生命の始まりについて

Itonaga, Shinnichi (イトナガ ・ シンイチ)
『糸永真一司教のカトリック時評 』
2008年3月10日 掲載
http://www.mr826.net:8080/psi/catholic/0711-0810/751f547d306e59cb307e308a306b306430443066/
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「カトリックの影響が強いドイツでは、法律で胚の作製や研究利用を厳しく規制しているが、(中略)わが国には、こうした大原則はない。科学技術の進歩を後追いする形での法や指針があるだけだ。この機会に、宗教や哲学、科学などの学問の垣根を越えた幅広い英知を結集し、国民の合意を得るべく公開の場で「人」の始まりや終りを論じてみてはどうだろう」。

さる2月20日の朝日新聞「私の視点」欄で富山大学教授(哲学)盛永審一郎氏は、『生命倫理―公開の場で論じ合意得よ』と題して、生命の始まり等に関する「生命倫理の原則を定めた法の制定」を提案している。このほかにも、ある記事で同じ富山大学の秋葉悦子教授(刑法)の次の発言が引用された。「欧州ではキリスト教の立場を踏まえて、生命倫理をめぐる議論がなされる。そこにどれだけの葛藤があることか。日本では参照する原則がはっきりしない。人間とは何かという問題にかかわる以上、根源にさかのぼって考える必要がある」(1月13日の朝日新聞文化欄『万能細胞とバチカン・科学に問う生命の根源』)。

日本の学界からカトリック生命倫理の観点に立つ問題提起が行われるのは極めて珍しくまた貴重で、大いに歓迎したい。盛永教授が言う「疑わしい場合は生命の利益に」(in duvio pro vita)という指摘は極めて重い。世論の積極的な反応を期待したいところである。そのためにも、人間の生命の始まり、特に人間の受精卵はいつ人間になるのかについて、カトリックの主張を参考までに紹介する。

本題に入る前に、「人間の生命の超越的尊厳」(ヨハネ・パウロ2世回勅『新しい課題』46)を確認しておかなければならない。いうまでもなく、人間の肉体は物質界の一部であるが、人間を人間たらしめる霊魂は直接神の創造に成るものであり、肉体と霊魂を合わせた全体としての人間は、知恵と自由を備えた神の似姿として神のいのちに参与し、また、造られた世界に対する究極の支配権を持つ神の意向に従って地を治める使命と責任を委託されている。従って、人間は生物進化の法則の及ばない超越的尊厳を持つものであり、「人のいのちは地球よりも重い」と言われる所以である。この尊厳ゆえに、生物医科学は人間の生命に奉仕すべき立場にあり、人間の恣意に基づいてこれを支配することは断じて許されない。

1)受精の瞬間から人間のいのちが始まる

「卵子が受精した瞬間から父親や母親のそれとは異なる一つの新しい生命がはじまる。それは、自分自身の成長を遂げるもう一人の生命である。受精のときにすでに人間となるのでなければ、その後において人間となる機会はありえないであろう。この不変かつ明白な事実は現代遺伝学の成果によって裏づけられている。すなわち、現代遺伝学によれば受胎の瞬間から、受精卵の中にはその生命が将来何になるのかというプログラムが組み込まれていることが証明された。それはつまり、受精卵は一人の人間、しかも特定の特徴をすでに備えた一人の個人となるということを意味する。受胎のときから人間の生命は冒険を始めるが、それが持つさまざまの偉大な能力は、発揮されるまでに時間がかかるのである」(教皇庁教理省『生命のはじまりに関する教書』第一章の1)。

2)霊魂はいつ宿るか

「いつ霊魂が宿るかということは経験による実験的データからだけでは示すことはできないが、にもかかわらず、受精卵についての科学的なこれらの結論は重要な示唆を与えているといえよう。それを踏まえたうえで理性に基づいて考えるならば、われわれは、人間の生命が初めに現われた瞬間から、そこに一つの人格の存在を見いだすことができる。ヒトの個体(human individual)であるものが人格的存在(human person)でないということがありえるだろうか。人格(パーソン)の定義について教会は哲学的な発言をしているわけではない。ただ、倫理の立場から人工中絶をたえず断罪するのである」(同上)。

3)受精卵の不可侵の人権

「したがって人間の生命は、その存在の最初の瞬間から、すなわち接合子が形成された瞬間から、肉体と精神とからなる全体性を備えた一人の人間として、倫理的に無条件の尊重を要求する。人間は、受胎の瞬間から人間として尊重され、扱われるべきである。そして、その同じ瞬間から人間としての権利、とりわけ無害な人間だれにでも備わっている不可侵の権利が認められなければならない」(同上)。

「受精の瞬間から自然死に至るまで、すべての人間の生命の尊厳と不可侵の権利は厳密に擁護されなければならない」というカトリックの生命倫理は、個人や家庭ばかりでなく、人類全体の平和と幸福の原点である。この生命倫理があいまいにされ、個人や国家の都合(恣意)によって曲げられ、無視されるとき、この世は不幸と「死の文化」の闇に覆われる。わたしたちはあまりにも多くの悲しい現実を見てきた。生命倫理の確立は緊急の課題である。

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