人間はいつから人間になるのか?
「科学的」神話と科学的事実

ダイアンヌ・アーヴィング医学博士
英語原文より翻訳: www.lifeissues.net

筆者の紹介

ある学会で人間の生命がどの時点で始まるかを議論していた際、一人の婦人科医が「中絶手術を執行するとき、あなたは子宮内の子供がもう人間になっていると信じますか?」と質問されたときのことです。彼の正直な答えは以下のようなものでした。

「もちろん、だれでもそれが人間であることぐらい分かっています。それは猫とか犬ではありません」 「では、それが人間であると分かっているのに、なぜあなたは平気で中絶手術ができるのですか?」 「それは人間ではあっても、わたしたちはまだ入国許可証を交付しているわけではありません」

「この世界に誕生する入国許可証を交付するのは神であって人間ではありません。」これが質問に対する正解です。

現代、一部の倫理学者たちは上記の医師より不正直です。彼らは母親の体内に存在し始める受精卵が二週間もしくは四週間経過するまでは人間でない、と主張します。脳が形成されるまでとか、それ以外にも、自分たちが決定するときまではまだ人間になっていないと主張することさえあります。

科学者・哲学者であるダイアンヌ・ナットウェル・アーヴィング博士は「とんでもない!」と言います。以下の論文で博士は人間が始めから、つまり受精の瞬間から人間である科学的証拠を提供します。ダイアンヌ・アーヴィング博士は Human Development Hoax: Time to Tell the Truth (人間発達の嘘・今や真実を話そう!)をヒト胎生学者ウォード・キッシャー博士と共同執筆しています。1991年、ワシントンのジョージタウン大学に提出したその博士論文のタイトルは「極初期胎芽の性質を哲学的・科学的に分析する」でした。博士は米国きっての倫理学者です。

アーヴィング博士はまた生化学研究者であり、生え抜きの生化学・生物学研究員としてメリーランド、ベセスダの国立衛生研究所、国立ガン研究所で7年にわたって奉職していました。博士はカトリックの諸神学校、大学で哲学史と医学倫理を教え、多くの医学論文を発表しています。また、しばしば倫理学に関する集まりでも講師・顧問を務めます。

博士の記事は当初 The International Journal of Sociology and Social Policy (1999, 19:3/4:22-47)Tに発表されました。短くするために最初の部分は省略してありますが、大切な部分は以下にみられるように質疑応答の形で組み入れてあり、テキストは100%博士の文章です。この研究論文を日本語に翻訳する許可をくださった博士に感謝します。

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導入

人間の肉体的・物質的次元が性的生殖のどの時点で開始するかは、厳密に科学的問題であり、回答する資格があるのは基本的にヒト胎生学者であって、哲学者、生命倫理学者、神学者、政治家、レントゲン技師、映画俳優、産科医、婦人科医ではありません。人格としての人間がどの時点で存在し始めるかは哲学者が答えるべき問題です。妊娠中絶、(クローニング、造血幹細胞研究、異種間生殖によるキメラを含む)胎芽の研究、中絶促進剤使用に関して今なされている論議は、一人一人の人間の生命がどの時点で始まるかという特定の主張を含みます。もし、これらの議論の基礎になる「科学」が間違っていれば、どんな結論も根拠を失い、無効になってしまいます。本論の目的はまず第一には、よく聞かれる「科学的」神話の実例と、これらの論議が根拠にするはずである客観的な科学の事実に焦点を当てることです。少なくとも、それはこの比較的簡単な科学的問題に関するヒト胎生学者たちの、現在、国際的にも一致している考えを明確にすることでしょう。最後の部分で「人格」についてなされる哲学的論争において多くの混乱を引き起こしたある種の「科学的」神話にも触れたいと思います。【注意・論文前半の「ヒト胎生学の基礎的事実」が省略されていますが、その主な部分は以下のテキストに含まれています。】

「科学的」神話と科学的事実

ヒト胎生学の基礎的事実を理解すれば、妊娠中絶、胎芽の研究、クローニング、造血幹細胞研究、異種間生殖によるキメラを含む)中絶促進剤使用に関する論争の中で主張されてきた多くの科学的に不正確な主張をもっと容易に見分けることができるようになります。また、なぜこのような議論が客観的な科学的事実を混迷させるかも分かりやすくなります。以下はこれら「科学的」神話のいくつかの例です。(文中の下線は異なる主張から読者を守るためのものです)。

神話1

中絶に反対する人たちは、胎芽もしくは胎児の中絶が人間の生命を破壊するから間違っていると主張するけれど、人間の精子と卵子も人間の生命です。ですから、彼らは人間の精子と卵子の破壊も中絶と同じである、と主張することになるのではないですか?それはおかしいのではないでしょうか?

事実1

科学的に言えば「人間の生命」を所有する人間の一部と、実際に「人間」である胎芽、もしくは胎児の間には根本的相違があります。中絶は人間の破壊です。人間の精子もしくは人間の卵母細胞の破壊は、どちらも人間でないのだから中絶にはなりません。問題は人間の生命がいつ始まるかでなく、むしろ一人一人の人間の存在がどの時点で始まるかです。人間の腎臓とか肝臓、人間の皮膚細胞、人間の精子もしくは卵母細胞には人間の生命が宿っています。しかし、これらは人間ではなく、人間の部分でしかありません。もし、単一の精子もしくは卵母細胞が女性の子宮に着床させられても、それは育つことなく、分解してしまいます。

神話2

受精の結果は単なる「小塊」もしくは「細胞の集まり」もしくは「母胎組織のかけら」でしかありません。

事実2

受精の際に形作られる人間の胎芽組織は人間そのものであり、単に「小塊」もしくは「細胞の集まり」などではありません。この新しい人間個人の中には父親と母親の染色体が入り交じっているので、単に「母胎組織のかけら」などではあり得ません。胎生学者のカールソン博士を以下に引用しましょう。

父親と母親の染色体の混合によって、受精卵は遺伝学的に染色体的の新しい取り合わせによって唯一無二の存在です。この事実はどの種の生存にとっても重要です。15(下線は編集者による。)

まず、配偶子形成と受精の間に科学的には非常に大事なことが起きます。つまり、単に「人間の生命」があるだけにしか過ぎない、一人の人間の単なる部分(つまり精子)と別の人間の一部分(普通、卵子とか卵と呼ばれる)卵母細胞から、新しい遺伝学的に唯一無二で、新しく存在し始める、個で、完全な生きた人間(単細胞の胎芽である受精卵)が生じるのです。つまり、受精の瞬間に人間の部分がそれ以前とは極めて異なる一人の人間に変化させられるのです。受精の過程によって精子と卵母細胞はもう精子と卵母細胞ではなくなり、新しい人間が生じるのです。

神話3

受精の直接産物は本当に存在する人間ではなく、人間になる可能性のある何かであるに過ぎません。

事実3

上に述べたように、科学的に受精の直接産物は新しく存在を始める人間以外の何者でもありません。人間の配偶子は人間です。それは人間になる可能性がある何者などではありません。もっと大きく育ち、その可能性を発展させる可能性を秘めた本当の人間です。

考慮すべき重要点は受精です。オライリーは受精を以下のように定義します。

精子が二次的卵母細胞もしくはその外層と接触で始まり、受精卵の最初の有糸分裂中期における父方と母方の染色体の融合に終わる過程(手持ちの原文で省略してあるために主語しかない)。受精卵は受精における最後の段階の特性を示しており、最初の卵割紡錘体によって見分けることができます。それが単細胞の胎児です。(下線は編集者による。)

受精時に(23の染色体がある)精子と(23の染色体がある)卵母細胞が融合すれば、その結果存在するようになるのは、人類一人一人の特徴である46の染色体を備えた生きた人間、つまり単細胞の受精卵です。以下にムーアを引用。

受精卵・この細胞は卵母細胞と精子の融合から生じます。受精卵は新しい人間(つまり胎芽)の始まりです。受精卵という表現は精子によって受精させられた二次的卵母細胞のことです。受精が完遂したとき卵母細胞は受精卵になります。10(下線は編集者による。)

受精卵は(人参とか蛙の酵素と蛋白質ではなく)新しい人間の始まりに他なりません。11 そして発生学的に自分の成長発達を方向付けます。(実に、この発生学的成長と発達は母親によって方向付けられるのでないことは証明済みです。)12 最後に、この新しい人間、つまり単細胞の受精卵は生物学的に一人の個人であり、一つの生きた有機体、人類の一員です。ラーセンを以下に引用。

発達する人間を描写するとすれば、新しい個人の初期的発達の引き金になる受精の際に融合する男女の性細胞もしくは配偶子の形成と分化ということになります。13(下線は編集者による。)

以上をまとめると、成熟した人間精子と成熟した人間卵母細胞はそれぞれに23の染色体が備わった配偶子形成の産物です。それぞれには人間に必要な染色体数の半分しかありません。ですからそれぞれがそれ以上人間に発達することはできません。それらが産出するのは「受精卵」蛋白質と酵素だけです。ですから自分自身の成長発展を方向付けることはありません。そして、言うまでもなく、それらは個人、つまり人類家族の一員ではありません。それらはそれぞれが人間の部分でしかありません。その反面、人間は受精の直接産物です。それとして、彼もしくは彼女は単細胞の胎芽的受精卵、つまり人類の一員であるために欠かすことのできない数である46の染色体を備えた有機体です。この人間はすぐに、人間としてその後の自分の成長発達を方向付ける人間特有の蛋白質と酵素を産出し始めます。つまりそれは新しい、発生学的に唯一無二、新しく存在し始めた、生きた人間個人なのです。

受精後、単細胞の胎芽は別のものに変化するわけではありません。それは8週間の間にいくつかの段階を経て発達しながら、単に細胞分裂を繰り返して、大きくなっていきます。成長しつつある胎芽のこれらの発展段階には特別の名前があります。例えば、約4日目には桑実胚、5〜7日は胞胚、2週間目には二層胎芽、3週間目には三層胎芽と呼ばれます。14

神話4

単細胞の受精卵にしても胎芽にしても、人間のようには見えないから人間ではありません。

事実4

ヒト胎生学者であればだれでも知っているように、単細胞の受精卵、もしくはさらに発達した胎芽、さらに胎児は人間です。それらの発達段階ではまさにそのように見えるのが当たり前なのです。

神話5

受精後に存在するのは男でも女でもない「中性のそれ」です。

事実5

受精直後に存在するのはすでに発生学的に男か女のどちらかです。性別は卵母細胞に授精する精子の種類によって決定されています。再度、カールソン博士を以下に引用しましょう。

将来の胎芽の性別は精子の染色体的補体によって決定されます。(もし精子に22の常染色体と2Xの染色体があれば胎芽は発生学的に女であり、もし精子に22の常染色体とXとYの染色体があれば胎芽は発生学的に男です。)16

神話6

「胎芽と胎芽期」は着床時に始まります。(14日後にとか3週間後にという神話もあります。)

事実6

以上が、時として特に生命倫理学の文献にある、似非科学的記事でもっともよく繰り返される神話です。上に説明したとおり、人間である胎芽は5〜7日経過した後の着床とか、14日後とか、3週間後にでなく、受精によって始まります。ですから胎芽期は受精によって始まり、胎児期が始まる8週間目の終わりに終わります。以下にオライリーを引用しましょう。

出生前の生命は便宜上胎芽期と胎児期という二つの段階に分けられています。体の諸構造が大方出現する厳密な意味での胎芽期は排卵後の8週間です。胎児期は8週間の終わりから誕生まで続きます。17(下線は編集者による。)

神話7

受精の産物は14日目までは胎芽ではなく「胎芽以前の何か」でしかないので実験に使用したり、中絶したり、贈与したりできます。

事実7

この「科学的」神話は、現代、文献でおそらくもっとも頻繁に見かけられることでしょう。「胎芽以前の何か」という言い方には長く、興味深い歴史があります。(詳細と文献を調べたかったら、キッシャー・アーヴィング共著Human Development Hoax: Time to Tell the Truth―人間発達の嘘・今や真実を話そう!―を参照。)しかし、大まかに言えば、それは少なくとも1979年にイエズス会神学者リチャード・マッコーミック神父が米国保険社会福祉省、教育科学省倫理顧問であったた頃書いた生命倫理学関係の書物に見られます。18 また、蛙の発達を研究した生物学者クリフォード・グロブシュタイン博士が、1979年にScientific American19に寄稿した記事にも、この言い方が見られます。しかし、特筆されねばならないのは彼の古典的著作Science and the Unborn: Choosing Human Futures (1988)20 でしょう。その後、米国受胎能力研究会倫理委員として、また影響力の大きい数多の生命倫理学の記事によって、マッコーミックもグロブシュタインもこの科学的神話を普及し続けました。それで生命倫理、神学、社会政策の分野でこの言い方が広まってしまい、今日に至ります。

「胎芽以前の何か」という言葉は、英国ウォーノック委員会報告(1984)でも胎芽研究を許可する口実として使用されています。21 その後、オーストラリアの著者マイケル・ロックウッド、マイケル・トゥーリー、アラン・トラウンソン、そして特に哲学者ピーター・シンガー、法学者パスカル・カシンバ、ヒト胎生学者でなく遺伝学者の方のカレン・ドーソンなどを含む、文字どおり国際的に何百人もの著者がこの言い方を採用しています。 遺伝学者でしかないカレン・ドーソンを除けば、彼らの中には一人の科学者も含まれていないことに注意して下さい。

おかしなことに、(「胎芽以前の何か」という言葉を使用していても、その「ヒト胎生学」のチャート、またはその「科学的」語彙のリストに科学的文献が欠如している)シンガー、クーゼ、バックル、ドーソン共同執筆のEmbryo Experimentation(胎芽の実験)22 は、神学者マッコーミック、蛙の発達を研究した生物学者グロブシュタインの著作と並んで、米国では国立衛生研究所の胎芽研究報告(1994)の科学的根拠として採用されたものです。23 (元々は「胎芽以前の何か」という言い方を採用していた)この報告は「着床以前の胎芽」には「減少した精神的地位」しかないと結論しました。(ウォーノック委員会報告も国立衛生研究所の研究報告も胎芽研究にとって14日の期限は恣意的であり、必要であれば変更されることができ、またそうされなければならないことを認めました。)特に、これらの文書とその他の生命倫理学者たちの著作では「胎芽以前の何か」の神話に「科学的」根拠を付与し、本論の始めで触れた諸問題を「科学的に」正当化するために不正確な科学が持ち出されるのです。これは、妊娠中絶とか(不妊症研究、クローニング、造血幹細胞研究、異種間生殖によるキメラ、その他の)胎芽研究のためになされる実験のために贈与された、もしくは「研究のために人工的に作られた」極初期胎芽の使用を含むことになるのです。

そもそも、受精の直接産物が「46」の染色体を持つ人間、胎芽、人類の一員であること、またそれが胎芽期の始まりであることは上で証明されています。しかし、マッコーミックとグローブシュタイン24 は受精の産物が発生学的には人間であっても、それはまだ「発達した個人」ではないと主張するのです。そして、この「科学的事実」が「胎芽以前の何か」についての彼らの主張の根拠になるというのです。以下に、マッコーミックを引用しましょう。

本論で、わたしは精神的地位、そして特に人格のあるなしについての議論が、(一人の個人であることの原因であることを意味する)発展的個性の取得に関係していることを、主張します。受精卵の段階で発生学的個人はまだ発育上は個でない、つまり、一人の個人として成立していないことに気づくべきです。お分かりになると思いますが、それは着床が始まる、受精後2週間目の終わり頃に単体軸椎骨が形成されるまでには起こりません。25(下線は編集者による。)

まあ、なんと科学的に聞こえることでしょう!しかし、マッコーミックの胎生学はすでに破綻を来しています。着床が起こるのは受精後5〜7日目です。彼が主張する「単体脊椎」は受精後14日に起こる(胞胚の胚盤葉上層にできる)原始線条の形成ことです。マッコーミックはその著作中でしばしばこれら異なる時期について混乱しています。マッコーミックはさらに以下のように続けます。

胚盤胞と呼ばれるこの多細胞の存在には、細胞から成り立つ外壁、液体で満たされた中央腔、内部細胞塊として知られる小さな細胞集合体があります。発生学の諸研究は外壁の細胞が後で胎盤になるトロホブラスト(栄養膜)になることを示しています。究極的に、これらの細胞は分娩の際に一つ残らず廃棄されます。26(下線は編集者による。)

明確な言外の意味は、これら二つの細胞層には関係とか相互反応とかがまったく欠如しており、故にその「存在」はまだ「発達中の個体」ではないということです。しかし、ラーセンを引用すると「さて、中心にあるこれらの卵割球は内部細胞塊と呼ばれています。そして周辺部の卵割球が外部細胞塊です。これらのグループの間にはいくらかのやりとりがあります。この胚ディスク(内部細胞塊)が厳密な意味での胎芽に発達し、また胎芽の外部にある粘膜の一部になります。」27(下線は編集者による。)

同様に、分娩の後で外側のトロホブラスト層からのすべての細胞が廃棄されるというのは事実と異なります。ムーアを引用しましょう。「絨毛膜、羊膜、卵黄嚢、尿膜が胎胚膜を構成しています。それらは受精卵から発達しますが、卵黄膜と尿膜の一部を除いて、胎芽もしくは胎児形成には参与しません。卵黄膜の一部は胎芽に内臓の元基として組み込まれます。尿膜は胎児においては尿膜管、成人においては臍帯として知られる繊維状コードになります。」28(下線は編集者による。)

科学者たち自刃も、もっと易しい言葉を使用して若い人たちに「理解させよう」として、時として(科学的には不正確で誤解を招きやすいけれど)一般化した用語を使用してしまいます。それで、用心深いオライリーは「胎胚膜」という用語の使用について、彼の古典的教科書で懸念を表明しています。

普通、しかし不正確に「胎胚膜」として言及される発達段階の子宮付属器はトロホブラスト、羊膜、臍小胞(卵黄嚢)、絨毛膜、尿膜憩室、胎盤、臍帯を含みます。これらは発生学的には個人の一部であり、同じ胎芽層で成り立っています。29(下線は編集者による。)

従って、内側の細胞層だけが「厳密な意味での胎児」であると主張するのは科学的にも間違っています。内外二つの細胞層を含む胞胚全体が胎芽、人間、個人であるのです。これはヒト胎生学者が観察するところです。例えば、

ブルース・M ・カールソン、Human Embryology and Developmental Biology(ヒト胎生学と発育生物学)St. Louis, MO: Mosby, 1994: 「受精して4日後、胎芽の中に液体に満ちた空間が形成され始めます。この空間は胞胚腔として知られており、胎芽全体としては胞胚と呼ばれます」(34ページ)。ウィリアム・J・ラーセン、Human Embryology(ヒト胎生学)1997:「周辺の割球は外塊細胞と呼ばれるのに対し、中央に位置するこれらの割球は今や内塊細胞と呼ばれます。これらのグループ間にある程度のやりとりはあります。しかし、一般的に言って、内塊細胞が厳密な意味での胎芽ほぼすべてを発生させます。そこからそれは胎芽肺葉と呼ばれるのです。外塊細胞は胎盤膜の主な材料になるので栄養胚葉と呼ばれるのです」(19ページ)。

最後になりますが、マッコーミックは「胎芽以前の何か」は、分化全能であり、ふたごになる可能性がまだあるので、自分が何人の個人になるかをまだ決めていない、と主張します。彼らは、それ故に、14日目までかつ原条が形成されるまでは双子になる可能性があり、その後は双子になる可能性がない、と主張します。30 ところが、14日目以後でも双子になる可能性が実はあるのです。例えば胎児中胎児とかシャム双生児がそれに当たります。再度オライリーを引用しましょう。

初期段階での部分的双生児化と(左右相称が顕在になる)2週間目以降の双生児化の試行は(例えばシャム双生児のような)結合双生児になっていまいます。(下線は編集者による。)

カレン・ドーソンでさえもEmbryo Experimentation (胎芽の実験) に寄稿した記事中で、 これを科学的事実として認めています。

原条形成時の後で「不可逆的単一体」という考え方が、それ以後ずっと個としての人間であり続けるようになる人間生命の決め手になる目安になるのであるとすれば、それに再考慮を迫るようなその他の出来事が可能です。この考え方が適切であることに疑問を起こさせる、時としてシャム双生児として知られる結合双生児と胎児中胎児などの、二つの条件があります。結合双生児化は、原条が形成され始めた後、つまり受精後14日以上経過してから、または、卵割からの議論で言えば、不可逆的単一体が存在し始めると言われる時点が過ぎてから、始まります。このような状態は単一体を、受精後約14日経過してからは不可逆的に決定されるもの、として見る可能性を弱めるのです。そこから、道徳的立場の決定要因として発達における卵割を目安にすることの適切さについて疑問が生じます。32(下線は編集者による。)

国立衛生研究所胎芽研究委員会33 が、初期の胎芽の道徳的立場に関する勧告を出す前に、シンガーと同僚たちによる著作のこの部分に目を通さなかったのは残念なことです。

実際の世界に「胎芽以前の何か」などというものは存在しないのが科学的事実です。この言葉は完全な神話でしかありません。それは、普通であれば容認されないようないくつかの事柄を正当化することを目的としてひねり出されたものでしかありません。国際胎芽学会委員の一人であるオライリーを再度以下に引用しましょう。

不明確かつ不正確な胚板を含む「胎芽以前の何か」などという用語は、原条の出現で終わるとか、神経胚形成を含むとか言われています。しかし、この用語は本の中に使用されていません。34(下線は編集者による。)

運の悪いことに、便利ではあっても神話的な「胎芽以前の何か」なる用語は「科学的に」それ以外にもいくつかの「科学的な」神話を正当化するために利用されることでしょう。そしてそれがさらには、世界中で中絶とか胎芽研究に関する政府決定を合法化するために利用されることになるでしょう。


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