誰それって誰のこと?

ダイアンヌ・アーヴィング医学博士
英語原文より翻訳: www.lifeissues.net

(ストーリー)

キャリーとティムはわくわくしていた!とうとう親になれるかもしれない。長くて暗い過去の数年間が続き、キャリーが再び妊娠するなどという希望はほぼ絶望視されていた。深く傷ついた組織のせいで、彼女は生殖力がないと診断されていた。それは過去数回の中絶、性病そしてIUDによるものだった。しかし「イン・ビトロ受胎」クリニックのおかげで、二人の問題は解決した。技術者たちが11の胎児になる直前の胚を受精させることに成功し、それらをキャリーの子宮に移植しようというのだ!

彼らの方策はこうである:11個の胎児になる直前の胚のうち、3つは遺伝病のため廃棄された。そして8つの健康なものが残された。5つが実際に移植されるが、そのうち3つは妊娠中に「減らされて取り除かれ」残りの2つに最大限のチャンスを与えるのである。他の3つは凍らされて、後に移植されたり、廃棄されたり、あるいは実験のために寄付されたりすることになるというのである。

キャリーとティムは、人間の胎児学の基礎、医学的手順、リスクと利点そして提示されている方策などを詳しく説明した複雑な「インフォームド・コンセント」の内容を勉強した。するとある一つの疑問が二人を悩ませた。「一体、これらの小さな胚とは何なのだろうか?」と二人はIVFのリサーチャーに尋ねた。「それらのいくつかを廃棄するのは、道徳的に間違っているのではないだろうか?」

「まさかそんなことはありません。」というのが答えだった。「この業界の専門家達は口をそろえてこれらがただの造血幹細胞の柔軟な集まりだと言っており、文章の最後にあるピリオドくらいの大きさのものなのです。」と続けた。

「それらは「何」であって「誰」ではないのです。」と説明を続け、キャリーとティムの不安を和らげようとした。「インフォームド・コンセント」の書類にサインがされ、その方策が実施されることになったのだった。

(ストーリーの分析

「誰」ではない、とは一体どういうことだろうか?まず最初に、事実を見極め、誤った専門用語及び説明と区別することにしよう。

まず、「胎児になる直前の胚」なるものは存在しない。研究者たちが勝手に造った言葉である。これらの小さな「何」はすべて、本当は「誰」なのである。つまり小さな人間なのである!

ここでは二つの問題が混同されている。つまり、一つは科学的なものであり、もう一つは哲学的なものである。科学的事実とは、受精の時点でキャリーとティムの小さな胚は「すでに」本物の生きている人間だったということ。だからキャリーとティムは「すでに」親となっていたのである。移植が行われる前から、である!これは「信仰」のことをいっているのではない。世界中の胎児研究者たちが認めている客観的な科学的事実なのである。これと反対のことを主張する者は間違っている。図書館で胎児学を調べてみるといい。

そして哲学的問題の方だ。これはつまり彼らも人間であるということだろうか?私たちと同じ人間だというのだろうか?倫理的法律的権利及び保護を与えられた人間だということなのだろうか?

答えは「イエス」である。人間であるかどうかは、そこに人間としての性質が備わっているかどうかによるものであり、その時点で実際に人間としての機能や行動が行われているかどうかではないのである(例えば、自意識過剰とか、やる気があるとか、選り好みをする、愛情がある、痛みや快楽を感じるなど)。そうでなければ、大人でさえ、精神的に病気だったり昏睡状態だったり、アルツハイマーやパーキンソン病に侵されていたり、薬物依存症、アル中、身体障害などだと、あるいは私たちだって眠っている間だと、「人間」ではなくなってしまうのである!例外などない。すべての人は同時に人間なのである。

キャリーとティムのようなIVF夫婦は「すでに」親であるのだから、彼らには「すでに」二人の子どもを危害から守る道徳的、法律的義務があるのである。つまり、彼らには、どんなに魅力的な方策に聞こえようとも、検査の結果子どもを廃棄したり、立派な兄弟姉妹を産ませるために何人かを中絶したり、いかなる理由にせよ破壊的な実験のために凍らせたり寄付したりするようなことがあってはならないのである。よい結果を期待して悪を働いてはならない。


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