われた場合にのみ、曖昧な表現が現れるのである。

米国の最高裁は、ヒト発生学において既知の生物学的事実と結局は相対し、ロー対ウェード裁判で具現化され、ウェブスター裁判で確認されたいのちの始まりに関して、不明瞭な解釈を行なったことを認めなければならない。

まとめ

要約:受精卵は、生きている存在、ヒト、個としてのヒト、人間であり、これらは1つのものとして切り離すことができない。これが真実である理由を下記に示す:

精子が卵子と接触した瞬間から、我々が理解でき、通常と見なす条件下において、生きた新生児の誕生までのすべての連続した発達は、既成事実となる。すなわち、精子と卵子が最初に接触した後、母親、あるいは胚や胎児は、中断や停止することなく、連続した瞬間や段階を経ていく。誕生までの十分な発達を継続し、完了するために、男性からの第2の関与、信号または誘因は必要ない。ヒトの発達は連続体であり、いわゆる段階が重なり合い、相互に交じり合う。事実、いのちのすべては、時間の連続体に含まれる。したがって、新しいいのちの始まりは、いのちの本質である生殖イベント、すなわち受精の開始によって強いられることになる。

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