「いのちの聖域」への生殖医療の介入新事情

Itonaga, Shinnichi (イトナガ ・ シンイチ)
出典:糸永真一司教のカトリック時評
2014年1月15日掲載
許可を得て複製

旧ろう30日付の朝日新聞は、「卵子で遺伝子一括診断 数千種類の病気 精度9割以上」の見出しで新しい生殖医療を米 ・中の大学が開発したと報じた。結婚した夫婦だけに保留された“いのちの聖域”への医療技術の介入新事情である。

まずは新聞が報じる内容を見てみよう。「受精卵の卵子を壊さずに、 筋ジストロフィーなど数千種類の病気を起こす染色体や遺伝子の異常を一度に見つける方法を、 米ハーバード大と北京大の研究チームが開発した。9割以上の精度で異常を見つけることができた。チームはこの手法で『 より健康な卵子』を選んで体外受精させ、妊娠成功率の向上や遺伝病を防ぐ臨床研究を始めるとしている」

さらに言う。「新たな手法は、妊娠後に行う出生前診断と違い、診断の結果によって中絶せずにすむ。また、 受精卵の一部を取り出して調べる着床前診断とも違い、受精卵を傷つけずに済む。しかし、新手法は体外受精が不可欠だ。 親が好む容姿や才能を持つ赤ちゃんを作る『デザイナーベビー』に応用でき、生命操作につながるとの懸念の声も出ている 」

こうした記事のあと、新手法の内容が説明されているが、これ以上ここに紹介する必要はない。 新手法は妊娠中絶を避ける良い方法であるかのように強調されるが、問題は、卵子を使って診断を行い、 親の好みに従って選ばれた卵子を体外受精させることであって、 その限りでは結婚した夫婦のみに許された生殖行為に第三者が介入することには変わりなく、 倫理的にゆるされない行為であることである。この点について、教会の教えを、『生命のはじまりに関する教書』 (教皇庁教理省・1987)から、少し長いが引用する。

「人間の生殖は、なぜ結婚している者同士の間で行わねばならないか。全ての人間は、 どのような場合でも神からの賜物として受け入れられるべきであるが、倫理的観点からいえば、 胎児に対して真に責任ある生殖とは、結婚の成果としてのそれである。

なぜなら、人間の生殖は、親と子の人間としての尊厳という特別な性格を持つからである。一つの新しい生命の誕生は、 父親と母親が創造主の力と協力することによって行われ、互いに与え合う夫婦の愛と忠実のしるしであり、 実りであるべきである。結婚によって結ばれている夫婦間の忠実には、 二人が相手を通してしか父親や母親にはなれないという権利を尊重し合うことが含まれる。

子どもは結婚している両親によって受胎され、この世に生まれ、育てられる権利を有する。 子どもが自分のアイデンティティーを発見し、人間としての自分自身の発達を全うするのは、 自分自身の親と認められる者たちとの安定した関係があってこそである。

親にとって子どもは、自分たちが互いに与え合ったことの証拠であり完成である。子どもは親の愛の生きたイメージであり 、夫婦のきずなを永続的に示すしるしであり、彼らが親たることを解消不可能な形で表現するものである。

さらに、人間の使命と社会的責任を考えれば、子どもと親にとっての善は、社会にとっての善に結びつく。 社会の活気と安定のために、子どもが家庭において生まれ、家庭もまた結婚に基づくことが必要である。

教会の伝統に基づいて、また人間学的な立場から考えれば、真に責任ある唯一の生殖の場は、 結婚とその解消できない絆の中にこそあると言える」

以上のとおりで、夫婦による生殖行為という「神の領域」すなわち「いのちの聖域」 に第三者である生殖技術とその執行者が介入することは現に慎まなければならない。教書の次の教えは重要である。

「最近の科学技術の発達によって、性行為から切り離された形での生殖の仕方、 つまり男女から採取しておいた性細胞を試験管内で受精させるという生殖方法への道が開かれた。しかし、 技術的に可能であるからといって、それが倫理的にも認められるということにはならない」

「夫婦の性行為における二つの意味、すなわち夫婦の『一体化と生殖』という意味の間に『神によって望まれ、 人間によって断ち切られえない密接なつながりがあることは、結婚と人間の生殖に関して教会の教えるところである。 夫婦の性行為はその本質上、夫婦を一体化させると同時に、彼らが新しい生命を生み出すことをも可能とするが、 それは男と女の存在自体に刻まれている法則である。…結婚の二つの成果のいずれかを積極的に排斥する程度まで、 夫婦行為の二つの意味を分けてしまうことは、どんな場合にもゆるされない』

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