人類は一つの家族

Itonaga, Shinnichi (イトナガ ・ シンイチ)
『糸永真一司教のカトリック時評 』
2008年1月10日 掲載
http://mr826.net/psi/catholic/0711-0810/4eba985e306f4e003064306e5bb665cf/
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毎年、1月1日はカトリック教会が設定した「世界平和の日」である。教皇ベネディクト16世の2008年「世界平和の日」メッセージは、「人類という家族―平和の共同体」をテーマとして発せられたもので、平和であるべき世界の基本的な理念を表明した極めて重要な問題提起である。かなりの長文で濃密な内容なので、ここには問題提起の意義を指摘しておきたい。

(1)メッセージのもっとも重要な指摘は、「世界は一つの家族であり、平和の共同体である」というテーマである。交通や通信の分野で世界はすでに一つであり、現在、国連に加盟しているのは192の国と地域であって、ほとんどすべての国の人々が一つの国際連合に組織化されているから、形の上では人類は一つの家族といっても過言ではない。しかし、国連に加盟していても日本と北朝鮮などのように国交正常化がなされていない、いわば敵対する国々が残っており、一方に互いに対立して争う国々があれば、他方では国際テロが頻発してこれと戦う国がある。それに、軍拡競争や経済戦争も熾烈を極めている。だから、とても世界は一つの家族、平和の共同体とはいえない現実を認めざるを得ない。

従って、このような現実を前にするとき、平和の日の提案がいかに重要であるかがわかる。教皇は第2バチカン公会議を引用して言われる。「神は、全人類を地上の至るところに住まわせられたので(使徒言行録17・26参照)、すべての民族は一つの共同体をなし、唯一の起源を有する。また、すべての民族は唯一の終極目的をもっており、それは神なのである」(『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』1)。

しかし、教皇が指摘するこのキリスト教的原理は果たして世界の人々を説得できるだろうか。現実の世界は多様な文化や宗教が混在する多元社会であり、さらには一神教を批判し、無神論・無宗教を標榜する人々も多数存在している。従って、人類一致の基本原理をどこに求めればよいか、問題は極めて複雑微妙である。そこで教皇は、「人類共通の道徳法」に言及しておられる。これは、人間の心に刻印され、理性によって認識される、いわゆる「良心の法」を意味するであろう。平和の教皇ヨハネ23世は、不朽の回勅『地上の平和』においてやはり良心の法を地上の平和のための万民共通の倫理的秩序の原理として提示された。この良心の声は時として宗教や信条の違い、あるいは道徳的生活の乱れや習慣によって曲げられたり弱められたりもするが、根本的なところではおおよそ一致して善を命じ、悪を禁じるものであって、従って、世界が一つの平和な共同体となるために、万民が良心に立ち返って人類家族としての意識を確立する道は開かれていると思う。良心の声は世界を「多様性における一致」に導き、そのルーツを尋ねれば人類の共同の父なる神にたどり着くだろう。

(2)もう一つの重要な指摘は、家族としての人類の原点は結婚によって成立する安定した家庭にあるということである。メッセージは言う。「男と女の結婚に基づく、愛といのちの親密な交わりである自然な家庭は、個人と社会が人間らしくなる第一の場であり、生命と愛のゆりかごです。それゆえ家庭を第一の自然な社会と定義することは適切です。家庭は人間の人格の基盤となる、神が定めた制度であり、あらゆる社会秩序の原型です」(No.2)。従って教会は、家庭をもっとも小さな原初の人間共同体と呼んできた。そして、家庭は社会の生きた細胞、社会を生かす細胞とも呼んできたのである。

しかし、今日の世相をつぶさに見れば、多くの家庭が崩壊しているか、崩壊寸前の危機にあることが分かる。かつて「いのちの聖域」である家庭がいまや人工妊娠中絶などの「死の文化」に覆われていると前教皇ヨハネ・パウロ2世は言われたが(回勅『新しい課題』(Centesimus Annus)38参照)、今日では家庭内暴力や幼児虐待があとを絶たず、親殺し子殺しが増加する傾向にある。さらに、親の教育的権威は失われ、思いやりと無償の奉仕の精神も培われず、果ては結婚や家庭に縛られず自由に生きたいとシングル志向も広がっている。何よりも、このようにして結婚や家庭本来のイメージや観念が失われることがいちばん怖い。もちろん全うな家庭を営む向きはいまだ健在ではあるが、はびこる家庭の危機は世界平和の危機でもある。

以上の意味から、今年の平和の日メッセージはきわめて重要な指摘であり、この一年間を通して研究かつ実践すべき課題であろう。

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