エイズと“技術的解決策”

Hanley. Matthew (ハンリー,マシュー)
倫理と医療
2008年12月 第33巻 12号
翻訳 佐倉 泉
許可を得て複製
英語原文より翻訳: www.lifeissues.net

この5月、サイエンス誌は、注目に値する記事を掲載しました。それは、世界的なエイズ予防の優先順位を、特に最も打撃を受けているアフリカ南部で、根底から転換するよう、呼びかけるものでした。(1)記事は、技術的な“リスク軽減”戦略、すなわちコンドームの使用、カウンセリングと検査の奨め、エイズ以外の性感染症の治療という“三連勝単式”が、その推進者たちの期待をはるかに下回る効果しか上げていないにもかかわらず、エイズ感染を食い止める世界的努力のかなめとして定着しつづけていることを認め、異議の声を上げています。国際的な権威は、過去20年近くのあいだ、この方法にすっかり頼ってきているのです。最先端を行く学術機関の科学者たちによって書かれたこのサイエンス誌の記事は、アフリカにおけるエイズの発生を減らすためにはるかに効果のあった方法を明確にし、力を入れるようにと呼びかけています。それは、行動の変化、すなわち[未婚の人々の]貞潔と[夫婦のあいだの]忠実、そして男性の割礼(陰核切除)です。

成功への鍵

第一に、筆者たちは、世界で最も深刻なアフリカ南部のエイズの流行が、性交渉の相手が複数いるという行動パターン、しばしば同時に複数であることによって拍車がかかっていることを明確に示しています。HIVの感染は、この地域の男性の多くが割礼を受けていないことによってさらに増幅しているとのことです。第二に、筆者たちは、アフリカにおけるエイズの流行を食い止めるために行動の変化が果たした不可欠な役割に注目し、行動を変えることの絶対的重要性を確証しています。実に、アフリカでHIVの感染率が下がったすべてのケースは、性行動の根本的な変化が最も大きな要因となっています。カジュアル・セックスの65パーセントの減少により、1990年代初頭の20パーセント以上のエイズ感染率から、2001年の6パーセントまで減らすことに成功した、よく知られているウガンダの場合(2)だけでなく、ケニヤ、エチオピア、ジンバブエ、マラウィ、またカリブ海のハイチもこれに倣い、エイズ予防へのアプローチを、忠実と貞潔を強調する方向にシフトした結果、HIV感染が減ったのです。

その反面、南アフリカはコンドームを積極的に推進し、貞潔や忠実をほとんど重視しませんでした。同国で、複数の性交渉の相手をもつ率が高くとどまっていることは、危機的な高い感染率にとどまっていることのおもな原因になっています(3)。同じことが、世界で最もHIV感染率の高い、南アフリカ近隣諸国の多くについて言うことができます。実に、経験的データは、「コンドームの使用に重点をおいた予防キャンペーンは、一般化した疫病の蔓延を食い止める役割を果たしてはいない」ことを示しているのです。(4)

第三に、サイエンス記事の筆者たちは、最近、三度にわたって行われた無作為抽出の対照調査から、男性の割礼がHIV感染に対する生物学的予防の効果があることが実証されたことを強調しています。割礼を受けていない男性に比べ、受けている男性の抵抗力が顕著に上がることがわかりました(約60%)。(5)最後に、筆者たちは、貧困、医療を受ける機会が限られていること、識字率の低さ、戦争、性差別などの要因がアフリカにおけるエイズ蔓延の大きな要因であるという考えが偽りであることを暴いています。このことは重要です。なぜなら、現在予防において強調されている技術的な枠組みのような、誤った前提一つひとつによって、HIV感染の原因である実際の行動から、焦点が大きく外れてしまうからです。

ドルとイデオロギー

世界的なHIV予防対策の方向転換は、大々的に呼びかけられるべきものです。すぐにはそうならないかもしれませんが。ウガンダ・エイズ予防委員会の共同委員長、サム・ルテイカラ師が最近、ワシントン・ポスト紙に寄稿した記事で述べているように、エイズは、「何十億ドルも稼ぎ出す産業になってしまい」、利得行為(コンドームや試験キットなどの商品の売り上げによる)とイデオロギーが、予防のための健全な取り組みよりも優先されているからです。(6)大胆な告発ですが、簡単にあしらうことはできません。ルテイカラ師は、西側支援機関とのやりとりで、あきれてうんざりするような体験を自らしているからです。それらの支援機関は、国の予防対策の文書のメッセージに、貞潔と忠実という指針を含めることに組織的に抵抗し、その文言が挿入されるたびに削除したのです。貞潔と忠実は、そもそも、ウガンダがエイズ感染率をほかに例を見ないほど劇的に下げることに成功した要因そのものであるにもかかわらず。実に、予防の力点がウガンダの当初の忠実というアプローチから、国際支援機関が推進するコンドームへと移るにしたがい、エイズ感染率はここ数年、再び上がりはじめています。メディアはしばしば、この感染率の高まりを、コンドームが十分に行き渡っていないことに起因すると説明していますが。(7)

高い成功率が実証されている、有効で主要な予防手段をこのようにサボタージュするということは、どう説明したらいいのでしょうか。はるかに成功率の低いHIV予防の方策を執拗に強調しつづけることの、最も深く掘り下げた、最も正確な説明は、固く保持された観念の領域に見いだせるでしょう。教皇ベネディクト十六世は、2008年4月の米国訪問の際に、そのような観念に人々の注意を喚起させました。私たちの文化に内在する、「善を前にしたときの」ある種の「気おくれ」を当然とする傾向を説明し、教皇は、「特に憂慮されるのは、性教育という尊く繊細な分野が、リスク管理の教育に矮小化され、結婚の愛の美しさに結びつけることなく教えられていることです」(8)と語りました。教皇は、西欧社会のカトリック高等教育機関の関係者に、自らの明確なアイデンティティーを保つ重要性について語っていたのですが、この考察は、ほとんどの国際的なエイズ対策の取り組みの本質をとらえています。

「リスク軽減」(教皇の言う「リスク管理」は、公衆衛生関係者のあいだではこう呼ばれる)という広く行き渡った哲学が、人間の性に関わるほとんどすべての事柄に関する政策を支配している、と考察したベネディクト十六世は、核心をついています。エイズに対する予防の前線としてリスク軽減が繰り返し強調しつづけられることは、性感染症予防のすべてアプローチと同様、根底にある価値観から自然に生じてくるのです。多くの国際的なエイズ活動組織は、善意からにちがいありませんが、現代の文化とその価値観から発想を汲み取っています。人間、性、人間同士の関わりのあり方、自己犠牲、責任などに対する世俗主義的なとらえ方の影響を受けています。特に公衆衛生のあり方は、より広範な文化を反映して、ある種の利便主義をまるで教義のように採用する傾向があり、それは本質的に、HIV予防のための特定の技術中心的な提案に転換されるのです。

利便主義の障害

利便主義にはさまざまな流れがありますが、一般に、人間の行動を評価する際に道徳的配慮を無視し、その代わり、結果の領域に行動の規準をシフトします。客観的な、道徳的、哲学的な真理に結ばれることのない利便主義は、性交渉の相手を限定する根拠として、内的に一貫性のある論理を提示することができません。そのため、HIV予防の二義的手段としてのみとらえられるべき方法、コンドームの使用、自発的なカウンセリングと検査、ほかの性感染症の治療を、予防の取り組みとして打ち出してくるのです。これらの方法は「最大の善(快楽と解釈してください)を最大数の人に」もたらすのに役に立つとされればされるほど、本質的に利便主義的なのです。貞潔と忠実という理想の道徳規準が、HIV予防の第一の最も効果的な方法でもあるにもかかわらず、利便主義の計算においては、総合的な「快楽」の低減を表すものなので、取るに足らないものとして脇に追いやられてしまいます。

二義的なリスク軽減の手段は、「科学的」という衣装をまとっていますが、意図された結果を生み出してはいません。すなわち、HIV感染の減少という結果です。そのため、これらの手段が特権的地位を維持しているのは、明らかに科学的に優れていると認められるためではなく、少なくとも、部分的には、その推進者たちが、人間、自由、性に対する自分たちの特定のとらえ方を推進したいからだという結論は、避けがたくなります。このような現実を前にして、エイズに対する国際的な対応の大部分により、イデオロギーに基づく促進活動に優位が与えられながら、健全な公衆衛生の理念がそっくり棚上げされてしまったと、正当に考えざるをえないのです。

しかしながら、多くの世界的エイズ活動組織の政策ビジョンの形成に大きな影響力をふるうこのメンタリティーがまな板に上り、批判にさらされることは、これまで非常にまれでした。批判はかえって、“現実的な”HIV予防の障害となっている組織として、カトリック教会や、貞潔と忠実のそのほかの推進者たちに向けられてきました。なぜなら彼らは、性行動の道徳的次元を真剣に受けとめるから、というのです。(9)広く行き渡った公衆衛生アプローチは、もっぱら身体的な側面だけに注意を集中し、人を愛することはどういうことなのか、それとは対照的に、人を利用するとはどういうことなのかといった本質的な考察を締め出した、空洞の中にとどまっています。愛すること、利用すること、という対極にあるものの区別を拒否することは、驚くべき見落としであるとしか言いようがありません。たとえそれが、愛そのものが「すべての人間一人ひとりの、基本的で本来的な召命(人生に与えられた使命)である」(10)と断言したヨハネ・パウロ二世の言葉を受け入れる(あるいは伝染病の制御にとって意味があると考える)気のない人であっても。

致命的な欠陥

HIV予防のために圧倒的に多く採用されているアプローチの致命的な欠陥は、疫病制御の健全な、合理的な原則に適切に従うことよりも、貧弱な哲学を優先させたことです。このように優先順位をあべこべにしたことの結果は、アフリカの何百万もの人々にとって、厳しい現実となって現れています。アフリカでAIDSを減らすことに失敗していることは、「公衆衛生史上最悪の落ち度の一つ」(11)となっています。AIDSコントロールのほとんどのアプローチに痛ましいほどに欠如しているのは、まさに、単なる「リスク」あるいは「害の軽減」を超えた、すべての人が求めることのできる倫理的な基準なのです。HIV予防対策における強力な手段として男性の割礼がもつ可能性でさえ、技術に対する倫理の優位を維持する、より幅広いコンテキストに統合されなければなりません。割礼はその生物学的予防効果のため、コンドーム使用促進や抗レトロウィルス治療など、ほかの技術的な介入によって時に見られた、逆説的な、意図しないリスクの増加なしに、導入できるでしょう。(12)しかしなお、「技術の前進は、それに見合う道徳と倫理の成長を求める」ということを私たちは忘れてはならないのです。私たちの時代に、道徳と倫理は、「残念ながら常においてきぼり」(13)になっているように見えるにもかかわらず。

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