東日本大震災と「いのち」の神秘

Itonaga, Shinnichi (イトナガ ・ シンイチ)
2011年6月10日掲載
出典『糸永真一司教のカトリック時評』
許可を得て複製

物資文明の豊かさを享受してきた日本人は、突如襲ってきた大震災によって人間のはかなさをあらためて思い知らされた。しかし同時に、人間のいのちをいとおしむ心もまた強く意識されたのではないか。そこで、いのちとは何か、その神秘を考えてみよう。

そもそも、人間は肉体と霊魂からなる人格的統一体であり、「パン(ものとカネ)だけではなく、神の言葉(人間創造のご計画)によって生きるべき存在」(マタイ4,4参照))である以上、大震災から立ち上がる被災者をはじめ、日本自体の新生において、政治・経済だけでなく、真に「いのちの神秘」を生きる高貴な召命を持つ存在としての復興プラン、新生プランがなければならぬ。

ところで、人間は、自らの力で生きるのではなく、生かされている存在であるという自覚は日本人共有の感覚であると思う。しかし、その実体が何であるかについては必ずしも確かではない。このことについて第2バチカン公会議(1962-65)は言う。「実際、人間の秘義は人間となった神の言葉(キリスト)の秘義においてでなければ本当に明らかにならない。事実、最初の人間アダムは未来の人間すなわち主キリストの予型であった。最後のアダムであるキリストは、父とその愛の秘義を啓示することによって、人間を人間自身に完全に示し、人間の高貴な召命を明らかにする」(『現代世界憲章』24)。

周知のとおり、「最初の人間アダム」とは人祖のことであり、人類の最初の親であるとされる。そして「最後のアダム」とはキリストのことで、あがなわれた新しい人類の頭(かしら)とされる。最後のアダム・キリストによって、人間の本当の秘義が明らかにされたというのである。この「いのちの神秘」を『カトリック教会のカテキズム』(1992年)はその序論の冒頭で次のように説明している。

「神は、限りなく完全であり、神ご自身において幸せであったにもかかわらず、純粋に善意のご計画により、お望みのままに、人間をご自分の幸せないのちにあずからせるために創造されました。それゆえ、神は、いつでも、またどこでも、人間の近親となっておられます。神は人間に呼び掛け、人間が神を探し求め、神を知り、そして、力を尽くして神を愛するよう、人間をお助けになります。罪が離散させたすべての人間を、ご自分の家族である教会の一致の中に呼び集められます。このことを成し遂げるために、神は、定められた時が来たとき、その御子をあがない主、救い主としてお遣わしになりました。神は、御子のうちに、また御子を通して、聖霊の交わりの中で、人間を神の養子、従ってその幸せないのちの世継ぎとなるよう招いておられるのです」(第1項:筆者逐語訳)。

ここに示された教えの要点を三つほどあげておこう。

大震災後、復興のための多くの議論があるが、あまりにも政治的かつ経済的な議論ばかりである。「復興ではなく新生を目指せ」というパラダイム転換の議論も一部にあるが、その本質は必ずしも明確ではない。だから、「神の愛によって愛のために」という「いのちの神秘」を愚直に生きる社会の構築こそ、新生日本建設のヴィジョンでなければならないとわたしは確信している。

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