安楽死はどう考えますか?

セルトリ&ネルソン
Right to Life Australia (NSW)
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安楽死(その一)

『安楽死とは患者がかかっている病気によってではなく、医者によって死にいたることであると端的に言い表わすことができます』

安楽死が何を意味し、どのような影響があるかについて多くの議論があります。その言葉が意味するものは安らかな死であるとか、尊厳ある死であるとか言われています。また積極的安楽死、消極的安楽死のことも語られています。尊厳ある死に方をする権利があるとも言われています。

その結果として、一つにはそのテーマの難しさのために、また一つにはこのことで個人的に一番利益を受ける人々によって意図的に造り出されている混乱によって、人々は安楽死が実際に何を意味するかがわかっていないのです。

安楽死の歴史

歴史的に見れば、安楽死の問題は、医学が始まって以来ずっとあったのです。確かに、古代においては、医者が様々な毒物を調合して患者を死に至らしめることが頻繁に行なわれていました。そしてこのことは医業に大きな問題を投げかけていました。患者の立場からすれば、医者が自分を治そうとしているのか、殺そうとしているのかがわからないことは大変困ったことであったに違いありません。その問題のことを認識したのは紀元前230年ごろに死亡したヒポクラテスという非常に卓越したギリシャの医者でした。ヒポクラテスは有名な医学の教師で、「私はたとえ求められても患者に有害なものを与えることはいたしません。」という宣誓を全ての生徒にさせました。

このことは医学の大きな進歩でした。というのはそれが殺人と医業を分離させたからでした。そしてやっと医学の進歩が可能になったのでした。最終的にヒポクラテスの宣誓として知られるようになったその宣誓のメリットはすぐに明らかになり、ヒポクラテスの宣誓をすることは当時の医者にとっては当然のこととなり、それは今日までおよそ二千三百年の間、ずっと行なわれてきているのです。

この道徳的規範、この医学の倫理がキリスト教より三百年近くさかのぼること、従ってそれが現在も守られ実践されている世界で恐らく最も古い道徳規範であることは、注目に値する興味深いことです。

何世紀にもわたって、全ての国の法律体系、宗教倫理、そして医学的倫理規範は、安楽死は非合法的、非倫理的なものであるとしてきました。そして安楽死は世界中の至る所で非難されてきました。

歴史的には、二人のドイツ人が一九二0年に、「価値のない命の破壊行為の公認」という本を出販する比較的最近まで、安楽死の問題が再び注目すべき重大な問題になることはありませんでした。その著者は法律学の教授であり哲学博士である弁護士のカール・ビンディング博士と、医学博士で精神科医のアルフレツド・ホッヘ博士でした。

彼らが用いた論拠とは今日用いられている論拠と全く同じものでした。つまり、それは「思いやり」というものだったのです。彼らは人間が苦しみながら死ななければならないのは残酷である、だから死ぬという行為の期間を短くすることは許され、人間には尊厳ある死に方をする権利があると言いました。彼らはまた、安楽死の対象として彼らが「役に立たない白痴」と呼んだ子ども達、今なら精神的、肉体的に発達の遅れた子どもと呼ばれる子ども達をも含めていました。

価値の無い人間を殺すことを主張した本が一九二0年に出版された後、慢性的な病気の人に対する、伝統的な思いやりのある19世紀の考え方に反対し、この破壊的な考え方を取り入れることに賛成する趣旨の宣伝が頻繁に行なわれました。つまり、もしある人が死んだほうが幸せだと判断されたならば、その人は殺されるべきだという考え方です。映画や本やさらには学校での子どもへの教育を通して、安楽死の経済的なメリットについて宣伝活動が行われました。

ドイツにおける安楽死

一九三六年までに、肉体的、社会的に不適な人間を殺すことは大っぴらに認められていたので、そのことがドイツ医学ジャーナルに書かれたほどでした。

ドイツにおいては、安楽死が特に何の法的措置もとられることなく広く行なわれていました。

安楽死を公認する唯一の文書は一九三九年十月にヒトラーの個人的な書簡に書かれた手紙ですが、それは戦争の最初の日にさかのぼるものでした。

それは任命の手紙であり、それには「ライヒスライター・ボーフラーとブラント医学博士に治療不可能だと判断される人間は、病状を慎重に診断したうえで、安楽死させることができるよう、指名された医師の権限を拡大させる責務を委ねる。」と書かれてありました。安楽死は法律で止めることが全くできないほど広まっていました。

第二次世界大戦中、ドイツがオランダを占領している間、ドイツ軍はオランダ人の医師に、公務として患者の治療にあたることに同意するように命じました。オランダの医師達は、このことにはユダヤ人計画に関与することが含まれることになると察知し、オランダ中の全ての医師がそれを拒否しました。するとドイツ軍は彼らの医師の免許状を取り消すと脅迫しました。そこで全てのオタンダの医師が免許状を返しました。説得したり、脅迫したり、ドイツ軍はいろいろな方法を用いました。その中には百人ほどの医師を収容所送りにすることも含まれていました。しかし、オランダの医師達はそれでもがんとして協力を拒否しました。約50年後の今、オランダ人は、医師としてのあり方を見失い、安楽死を行なっているのは驚くべきことです。

医学協会

世界医学協会は一九八七年に、そしてイギリス医学協会は一九八八年に、安楽死に関する状況を再調査し、それに反対する立場を再確認しました。数ヶ月前にオーストラリア医学協会の連邦審議会が80対lで安楽死を却下したことも注目すべきことです。

安楽死を支待する人々の動機は推測することしかできませんが、確かに純粋な思いやりの気持ちから生じていることもあります。そして、死が間近に迫っている友人や家族に対する医療の質の低さを直接経験したことによる怒りやフラストレーションの気持ちから生じている場含もあります。

ドイツにおける安楽死の影響

ドイツにおける安楽死の状況をふりかえって見ましょう。

最初は、安楽死の対象となったのは末期患者と精神的肉体的障害のある人々でした。最顕症期にある精神分裂病と妄想性の精神病患者と、深刻な精神的肉体的障害を持った子どもつまり白痴の子どもだけでした。最初は3才以下の子どもだけでしたが、それから年令制限が8才、12才、17才へと上げられました。

幼い子どもは食物に鎮静剤を混ぜる割合をだんだん多くしていくことで、大きい子どもは注射によって、そして後にはガスで殺されました。

これらのことは全て、自らを社会医学の先駆者だと思っている医師達によって行なわれました。

殺された人々の総数はわかりませんが、実際その中には3万人以上の知的障害者が、また耳の奇形、慢性的夜尿症、問題行動、教育困難、顔色が非常に黒い、黒い目などのような理由で殺された子どもが百万人以上いたことは確かです。

これらのことは第二次世界大戦前に行なわれたことですが、一九三九年には、ヒトラーとナチス政府が殺人計画を、ユダヤ人やロシア人やジプシーやポーランド人や非アーリア人などの劣っていると見なされた民族へ、そして最終的には、政治的に対立しているドイツ人や同性愛者や第一次世界大戦で手足を失った人々や老人そして病気で働けないものにまで広げたのです。

それから捕虜収容所の囚人に対して、彼らを殺す前に全く残酷で非人道的な、科学的には価値の無い医学的な実験が行なわれたのでした。

これらの人々は、生存時間や、蘇生の技術を調べるために、雪の中に埋められたり、氷水の風呂の中に裸で浸けられたりしました。エツクス線の照射、不妊手術、マスタードガスや、マラリヤ菌や、様々な毒物や、石炭酸の注射や減圧室などを使った実験をはじめとする多くの実験が行なわれました。

ベルゼンの強制収容所にいたコッホという名前の女性は、「ベルゼンの獣」という異名をつけられました。彼女が行なった残虐行為の中に、珍しい刺青をした男性を殺させ、彼らの皮をしなやかにして、ランプのかさにしたというのがありました。ベルゼンの収容所だけで毎日九千人をガスで殺し、火葬することができました。第二次世界大戦の終わりまでに、殺された非常にたくさんの人々のうち、ユダヤ人は六百万人を超えました。

戦後、約二百五十人のドイツ人が非人道的犯罪を犯したことで告発されました。半数近くの人々が絞首刑にされ、また半数近くは証拠不十分で無罪とされ、残りの人々は様々な判決を受けました。

オランダ

オーストラリアにはオランダにならって安楽死を合法化すべきだと言う人々がいます。オランダでは安楽死が広く行なわれているけれども、法律は変っていないのです。安楽死は「注意を要する医療」または「死の援助」として偽って行なわれているのです。オランダでは、直接死に至らしめるものであれ、または自殺の幇助であれ、安楽死は形式的には合法化されておらず、現政府はその方針を変えるつもりはないと表明しています。その立場は、安楽死は犯罪であるが、適切な手順で行なわれたならば、起訴されることはないという点において非常に奇妙なものです。起訴された人々は普通有罪と認められますが、刑が科せられることはありません。

一九七0年代に、ある女性医師が、母親からの要請によって、モルヒネの過剰投与で母親が死ぬような措置を取りました。一九七三年二月二十一日、注射を射った医師は有罪になり、執行猶予のついた一週間の禁固刑が言いわたされました。

集中治療病棟の三人の昏睡状態にある患者を、親族に知らせず、その同意も得ずに毒物を注射して殺した看護婦は殺人罪で告発されました。その事件は安楽死に対する考え方に関する、看護婦と医者との間のコミュニケーション不足という理由で棄却されました。その看護婦は懲戒を受け、執行猶予つきの拘置二年を言いわたされましたが、それには、二年以内に同じ罪を犯さないという条件がついていました。

ドイツ政府からの委託をうけた調査のレンメリンクレポートの一九九一年版によると、一万五百五十八件の安楽死が行なわれ、その内の55%は自発的なものではない、つまり患者は同意しておらず、自分の身にどのようなことが起ころうとしているのかがわっていなかった、ということです。このことが病院で行なわれたときには、45%のケースで安楽死が、患者自身が知らないばかりか、患者の親族さえ知らないで行なわれているのです。

老人の患者は病院に行きたがらず、医者に診察してもらうことを拒否していると報告されています。


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