家庭の教育的役割とその危機

Itonaga, Shinnichi (イトナガ ・ シンイチ)
『糸永真一司教のかトリック時評』
2006年12月1日 掲載
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家庭教育の重要性とその内容、そしてその危機的状況について考える。

いま、教育に関する議論が盛んである。学校崩壊や教育崩壊の言葉が飛び交い、教育のひずみやゆきづまりが心配されているのである。そこで今回は、教育再生の鍵であると思われる家庭の教育的役割とその危機について、日ごろ思うところを述べてみたい。

人は家庭を通して生を受ける

人類の幾世紀にもわたる経験と、聖書の教えに照らしてみると、人は、愛し合う夫婦の間に、神と夫婦との「愛の実り」としてこの世に生を受け、安定した家族共同体の中で成長し、そして世に出て行くものであることは明らかである。創世記によれば、神は天地創造のはじめ、最初の人アダムについて「人が独りでいるのは良くない。彼にふさわしい助け手を造ろう」(2,18)と言って女を創り、彼に娶わせて祝福し、「産めよ、増えよ、地に満ちよ、そして地を従わせよ」(1,28)と言われたとある。こうして結婚によって始まった家庭は、生涯にわたって夫婦がともに暮らす生活の基盤となり、新しいいのちが生まれて育つ「いのちの聖域」となったのである。

家庭教育とは

ところで、家庭教育は、子どもが生まれてから成人するまでの間、父母またはそれに代わる保護者の教育的権威の下で行われるが、その主たる役割は二つある。一つは、人格としての精神的な基盤を培う宗教教育であって、そこから、いただいたいのちの神秘と召命を学び、「神からの心の声」として良心に従う誠実な人間となるよう育てられる。

もう一つは、「社会的徳性」の習得、または「社会性」(註1)の涵養である。要点は四つある。コミュニケーションのための言葉を覚え、仕事に集中して自己を統一する習慣を身につけ、タテ・ヨコの人間関係を円滑にする愛や尊敬のマナーを学び、次第に自立して自由に行動する責任主体となっていく。家族の暖かい愛情と親しい交わりの中で、子どもは容易にこれらの社会性を身につけることができるから、「家庭は社会的徳性の最初の学校である」とも呼ばれてきた(註2)。

家庭教育崩壊の危機

このように、しっかりした家庭教育において人格の基礎付けがなされた子どもは、簡単に切れたり、暴力を振るったりすることもないであろう。しかし、今その家庭がさまざまに崩壊し、その教育的環境を失いつつある。家庭内離婚や実際の離婚、少子化や核家族化、生活のすれ違いや家族団らんの喪失、はじめから結婚と家庭を望まない未婚の母や、夫婦愛の自然の営みを通らない試験管ベビーや代理母など。もともと子どもを育てる資格のない親のもとで、また、壊れた家庭環境の中で育つ子どもたちの苦難と将来が見えて悲しい。堅実な温かい家庭と教育環境を取り戻すために、わたしたちは今、何をすればよいのだろうか。


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