人間のいのちの重さ

Garneau, Sally (ガーヌ・サリー)
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十八歳のとき、ボーイフレンドと同棲を始めるために引っ越した直後、妊娠していることに気づきました。私は子どもがいる生活を想像できず、脅え不安になりました。友人や家族に相談した結果、中絶することが現実的なように思えました。なんといっても、私は美しさも知性もある若い女性なのだし、輝かしい未来が待ち受けていると考えたからです。

そのとき、自分が既に妊娠六ヶ月に入っていたのには驚き、面倒なことになったと思いました。中絶も簡単な方法ではすまなくなり、危険なことが明らかだったからです。でも、私がもっとも信頼している人たちの助言によって、ついに中絶を決断しました。手術の予定は、一週間後に組まれました。

4月のある早朝、ボーイフレンドと一緒に病院に行きました。まず最初に、検査をしてから処置室に連れて行かれ、そこで胎児の致死量に十分なマグネシウム下剤を、子宮に注入されました。数分もしないうちに、今度は病室に案内され、生理痛よりちょっとひどい程度の腹痛があるだろうということ、全部終わるまで24〜48時間程度かかるだろうということを聞かされました。不要な胎児を体が自然に追い出すのを待つ以外に、何もすることはありませんでした。死んだ赤ん坊を出産するとでも言いましょうか。ベッドで安静にして、赤ん坊が出てきたら看護婦を呼ぶように言われました。

病室には全部で6名の女性がいました。最初は楽しくおしゃべりしていました。それぞれの家族や友人が出入りするので、話はつきませんでした。しかしその楽しい雰囲気も、最初の「出産」が起こったときに全く変わりました。笑いは徐々に恐怖と痛みに、好奇心は悲哀に変わり、重苦しい沈黙が部屋中を覆いました。そのときから、私の人生が変わることになったのです。

肉体的な痛みがほとんどなかったことは、今でも不思議なくらいです。お通じ程度のものでした。少なくとも、何だろうと思ってシーツをめくって、あの赤ん坊を見るまでは。真っ赤で血だらけで小さくて、それでも赤ん坊の姿をしたそれを見るまでは。その瞬間私はシーツを引き上げ、看護婦を呼びました。

看護婦を待っている間、私はもしかして「それ」が死んでいないのではないかという恐怖にさらされていました。ベッドで私のすぐ側にいるのは、肉であり、血でした。その瞬間私を襲った衝撃はあまりにも強く、私の意思とはうらはらに体は激しく震え出しました。涙がほほを伝い落ち、私はパニックに陥りました。

やがて看護婦がやってくるまで、永遠とも思えるほど長い時間が過ぎたように思いました。看護婦がカーテンを静かに閉め、手袋をつけるのを私はじっと見ていました。看護婦がシーツを持ち上げた瞬間、思わず顔をそむけてしまいました。その「不要物」を彼女が白い紙のバケツに入れるのを、見ることができませんでした。看護婦が去ろうと背を向けたとき、私にまだわずかにあった純粋な子どもの心も去って行こうとしていました。それでもなんとか、事実に心を閉ざし、その場をやり過ごしました。

2年後、私はそのときのボーイフレンドと結婚しました。結婚してわずか3ヶ月のうちに、私はまた妊娠しましたが、夫には知らせませんでした。そのとき私達夫婦は別居していて、子どものためにやり直さなければと、彼に思わせたくなかったからです。私達の関係は、暴力にまで発展していたので、私にはもう戻るつもりはありませんでした。

今度は、吸引中絶をしました。運よく、過度な出血や感染症のようなたいした副作用もありませんでした。病院に行ってから帰るまで、ほんの数時間でした。またしても、育児という重荷から逃れるのに成功したことになりました。少なくともそのとき私はそう思ったのです。

自分のしたことの意味に気づく日が突然やってきました。ある日のこと、テレビのチャンネルを次々切り替えているとき、胎児の映像にふと目が留まったのです。それが、「沈黙の叫び」という映画だと少しも気が付きませんでした。そして、強力な吸引のため胎児の体がばらばらになっていくのを見たのです。胎児は、まるで痛みや恐怖を感じているかのように、金属の機械に吸い込まれながらけいれんしているように見えました。

恐怖のうちに、私は胎児が生きていることを知りました。2回の中絶のことを思い出して、涙があふれてきました。これが自分の赤ん坊にしたことなんだ!私はその事実に突如打ちのめされ、取り返しのつかないことに気が付きました。その後5年間、この痛みは胸を去りませんでした。事実を知った苦しみは大きくなるばかりで、それが私がしたことの代償だったのです。

最初の中絶であんなにも恐ろしい気持ちを覚えながら、どうしてまた同じことをしてしまったのか。自分の目の前で赤ん坊の亡骸を見ておきながら、なぜ2人目の子どもを処分しても大丈夫だと自分に言い聞かせることができたのか。受け入れる気持ちをまるで持たず、「そんな生活には耐えられない」という唯一の理由で、自分は正しい選択をしたと思い込んでいたのです。その選択は、とんでもない結果に終わりました。

看護婦が私の子どもをバケツに入れたあの日の午後のことが、自己嫌悪の始まりになり、人生に価値を見出すことができなくなりました。そしてその傾向は、離婚やその後の生活で強まるばかりでした。私は、複数の男性とのセックス、ドラッグにお酒と堕落した生活におぼれるようになりました。数少ない真剣な付き合いの中でさえ、肉体の暴力、言葉の暴力、性的な暴力を許容していました。潜在意識下で、それらに堪えることで自分を罰していたのだと思います。その後堕落した生活と男性関係が10年以上も続くことになったのです。

中絶の影響は、感情的、精神的な苦しみだけには終わりませんでした。中絶が安全だと思っていたにもかかわらず、私は妊娠が難しい体になっていたのです。主治医は、私の子宮は傷だらけだと言いました。胎児を取り除いた後、子宮から残留物をこすり落としたのが直接の原因だったようです。さらに、子宮内膜炎にかかり、2度の手術と眠れない日々というおまけもついていました。

私は、罪のない赤ん坊を殺してしまいました。中絶は、生まれてこなかった赤ん坊の人生のみならず、母親の人生も変えてしまったのです。自分だけの利益を考え、自分だけの選択する権利を貫くたびに、私の一部が死んだのです。これは、自分自身の経験から言うのです。

無知だった私は、決して取り返しのつかない選択をしてしまいました。その結果、ほとんどと言っていいほど自分を尊敬できなくなりました。しかし、失くしたのは、それだけではありません。あの選択のおかげで、人としての自分のあるべき姿を私は忘れてしまったのです。私は、人のいのちの重さを無視してしまいました。2人の人間の生命が、私にかかっていたのに。あの経験のおかげで、死について考えるようになりました。

中絶をしようと思っているあなた。子育てにわずらわされたくなくてあれほどまでに守った私の人生は、今や後悔で埋め尽くされました。でも、あなたにはそうなって欲しくないのです。あなたには、いのちを選んでほしい。そして、女性にしかできない経験を無駄にしてほしくない。まわりの人は、あなたが若すぎてそんな責任には堪えられないと言うかもしれませんが、子どもに生きる機会を与えないことで、良心の呵責と自分に対して恥ずかしい気持ちで人生を過ごさなければならないのは、あなた自身なのです。

あなたの選択が、あなた自身の現在と未来にどんな影響を与えるか、よく考えてください。中絶が、体や心に与える悪影響を知ってください。子どもを育てるか、養子に出すという選択肢もあるのです。何を選ぶにせよ、その後いろんな面でどうなるかを、よく考えてください。結局は、選ぶのはあなた自身です。だけど、あなたが葬り去る人生は、あなた自身の人生を葬り去ることにもなるのです。

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