人口における戦い

メリー・ヘイネス

2〜3年前、私はケニアの西にある移動診療所で働いていました。移動先から帰る途中、道路を横切ったところに重症の病気の女性が横たわっているのを見つけました。彼女の健康状態は危ない状態にあったので、私達は彼女を5時間かけて一番近い政府の病院へ連れていきました。病院に着いたとき、彼女はあまりにも衰弱していて歩くことができませんでした。だから、私は、牛をわきに押しのけ彼女を待合室まで運びました。医師は酔っ払って地方の飲み屋にいたので、私達は親切な薬剤師と話すことに決めました。彼の薬局には1本のペニシリンと国際発展アメリカ合衆国代理店からの75000個のコンド−ムのほかは何もありませんでした。そこには手袋、注射器、ビタミン剤等基本的な医療の備えは何もないけれどUSAIDからの75000個のコンド−ムがありました。

人口管理に初めて接触して、私は興味をそそられました。そして、もう少し掘り下げて調べてみました。調べれば調べるほど、その問題は人を当惑させました。疑う余地がないほど、人口管理の後ろにある操縦力は、「人口過剰」における信念であり、主導者達が地球にまたがっているという概念は信頼できる論説として事実上受け入れられるようになりました。実に、これはほとんど、世界にはあまりにもたくさんの人がいるという伝統的な知恵です。

今までのところ、その期限の確実な、首尾一貫した定義は誰も見つけていません。ハ−バ−ドの経済学者ニコラス・エバ−スタッド氏は次のように言いました。どうやって、それを定義づけるべきなのでしょうか?

人口密度に関してでしょうか?もしそうなら、バ−ミュ−ダはバングラデッシュよりも「人口過剰」になるでしょう。自然増加率に関してでしょうか?この場合、アメリカ独立戦争以前は同時代のハイチよりも「人口過剰」になるでしょう。働く人口に対する、子どもと老人の依存率に関してでしょうか?そうした意味においては、現在のインドよりも1965年におけるカナダの方が「人口過剰」ということになるでしょう。もし、人口過剰が問題ならば、それは誤認や誤った定義が問題なのです。その印象は飢えた子どもや、粗野な住宅や、早死という現代社会においてあまりにも現実的な問題を呼び起こします。しかし、これらは貧困という問題について正確に述べられています。

香港やシンガポ−ルや台湾が証明できるように、人口増加によって貧困が引き起こされているということは決して確かではありません。

そのような誤診と誤った定義は私達に要因をより注意深く見るようにうながします。最も頼りになる統計値は、1960年代後期と1980年代後期の間では、世界の女性の平均出産率は3分の1に減少していることを表わしており、そして、1950年以来、すべての国々の出産率は低下しています。国際連合の中心計画によると、世界の人口増加は2050年に89億人でピ−クに達し、その後減少し始めるでしょう。過去10年のうちで、最も正確だと証明されている国連の「低い異なった」計画は、世界の全人口は73億人を決して越えないことを示しています。このシナリオによると、世界人口は2030年と2040年の間にピ−クを迎え、そうして突然減少するでしょう。

今世紀の急速な人口増加の原因に関しては、人間の数が増えることは、健康状態の激変による直接的な結果です。「急速な人口成長の理由は、人類が突然うさぎのように出産し始めたからではなく、むしろ彼らはついに、ハエのように死ぬことを止めたからなのです。」人口増加を引き起こす原理は出生率が増加したのではなく、20世紀の驚くべき医学の進歩により死亡率が大幅に減少したことによるものです。過去50年間、幼児死亡率は3分の2まで低下していますが、世界中で出産率はざっと20年間で増えています。世界人口増加は、失敗ではなく進歩の象徴としてこのように祝福されるべきです。

人口管理活動家たちは、利用できる客観的な基準にもかかわらず、人間の予想は悪いほうへ成長していると申し立て続けていますが、世界はより安全になり、より繁栄するようになり、人々はより長くより健康な生活を送っています。本当に、人口圧力団体の最も目立った特長は理由と真実をめぐるヒステリ−と誇張の選択のように思われます。なぜならその不断の探求は正当と認められないものを正しいとするための洗練された新しい議論だからです。

このシリ−ズにおける絶えず変化する理由の最近のものは、「生殖の権利」と「女性の健康」です。しかし、活動の歴史をたどっていくと、人口圧力団体の口実は、生殖の健康と女性の権利のためという理由に(間違いなく間に合わせのための決定のための)落ち着くために、食料不足と資源枯渇から経済的不景気と環境倒壊へとすぐさま変更したことに気づくでしょう。歴史と科学が順番にお互いの議論を論破しているように、人口圧力団体は人口に関する戦いのために次の解釈に飛び移るのです。議論は時と状況によって変わります。しかし、「解決策」は非常に聞きなれたままで変わりません。飢餓?人口を減少しなさい。貧困?人口を減少しなさい。汚染?人口を減少しなさい。不正と不平等?人口を減少しなさい。どの時代の危機に対する答えでも人口管理については貧しくて、南の発展途上国に直接向けられます。なぜなら、人口圧力団体の最近の口実の移し変えの根本には、たくさんの「間違った」種類の人々があまりにも早く子をもうけているという暗黙の信念があるからです。

人種差別主義者の起源の運動:

その発端は、人種差別主義者の活動の動機は、陰険なものでした。家族計画連盟の発想者であるマ−ガレット・サンガ−は、「下級の人種」に属していると彼女が思っている人達に軽蔑をあからさまに表明しました。『文明社会の要』という彼女の本の中で、「人間という庭にはびこる雑草」の絶滅や、「遺伝子が下級である人種」の断種をとなえました。はっきりした人種差別主義者と優生学者において、産児制限の投資は「ふさわしいものからより多く、ふさわしくないものからより少なく」を意味していると彼女は約束しました。1939年、アメリカ産児制限連合(今日の家族計画連盟の先駆者)は、「個性を保障している」黒人の聖職者が南部を巡り、人口管理の美徳を説教してまわるというニグロ計画を示しました。その計画の提案は「とりわけ、南部のニグロ集団は、ぞんざいに、破滅的に今だに子どもを生んでいる。」という理由で正しいとされました。そして、黒人社会の中で増加しているその人達は「最も、知的に劣り、適当ではない人々の集団」です。

食料と資源:

第二次世界大戦に続いて、ホロコ−ストにおける公の非道な行為は、公の表明をより警戒するような運動を引き起こしました。しかし、人種差別主義者の活動と優生学者の動機は決して消えることはありませんでした。彼らはただ隠れただけでした。1960年代までに、その活動は、別の弁明を採用することによって失った世間体を取り戻しました。地球を「荷を積みすぎた宇宙船」や「沈みかけている救命船」に例えてたり、世界が今にも倒壊するというような黙示録の警告を引き合いに出して、人口活動家は一般的な想像にとらわれていました。「人口爆発」は自然な生殖の熱狂における惑星の表面からきのこ雲の形をした人々が煮え立っているイメ−ジを眼前に思い浮かべるような、最後の審判日の隠喩になりました。食料不足と資源の消耗という対をなすお化けは、国内でも国外でも多産率を抑制するための強制的な理由として広く受け入れられるようになりました。1968年にベストセラ−になった人口爆弾で、ポ−ル・エルリッチ氏は次のことを要求しました。「人類全てに食料を与える戦いは終わりました。1970年代に世界は、現在、いかなる破滅プログラムに乗り出しているにもかかわらず何百万人という人々が餓死していくという食糧不足を経験するでしょう。」そのような大規模な割合での食糧不足はかつて起こったことがなく、確かに内戦や過度の政府軍事介入よりも、人口成長によって引き起こされたことはありません。世界の食料生産は人口成長よりも増加しているということは充分に証明されていることであり、食糧生産率が不景気を示す兆候はほとんどありません。

一方、別の人口管理主義者は自然の資源はより多くの人々によって、そしてよりよい生活基準によって使い果たされてしまうだろうということを主張しました。例えば1972年に、ロ−マのクラブはたくわえられた一定の資源が尽きてしまうだろう日にちを決めました。クラブの報告によって以下の資源の完全な消耗の日が展開されました。成長の限界は次の通りです。銅は1993年、金は1981年、鉛は1993年、水銀は1985年、天然ガスは1994年、石油は1992年、銀は1985年、ブリキは1987年。ロ−マのクラブ責任者は後に、政府が活動するための充分なヒステリ−を発生させるために、この研究の中でクラブは計画的にうそをついたことを認めました。大規模な人口成長と資源の消耗を予言したいくつかのデ−タは900%の要因によって間違っていました。正確な見積もりは全く違った様相を表わすでしょう。

歴史は、もちろん、そのような主張に決定的に答えました。なぜなら、利用できる原材料は増加している消費量よりもたくさんあります。そして商品の値段は上昇するどころか、下降しています。今日、人口プログラムの主唱者さえも資源の消耗という理由は、攻撃的な人口管理を正当化するものとしてほとんど信頼できないと認めています。その代わりとして、人口成長と生活基準の上昇は人口活動家が決して考慮に入れることのない批判的な要因であるこれらの蓄えを抜き取ったり、輸送したり、売買したりすることを探求する工業の進歩を活気づける役目を果たしています。

経済:

人口管理主義者たちは、今にも起こりそうな食糧不足や自然資源の消耗を唱えることで彼らの目的を支えることができないため、ますます経済的な議論へと変更していきました。彼らは、人口成長は貧困を増やすと主張して、意味ありげな脅しを見せかけています。しかし、要求の根本にあるのは、中国の国内総生産の見積もりを最も好ましい精神性だと例示して、富は限られているということと、富を分かち合う人々が増えれば増えるほど、個人の富が減っていくという間違った臆説です。家庭経済の全体は、豚が生まれると上昇し、子どもが生まれると衰えます。この理論を論理学上の結論として、中国のたくさんの地域で次のような広告を見ることができます。「もし、金持ちになりたいなら、より子どもを少なくして、より多くの豚を育てましょう。」

しかしながら、この物語はそう簡単ではありません。微積分学はそう残酷ではありません。

1967年の初頭に、ノ−ベル賞を獲得した経済学者サイモン・クズネッツ氏は人口成長率と経済成長率を比較し、それらには相互関係はないことを発見したという研究を出版しました。その後、クズネッツ氏とリチャ−ド・イ−スタリン氏は、より大きな国々において調査をし、経済成長と国々が関係する政治的な経済の間の重要な関係は発見したものの、人口に基礎をおいた相互関係はないことを改めて発見しました。人口と発展の間には直接的な関係はないということは科学的な文芸において始終、広範囲に認められています。

彼らの主な臆説を暴露したにもかかわらず、たくさんの人口管理主義者達は経済的な議論を掌握しています。すなわち、彼らは利点よりも責任、一つの問題よりもたくさんの問題を考える解決者なのです。それぞれの個人は乱費していると見られているものの、人口管理の主唱者達は、富は人々によって作り出されていること、それぞれの人々は消費者であるだけでなく生産者でもあること、口だけでなく心もあること、富とアイデア、創造性と独創力の源であることを無視しています。開かれた経済、個人は消費するよりも多く生産すること、(密集して包み、香港の貧しい資源を証明されたとして)「資源レベルが決められることもなく、自然生産力はなく、発展において現実の要因を行使する機会を与えられたならば、人々の行うことにあらかじめ限界を定義することもない、つまり企画、創造性、リスクということを経済学者は認めています。」

環境の論争:

1980年代に、人口管理主義者は広く行き渡った新しい理由を得ました。環境活動の人気に便乗して、人口管理主義者は人口数の増加は地球の壊れやすい生態学のバランスにとって接続できない圧力になると宣言し始めました。惑星における人間の足跡は、あまりにも大きく成長していると彼らは主張しました。のろまなダ−タ−や多雨林やオゾン層を救うためには、人間の数を減らすことが唯一の解決策です。人間はオゾンの消耗や砂漠化や土壌侵食のすべての環境危機を引き起こす原因ですと彼らは言いました。

広範囲に受け入れられているけれども、人口と環境の関係は、最初に現れたときよりはあまり決定的ではありません。最初に、発展途上国のたくさんの地域は、実際、たくさんの人々のためになるという証拠があります。ケニアでの研究では、人口の成長は環境の修復に刺激を与えることが発見されました。前もって荒れ果てたマカコス地区は、土と水を大切に使い、農業生産と木の取材を増加する徹底的な形を整備して劇的に改善しました。逆に言えば、人口が減少しているところでは環境の損害が結果として生じているという多数の例があります。ネパ−ルでは、谷間への移住の増加による山腹の人口減少は、人々が木を再び植えることはほとんどなく、農業整備をする人々もほとんどなく、山の農業を支え続ける人もほとんどいないということを意味しました。

ほとんどの科学者達は、人口増加と環境の低落の関係は証明されているどころか全く反対であることを認めています。ジョン・クラ−ク氏―彼自身信頼できる環境保全主義者―は「人口と環境の関係をめぐる論争は調査を基にされていない」ということを認め、そしてそのたくさんの文学は「過剰に簡素化され、一般化されている」ということを認めています。

しかし、その代わりとして環境保全主義者と人口管理主義者達は、彼らの解決のためではなく、未来における環境問題を既知の事柄から推定するという二倍の標準を採用しています。フランク・フレディ−が述べているように「限界の探求は、解決に向かっているより独創的な探求からマルサス主義者思想家をいつも混乱させるように思われます。未来の革新に関する運命論は、人を夢中にさせる現実の限界は、土地や資源の限界ではなく、人間の潜在能力における視野の限界が決めていることを明らかにしました。」

生殖の健康と女性の権利:

最近、人口管理者は彼らのプログラムのために別の説明を促進しています。「生殖の健康」と「女性の権利」という保護のもと、人口活動家は今、家族計画プログラムはおおきな「まだ対処されていない必要」に遭遇していて、女性の健康を向上するという要求をしています。人口プログラムは一般的に食料や金や健康医療の拒否という形の脅迫という賄賂と同時に行われます。穀物の一定配給量は「まだ対処されていない必要」の概念を偽って示しています。家族計画サ−ビスを本当に求めている女性は、彼らを受け入れるために、賄賂を贈ったり、強制したり、操作したりする必要はありません。

発展途上国においては、女性は大きな家族を求めています。子どもはいまだに富と喜びの象徴として見られています。ジンバブエでは、「女性はより多くの子どもを持てば持つほど、より高い地位を楽しむことができます。」ナイジェリアでは伝統的なお祝いは十番目の子どもの出産することによって催されます。つまり、「女性が獲得できる最大の名誉」なのです。インドでは、若い花嫁に対する伝統的なあいさつは「願わくは八人の息子の母親にならんことを」です。西部ケニヤの半遊牧民族であるポコト族の中では、不妊女性の死体はハイエナとハゲワシのために置き去りにされるのに、多産の女性は死後、葬式によって埋葬されます。

アジアやアフリカやラテンアメリカの至る所で、大家族は経済力があるということになります。子ども達は家族の収入に貢献し、ただちに掛け値のない財政上の資産になります。恩給計画や社会保障システムのない社会では、たくさんの子どもを持つということは「生存競争における大いに理性のある戦略」なのです。最近世界銀行の報告が結論を下しているように、発展途上国における社会学者たちは、ただ単に「子どもはこれで充分であるという概念がありません。」よく引き合いに出されるような物語はこの部分を説明しています。あるアフリカの指導者が地域の住民に人口過剰の危険について次のような演説を始めました。「みなさん、私達の出産率はあまりにも高いので、わずか25年で人口は2倍になるでしょう。そして…」残りのスピ−チは激しい喝采によってかき消されました。

女性の健康:

女性の健康を高めるという人口管理プログラムの議論は、同様に非論理的です。人口管理プログラムはより緊急の関心事からひどく転換しました。例えば、USAID(国際開発のための国連代理店)はペル−の人口活動家に対して年1300万ドルを供給しています。そして、その他の健康問題関連には年にほんの600万ドルしか供給していません。人口管理に注ぐ資金と、緊急の必要に注ぐ資金の劇的な不均衡は、発展途上国においてはあきらかです。インドネシアでは、基本的な健康管理施設の2倍もの家族計画診療所があります。ある避難民の医者は、チアパスで生まれながらに貧しい女性が現在利用できる唯一の無料の医療施設は断種手術と妊娠中絶です。ホンジュラスでは下痢による脱水症状を起こした子どもを扱う施設を捜すのは困難ですが、「ホンジュラスで医者の棚を開けると、すべての種類の避妊具をみつけることができます。」病院の断種部屋では、空調機がありますが、一方普通手術室には基本的な設備さえもないかもしれません。ケニアでは、「数セントで治療のできるマラリアによる死亡が何千人もあるけれども、健康施設には何百ドルもの価値のある経口避妊薬や、IUDや、ノアプラントや、デポプロベラがあります。」婦人科医をしているカランジャ医師は次のように説明しました。「肺炎の子どもを母親が連れて来た時、子どもに与えるペニシリンがありませんでした。貯蔵庫にあるのは、避妊薬のケ−スでした。このような母親がきても、私は無力なのです。」

だんだんと、国連と国連に提携している代理店は人口管理の援助を試みています。アメリカの中心部において、国連代理店はハリケ−ンミッチによる荒廃状態を修復する資金は人口管理と結びついています。エルサルバドル共和国では、最近の地震の生存者は国連役人を食料やきれいな水や抗生物質によってではなく、避妊具やモ−ニングアフタ−ピルによって発見しました。

国際的な代理店は彼らの出産を防ぐ用意はできているけれども、すでに生まれた子どもを喜んで援助しようとはしていないのはあきらかだということが発展途上国の両親の中でたびたび言われるようになりました。これは、USAIDが人口管理主義者へ振り当てたお金について述べたもので、代理店は予防できる病気なのにワクチンがないために死んでいる毎年二百万人の子どもを救うことができたり、別の百万人から二百万人の死亡を避けるために貧しい子どもにビタミンAの補足を供給することができたのです。代わりに、USAIDとその他の国際提供者は、65年間バングラデッシュの国民人口全体に供給するために充分な避妊具を供給しました。一方、ネパ−ルの家族計画役人は、国に氾濫している過剰のコンド−ムを始末するために臨時に五万ドルを必要としていました。

ハ−グ会議で、ある代表者は地方の住民は過剰な避妊薬が氾濫している一方で、「ピルを飲むためのきれいな水がない」ということを認めて、主要な健康医療や基本的な発展に対してがんこな傾向を要約しました。UNFPA(国連人口基金)の所有する公報はこのありさまを確証します。1997年の報告によると、ハイチの人口81%が避妊薬を利用していますが、安全な水を利用しているのは28%のみです。ウガンダでは82%の人々が避妊サ−ビスを利用しますが、安全な水を利用しているのは34%です。ヴェトナムでは95%の人々が避妊薬を利用し、安全な水を利用する人は36%です。ネパ−ルでは、95%の人々が避妊具を利用し、安全な水を利用するのは44%です。

人口管理におけるこの強調は健康医療供給者において土地の信用をいつの間にか損なっています。メキシコでは、政府の医学人事が女性の意志に反して不妊にするという普及した報告は、「そのような疑いを引き起こしたメキシコ人は政府の病院を避けています。」ス−ダンでは、移民が彼らの牛乳に多産反対薬が含まれているのに気づいて、彼らは牛乳とほとんど食物の両方を拒絶しました。ある援助労働者は言いました。「彼らは私達が牛乳の中に不妊薬を入れたためとてもおびえていたので供給された食料を取りませんでした。彼らはテントの中で死ぬ方を選んだのです。」

戦争で引き裂かれたコソボでは、UNFPAはソロボドン・ミロシェビッチ政府によって地域の中へ招待されました。ミロシェビッチ大臣は、コソボでカチカチと時を刻む「人口統計学の時限爆弾」を非難しました。コソボ人はセルビアよりもかなり出産率が高く、ヨ−ロッパの中で最も出産率が高いという事実に嘆いています。かつて国内でUNFPAは早速、妊娠中絶病院を設立し始めて、より小さい家族や「社会の市場調査」と「昇進の方法」を婉曲的に同意している技術を宣伝しはじめました。皮肉なことには、「今や、NATO団はコソボでの人種の浄化を終えました。(UNFPA)がセルビアが失敗したことと同じことをするかもしれないと恐れています。アルバニアの人口を減らすことによって地域をなだめます。」

人権:

女性の権利については、人口活動は動揺します。

インドでは、インディラ・ガンジ−の「非常時」の最も高い間、政府の断種チ−ムは人々を街路に集めて、彼女達の意志に反して断種手術を行いました。今日、インドでは断種に対する圧力はとても強くなったので、たくさんの男性と女性は手順に服従するために失業中の人々に支払いをしています。

ペル−では、子どものための特別栄養プログラムをしている食料援助を施す係の人が、断種キャンペ−ンをしている人と同じ人であることがしばしばあります。たくさんのペル−人女性はこのようにして子どものための栄養を支持しながら、意志に反して断種を支持しているという心の中でねじれた位置におかれています。

インドネシアでは強情な女性は力によって召集され、銃でおどされて彼らの子宮の中にIUDを挿入されます。

バングラデッシュでは、家族計画役人は、国際食料援助人質を保つために普及した食料不足にとびつきました。そして、貧しいバングラデッシュ人に断種か餓死かの選択を提示するのです。

メキシコでは、政府の病院が無学で3人以上子どものいる女性の貧困労働者に「第四ステ−ジ」を加えます。出産に続いて、政府の医者は同意の有無に関わらず女性の卵管を結んでしまうよう命じられています。

スリランカでは、断種を拒絶する女性は医療ケアを受けることを拒否され、「無知で、無責任な種畜」としてあざ笑われました。

フィリピンでは、人口管理団体は多産反対代理店に破傷風ワクチンをつぎ込み、そして、生殖期の女性にのみワクチン接種を提供しました。

ハイチでは、何千人もの女性がギニアピッグとして実験的に避妊薬と装置のテストに使われました。そして、出血したり、不具になったり、苦痛にあるこれらの女性が健康ケアワ−カ−に手続きをやり直すように頼むと、挿入物を取り除き、IUDを抜き取るのです。彼らの望みは平気ではらいのけられるのです。彼らは、最近の避妊具の技術のための統計値のために、便利な、安価な、容易に利用できる源なのです。

ブラジルでは、750万人の女性が彼らの意志に反して、その時代に断種は法律違反だったにもかかわらず断種されました。

中国では、妊娠9ヶ月でさえも強制された妊娠中絶は標準的な料金でした。

ある考えられた実験が、現在の人口実行が実際にいかに不快感を与えるものか説明しています。政府の健康ワ−カ−が、毎日、あなたが強制の断種に服従するまで、昼も夜もあなたを激励するプログラムに対するイングランド人の反応を想像して下さい。あるいは、あなたとあなたの隣人が避妊の方法を言明するために月1回のミ−ティングに出席するように強制され、出席しないと重い刑罰が下ることを想像して下さい。あるいは、生殖期の女性が病院まで重い足を引きずっていき、意志に反して時には銃を突きつけられて断種をすることを想像して下さい。そのような治療に賛成する準備ができているイングランド人はいません。ブリテッシュ基金はそのようなプログラムに資金を供給して使われてきました。

少しも立派なゴ−ルでもなく、少しも女性の権利を保護する目的でもない人口プログラムは、女性が守らなくてはならない力として現われました。

いくつもの正気を我慢して、統計学の後ろにある人間の顔を説明するために、いくつかの例を引用してみましょう。

実験の新しい避妊挿入物の人間実験として使われたハイチの女性達の扱いについて述べてみましょう。女性は健康病院に腕にひどい感染をしてやってきました。彼女が上腕から避妊挿入物を取り除くように頼んだ時、医師は助手に不平を言いました。「この女性を見なさい。彼女は動物です。彼女はノアプラントを取り除いて欲しいと望んでいます。彼女は動物です。実験の最中なのに、彼女は取り除いて欲しいと言います。」彼らは彼女を手術用の台にのせました。彼らは彼女の側頭部に麻酔を与えました。しかし、麻酔が効き始める前に、彼らは彼女の赤く、はれ上がった、やわらかい腕から挿入物を取り除き始めました。筋肉と組織はもうすでに挿入物を覆っていたので、女性は苦痛で叫びました。しかし、医師は挿入物を取り除き続け、彼女を動物呼ばわりしました。

あるいは、ヴィクトリア・エスピノザのケ−スを取り上げることもできました。彼女はペル−人女性で、出産のために地方の病院へ行った女性です。悲劇にも、出産後まもなく男の子は死亡しました。医師がこっそりと彼女を不妊にしたことを発見するまでは、ヴィクトリアは別の子どもをもうける決心をしました。「私がそれを聞いたとき、心の中の深い所で何かが壊れました。今は、恐ろしい空洞が心の内側にあります。」と彼女は言いました。

あるいは、私達は中国で「不認定の」妊娠9ヶ月だった女性のケ−スを取り上げることもできました。中国の公式な役人はついに彼女が主人の家庭を壊すことを追跡しました。彼らは、彼女を車の中に詰め込み、ジンジャン病院まで連れていきました。その女性はもがいたり、頼んだり、金切り声をあげました。しかし彼女は病院までひっぱっていかれ、手術台に縛り付けられました。彼女の赤ちゃんが出てきた時、彼の肢は動いていました。彼の唇は母親の乳を飲みたいかのように探していました。その女性は医師に、子どもが生きることを許してもらうように頼みました。彼女は喜んで彼らが彼女に加えたい処罰を受けますと言いました。しかし、政府の割り当ての圧力の下、内科医は子どもの頭に毒を注射し、子どもが体を引きつらせるのを見ました。男の子の泣き声は突然止まりました。ついに、新しく産まれた赤ちゃんは完全に息をひきとりました。母親は手術台の上で意識を失いました。

第二次大戦後まもなく、ヌレムバ−グ裁判の検事のうちの一人が、人がどれだけ野蛮にふるまえるかを説明しました。「ステップを1つふむだけでいいんです。」と彼は言いました。「そのステップはふめないとあなたは思うかもしれません。しかし、きちんとした男性もそのステップをふむことを請け合います。ある人間のグル−プは人権を失っていると決めるだけでいいのです。」

不運にも、私達はきちんと見える男性と女性が、ある人間のグル−プ―中国、スリランカ、ペル−、フィリピン、ブラジル、バングラデッシュの貧しい女性達は子どもをもうけたり、出産したり、脅しや強制から自由に生きたりする権利を失っていると決定している運命的なステップをしばしばふんでいる時代に生きています。人種、民族独自、国籍、貧困、カ−スト制度、信条の美徳によって、何百万人もの女性や男性や生まれた子どもや胎児が人口における戦争において最近の犠牲者になっています。

そして、ヌレムバ−グ検事が言及したホロコ−ストのように、この最近の戦争は致命的な人種差別主義と権力に対する強い欲望によって、しばしば駆り立てられています。ブラジルでは、断種プログラムはアフリカ系の貧しい女性に目標を定めました。いくつかの概算によれば、これら女性の90%以上が、彼らの予知や同意なく、力によって断種されていました。白人支配の南アフリカでは、「政府はもっぱら、アフリカ人口を減らすために黒人女性に目標を定めました。アパルトヘイトの下で、家族計画は黒人が利用できる唯一無料の健康サ−ビスでした。ときどき、アフリカ人女性は白人所有の工場で働き続けるためにデポプロベラを使うように強制されました。」

ペル−では、アンデス山脈のインド語を話す貧しい土着のケチュア族が、政府の人口キャンペ−ンのほこ先をくり抜きました。人権活動家であるギリア・タマヨ・レオンさんによると「田舎の方では、ヘルスワ−カ−は人々を困らせています。彼らは家に入ってきます。何人かの女性は私達に隠れないといけないと言います。彼らはたくさんの子どもを出産するために、動物だといわれているのです。」驚くまでもなく、そのプログラムに対して土着の人々であるペル−にいる6百万人のケチュア族は憤りを感じました。「彼らは私達の人種を皆殺しにしたいのです。」とあるケチュア族の女性が言いました。

西部の資金を供給するプログラムは同様の憤りを引き起こします。「たくさんの避妊薬や何億ドルもの資金を[人口管理]組織に注いでいるのに、どうしてその他のための資金がないのでしょうか?これは集団虐殺ですよね?」マ−ガレット・オゴラ医師は尋ねます。別のケニアの医師によると、アメリカの人口プログラムは次のような申し合わせたキャンペ−ンを構成しています。「必要なだけ、たくさん人を殺せばアメリカやその他の先進国は天然資源を搾取し続けることができます。」

たくさんの第一世界の国々の人口活動家は、きっと間違いなく懐疑を招きます。西部の政府が、貧しい人々や発展途上国の人々を指導している人口管理のために何百万ドルも費やしている一方、たくさんのこれらの政府は、自国では出産率を上げるための寛大な政策を採用しているのです。ドイツは1996年に発展途上国の人口成長を抑制するために9800万ドルを寄付していますが、ドイツには1年間に20万人まで出産を増加させるために、「母性」手当というシステムがあります。フランスの発展途上国における人口管理への主な寄付者は、出産するフランス人女性に、お金や毎日の世話や住宅給付を提供しています。いくら良くても、そのような人口政策は精神分裂病だということを表していて、西部の政府が偽善だと非難されやすい状態にしています。最悪の場合でも、彼らは明白な人種差別主義の形式を証明しています。

人口管理主義者達が、彼らの動機をごまかすためや、彼らのプログラムの正当性を表すために、説明から説明へと気が狂ったような努力をしていますが、暗黙の真実は、彼らは大勢のアフリカ人やアジア人やラテンアメリカ人を本質的に問題である存在として見ています。彼らは発展途上国における多勢の人々を危機感をもって眺めています。そして、それは権力バランスの変化を起こすことを認め、天然資源の管理や、彼らの保障を脅かす増加する移住者群だと認めています。

バングラデッシュのケ−スはこの点において啓発しています。1980年代に、人口管理者は、多産の低下と小さい家族にすることで、経済の拡大と生活水準の向上を約束して、バングラデッシュを目標に定めました。時には激しく、強制的な人口管理プログラムが10年経った時、バングラデッシュにおける避妊率は2倍になり、多産率は低下しましたが、生活水準はみじめな低いままでした。この結果によって人口管理者は問題に巻き込まれると予期するかもしれません。代わりに、バングラデッシュが、発展は多産の衰えによって変化するという説得力のある証拠を提供したことを彼らは誇示しました。何百万人ものバングラデッシュ人が捨てばちの生活状態で生活していることにかかわるよりも、ノ−マン・マイヤ−スと彼の同僚は彼らの多産を縮小することに心を奪われました。「広い意味での健康や発達論点という考えなしに人口管理だけを追跡するという、そのような考えは、人口活動家の本当の動機を明らかなものにします」そして、「人口管理は何を最終目標にしているか」という質問が我々の中に起こってきます。経済発展ではありません―バングラデッシュやベトナムや多くの国々は、多産が衰えることで、生活水準が改善することはないことを証言しています。政治的な安定でもありません――インドやケニアは攻撃的な人口プログラムによって劇的な社会不安が引き起こされたことを証言しています。女性の権利でもありません――中国やブラジルやハイチは、強制的な妊娠中絶や、断種手術や、避妊実験を通して女性の身体に対して組織的に冒涜していることを証言しています。

毎年、人口管理のために用意される莫大な総額を与えられて、寄付者が彼らの投資額に相当するように高い報酬を要求することを自然に予期するでしょう。ほとんどのケ−スにおいて、「報酬」は、生活水準の劇的な改善や、経済発展の成長や、女性の地位の向上ではないのです。人口管理者が多額を投じて達成したい「報酬」とは、アフリカ人やアジア人や、ラテンアメリカ人の子どもがより少なく生まれてくることなのです。生殖の権利と女性の健康という最近の言い訳は、人権と権力という議論好きな質問です。家族計画活動家に最も標的にされやすい人々は家族計画に最も似ていない人達です。つまり、貧困で、発展途上国の人々なのです。

結論:

文明は、女性や子ども、無防備な人や初老の人、貧困者や病人をいかに扱うかによって判決を下すことができます。攻撃されやすい人々は社会の親切や残酷さを明らかにします。そして時折、彼らは不道徳な計画に服従させられます。そして、それは何世紀にも渡るので恐怖でひるむでしょう。

今日の発展途上国において、これらの実践は普及しています。何百万人もの強制された妊娠中絶や断種手術が存在します。何百、何千もの女性が危険な薬や装置を使って安く、使い捨ての人間実験に使われています。知識がないまま卵管を結ばれてしまった大勢の女性達や銃をつきつけられて断種手術をした人や妊娠9ヶ月で中絶を強制された女性もいます。

先進国において、私達もまた独特の野蛮性を持っています。野蛮性―つまりそれはいろんな点において最悪なものです。第三世界の女性達はだまされ、賄賂を贈られ、操作され、脅され、強制されて、子どもを殺され、身体を切断されます。第一世界の女性は喜んで基本的人権のために時々、熱狂的に支払いをします。アメリカ合衆国では、出産前の子どもを殺すだけでなく、密売人が臓器売買の商売を作り、中絶した子どもの身体の一部を売りさばくのです。私の大学であるプリンストンで、人間の価値を取り違えている教授であるピ−タ−・シンガ−は、公然と幼児殺しを擁護しています。ブリトンでは、クロ−ン人間を作るという暗い雲はもはや地平線の上にありません。

しかし、優生学者と人口管理者と妊娠中絶活動家は全て間違いを犯しています。世界の問題は人々が多すぎることではなく、あまりにも多くの罪があることです。子ども達が多すぎるのではなく、欲が深すぎるのです。彼らが努力して作り上げた文化は、人を自由にするものではなく、人を奴隷にするものです。それは、女性の多産を、圧制者と見たり、胎内の子どもを性の遺伝病と考えたりする我侭と破壊の文化です。そして、アルバ−トスイッチャ−がかつて言ったように、文化が生命の一部に対して尊敬を失ったとき、それはつねに生命全ての尊敬を失うことになります。

しかし、絶望の原因があるなら、希望の原因があります。今日における、私の挑戦は、どれだけ貧しくあろうと、どれだけ無防備であろうと、どれだけ若くても、どれだけ病気であっても、とにかく全ての人間の生命と尊厳を尊重するという約束を更新することです。私の挑戦は、私達のためであって、最悪は終わったという心地よい信念にしがみつくためではなく、たえず全てのしるしにおいて死の文化と闘い続けることです。なぜなら、私達は人生の伝道師である、福音伝道者と呼ばれているからです。私達1人1人がまぎれもない個人の道において、人生と愛の文明を作るために神に呼ばれています。以下は第二法の書三十:19の神の言葉です。「今日私は天と地とをおまえたちに対する証人として立てる。私は、生命と死、祝福とのろいを示した。生命の方を選べ。そうすればおまえも子孫も生きられる。」


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