母の旅立ちー神のいつくしみ

Ihara, Shoichi (イハラ・ショウイチ)
井原 彰一
聖マルチン病院 精神科医
ドミニコ会
出典  カトリック高松教区 ウイークリーメッセージ
2016年10月9日掲載
許可を得て複製

「今年の7月22日、私は東京の渋谷修道院に会議に参加するために来ておりました。その日の夜、 マルチン病院のシスターから電話があり、母が夕方7時半に亡くなったとの知らせでありました。 すぐに坂出に引き返したかったのですが、翌日は仙台の教会で聖ドミニコ会創立800周年を記念する行事があり、 そこで聖ドミニコについて講演することになっていたのです。母のもとに駆けつけることは出来ませんでした。 シスターにはドライアイスとマルチン病院の聖堂の冷房で対応をお願いし、 気持ちも落ち着かないまま翌日北仙台教会で御ミサを捧げ、午後講演を済ませた後すぐに仙台空港に駆けつけました。夜、 母のベッドに戻ったのは10時過ぎでした。

静かに眠る母の頬に手をあてて「お疲れさま、長い間この世に居て遠くから見守っていてくれてありがとう。 僕を産んでもらったことを感謝しています。ありがとう。この後は神様の御顔を仰ぎ見ながらその栄光を讃美して下さい。 」と話しかけました。

考えてみますと、私は18歳の時に父母のもとを離れて下宿生活に入り、 それ以来春夏の休みに少し帰省した時にちょっと母と顔を合わせる程度でした。 その後は修道会に入ってから外国に滞在した期間が長かったこともあり、日本に戻ってからも宣教活動で忙しく、 母は歩いて45分くらいの所に住んでいたのにたまにご飯を食べる程度で殆ど会うことはありませんでした。 そのようなわけで父や母と一緒に家族旅行するとか、温泉に連れて行くという『親孝行』 らしきことは何もできませんでした。今は申し訳なかったなぁと悔んでおります。 自分は母にどんな親孝行をしたかと考えてみますと何もないのですが、今から26年前に父が肺ガンで亡くなった時に、 亡くなる3か月ベットに横たわる父と看病する母に一緒に洗礼を授けさせて頂いたことです。

父が亡くなって数年たった後、母は一人暮らしが困難となり坂出に移りました。 そこで人生最後の10年をマルチン病院とマルチンの園を行ったり来たりしながら過ごしたのです。 私は18歳で家を出てから44年ぶりに母の近くに居ることが出来るようになり、 特に最後の3か月はベットの側で頬をなぜたり、手を握ったり、食事介助をしたり、 話しかけたりしながら女性が新しい命を産むことのすばらしさ、 自分はこの胎から出てきたのだとしみじみ感じさせられたのでした。

母との絆が深まり感謝の中に母を見送ることが出来たのは、全く神様のいつくしみによるものでありました。神に感謝。

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