最終局面:生殖技術の進歩と自然生殖の消滅



(続く)

F. クローニング

成体オスの哺乳動物としては世界初のクローン・コピー、羊のドリーが1997年2月に世界に発表されて以来、我々はクローニングに関する広告やマンガ、ニュース項目をひんぱんに目にしてきた。実際、ヒトのクローニングは次のマンガのテーマに見られるように滑稽な面を持ち合わせている。

1。ジャック・ストロー内相はピノチェト将軍のクローン・コピーを一人スペインへ送り、もう一人をチリへ帰国させることによって、外国犯罪人引渡し問題を解決する。

2。「スペア・パーツ」のクローン技術を使用して英国上院の改革がなされた。全議員がトニー・ブレア首相寄贈の特徴を持つ顔になった。

3。クリスマスの朝、息子に化学の実験セットのプレゼントは早すぎたんじゃないと妻が夫に小言を言う。そこへ息子のコピー40人が階段を駆け下りてきて、妻は叫ぶ、「まったく、もっと大きな七面鳥のローストが必要になるわ」

しかしこのように屈託のないとらえ方がされたからといって、ヒトのクローニングに関する一般の人々の知識の蓄えが尽きることはない。事実、主なテーマは、古くはメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」の時代からSFというジャンルによって提供されてきた。中でも最も記憶に残る例はアイラ・レヴィンの「ブラジルから来た少年」であろう。後に映画化されてヒットしたこの本には、アドルフ・ヒトラーを生き返らせようとするナチス支持者のグループが出てくる。

彼らが思いついた計画とは、オリジナルの体から回収した材料を使って、ヒトラーのコピーを大量にクローニングすることであった。生殖、再生技術に詳しい生物学者がこの実験を手助けし、「一回分」の赤ん坊クローンが複数の代理母の子宮に妊娠させられる。新たなナチスの指導者を生み出すチャンスを最大にするために、狂信者たちはオリジナルが受けたのと同じ幼少期の教育を再現することにする。計画の一端として男の子たちの父親を皆殺害して、代わりに聡明なおじをあてがう。このおじが子どもたちにクラシック音楽や文学の手ほどきをしたり、美術館を楽しむといったことを教えていくのである。

レヴィンがこの本を書いた当時は、このようなことは科学的に不可能であった。しかし1999年となった現在では、成功を納めたクローン羊やネズミの実験にならい、細胞核の材料としてオリジナルから生きている組織を入手できれば、それが可能なのである。

またジョナサン・グラヴァー博士の功績も、ドリー以前のヒトのクローニングに関する論争に重要な貢献をした。1984年にグラヴァー博士は次のような見解を述べている。裕福な家庭は、さほど遠からぬ未来に、妊娠した子ども一人につきスペアのコピーを二体作るようになるかもしれない。最初のコピーはオリジナルの「社会的」クローンとしてオリジナルと同じ学校や大学に通い、同じ職業訓練プログラムに参加する。二番目のコピーは「植物」クローンとして有機栽培の食物を与えられ、オリジナルに何らかの健康上の問題が生じた場合にはスペア・パーツとして使われる。植物クローンは、必要とあらば「社会的」クローンのためにその体を提供することもあるかもしれない。

グラヴァー博士はさらに、クローン養成所から「植物」クローンが逃げ出そうとするという問題までも取り上げ、それを防ぐには生後すぐに彼らに外科的手術をして、あるいは強力なレーザーを使ってロボトミー(大脳の白質切除術)を施せばよいと提案している。

もしオリジナルあるいは社会的クローンに輸血や骨髄移植が必要になった場合、植物クローンは多分術後も生きていることが出来るであろう。しかし心臓が必要になった場合は、手術は植物クローンにとって確実に死を意味する。

そのような案は「植物」クローンを道具化し、その本性を奪うものであるということはすぐに理解できる。彼らクローン人間は、目的に達する手段としてではなく、彼ら自身に目的があるものとして尊重されなければならない。ヒトのクローニングがこのような形でなされるのなら、良心の命ずるところは明らかであろう。そして彼らに対する冒とくであるという事実は明白である。

残念なことに、ヒトのクローニングに関して1999年に行われた実際の討論では、この問題が提示する倫理上の最大の問題点が明らかにされていない。

討論をよりよく理解するために、fullpregnancy(完全妊娠型)クローニングと治療的クローニングと呼ばれるものとの違いについて言及しておく必要がある。二者の区別は、ヒトのクローニング問題の研究を命じられた四人のメンバーからなるワーキング・グループ(ヒトの遺伝学に関する顧問委員会、ヒトの受精及び発生学に関する事業団)によって1998年1月に考案された。

どちらのタイプのヒトのクローニングも、あの羊のドリーをつくり出すのと同じテクニックを使用することから始まる。まず、ある人間の体細胞の核をあらかじめ核を除去した卵子細胞の中に埋め込む。この新生胚を、化学薬品の溶液に浸したり電気ショックを与えたりすることによって成長させ、細胞分割させるように導く。これを代理母の子宮に移植することも、研究室のペトリ皿の中に置いておくことも可能である。

完全妊娠型クローニングにおいては、このようにしてつくり出された胚は女性の子宮に移植され9ヶ月間の妊娠期間を過ごす。一方、いわゆる治療的クローニングの場合は、その胚から胚性幹細胞(ES細胞)を取り出すとこが出来るようになるまで研究室に保管される。その後クローン胚は破棄され、胚性幹細胞は化学的操作によって移植可能な組織の中に移し替えられる。移動させられた胚性幹細胞の厳密な倫理的ステータスは、移動させられたその時期によって決まる。(この問題については、現在インターネット上で複雑な討論が繰り広げられている。)その討論の結論がどうであれ、胚性幹細胞が取り出された先のクローン胚は、1990年のヒトの受精と発生学に関する条例の規約に従って常に殺されてしまう。(この条例はそのうち改正されるだろうが。)これはまたしても、目的に達する手段として、決して、人間を使用してはならないという原則に明らかに反することである。この点に関する世間の報道では今のところこの事実が明らかにされていないし、ヒトのクローニング全般に対する賛否両論を均衡に報じてはいない。次にこのメディア・プレゼンテーションの問題に目を向けてみよう。


メディアの情報操作と不均衡なヒトのクローニング論争

長年にわたってライフは、問題の隠匿とメディアの情報操作を監視し続けてきた。それらは妊娠中絶と試験管ベビーに関する論争を歪曲してきたのだが、人々の利に反するその歪曲操作が今ほど極端化し、バランスの取れた論争の実現が拒まれたことはなかった。大多数の人間(電話調査では88%)がヒトのクローニングに反対だという事実を懸念したニュース番組や討論番組の制作者たちは、クローニングに反対の圧力団体よりも賛成の方に、一貫してかなり長い時間を与えてきた。

実例1。

ジョナサン・ディムルビーが司会を務める日曜午後のあるBBCの番組では、クローニングに賛成の三人の科学者に対して、二人の「関心のある個人」および彼らのサポート役ロバート・ウィンストン卿とを向き合わせた。反対者のチームにウィンストン卿がいたことは驚きであった。というのも彼が最近ブリティッシュ・メディカル・ジャーナルに寄せた「ヒトのクローニングの理由」という記事は、ヒトのクローニングに賛成の立場で書かれていたからである。ウィンストン卿が味方する側を変えたり、同時に両方の側に立つふりをしているのを目にしたのはこれが初めてではない。 次の証拠を考慮してみてほしい。

「ヒトのクローニングを行うべき医学的理由はどこにもないし、リスクは明らかである。ヒトのクローニングによって何らかの利益が得られると本気で信じている人など一人もいないだろう」と彼は1997年2月24日付けタイムズにこう書いている。しかしそれから5週間もたたないうちにブリティッシュ・メディカル・ジャーナル1997年3月29日号、「ヒトの医療に関するクローニングの有望性。道徳に対する脅威ではなく、エキサイティングな挑戦」と題された記事に次のように書いている。

「悲しむべきことにメディアはこの試みの持つ大きな可能性を無視して、それによって生じる影響ばかりをセンセーショナルに報じてきた。ヒトの生殖医療において、クローニングの技術は、治療が困難な不妊症に苦しむ人々に希望を与えることが出来る」。

1998年1月8日付けのデイリー・メールの記事(クローニング詐欺師にご用心)では、ウィンストン卿は別の意見であった。

「もしヒトのクローンがつくり出されるようになったら、倫理的枠組み全体が脅かされることになるであろう。クローニングによってヒトをつくり出すことを主張するような医師に対しては、用心しなければならない。ああ、全世界の全ての医師が英国の医師ほど倫理的、良心的だとは限らない。事実上ヨーロッパの全ての国がヒトのクローニングの実験を続行しない、という合意書にサインしている」(注:英国はまだサインしていない)

この記事が発表されたまさしくその日、タイムズはこう報じている。

「・・試験管ベビーの草分けであるウィンストン卿は、クリントン大統領の(研究室内でのクローニングのみを許可し、赤ちゃんをつくり出すためのクローニングは禁止する)措置を予想通りの反応だと称し、クローニングの技術は多くの不妊カップルに希望を与えると述べた」

四日後、インディペンデント(1998年1月12日)にウィンストンは次のように述べた。

「(ヒトのクローニングが恩恵をもたらすかどうか)私にはよく分からないが、多分答えはイエスだと思う」

実例2。

ジョン・ハリス教授がBBC2チャンネルのニュースナイトに1999年2月に出演した際、ヒトのクローニングに賛成の意見を主張したのだが、反対意見は差し挟まれなかった。

実例3。

ジェレミー・パクスマンの「スタート・ザ・ウィーク」という番組で、フェイ・ウェルドンが著書「ジョアンナ・メイのクローニング」と、自分の新しい劇「四人のアリス・ベーカー」について話した。劇の構成は論争を短絡化し、ヒトのクローニングに問題はないという立場を提示するようなものであった。ウェルドンが話し終えると、ルイス・ウォルパート教授がそれを支持する意見を述べ、私はヒトのクローニングに反対のきちんとした論拠を示してくれる人にはシャンペンを一本差し上げましょうと申し出ているのですが、と述べた。シャンペンの企画はもう二年前からしていますが、これまでに挑戦してきた人は一人もいませんね、ということだった。

これらの番組のどれ一つをとっても、クローニング賛成者と反対者の見解をバランスよく報じようとしていないことにお気づきであろう。

討論など存在しないか、あってもいんちきであるというパターンが浮かび上がってくる。一年前には、二人の人間に討論するふりをさせることがはやっていた。しかしよくよく意見を吟味してみると、二人ともいわゆる「治療的」クローニングに賛成であったことがわかり、うち一人が完全妊娠型クローニングの短期の実用性に問題があり心配だと述べる。するともう一人がそのような懸念を吹き飛ばすようなことを言う。

このような偽装討論は大西洋の両側で行われ、クローニングに反対するコミュニティの声を完全に締め出していた。

ところで、2月のニュースナイトで明らかに示されたように、1998年に行われていた偽装討論に取って代わり、1999年には問題の討論自体が完全に拒否されている。

我々はどこに行こうとしているのか、また、ヒトの自然妊娠はこの先どうなるのか?

1970年代初期、体外受精の生みの親であるロバート・エドワーズ博士は、これから40年の間に、ほとんどの子が科学技術の手助けを受けて受胎させられるようになるであろうと予言した。現時点では、この予言は奇抜なものに思われるかもしれないが、以下の話を考慮してみれば、体外受精が普通になってしまうような急激な変化はそれほど遠くない未来にやって来るのかもしれない。

1990年代の中頃、ティーンエイジャーの妊娠に関する問題を話し合うための会合が保健省によって企画されたという。当時、英国のティーンエイジャーの妊娠率はヨーロッパの中で最も高く、そのレベルはフランスの二倍、北欧諸国の七倍であった。(現在もそうである。)会合に集まった専門家たちに、その率を下げるにはどうしたらいいか、という質問がなされたとき、経口避妊薬の考案者であるカール・ジェラッシ博士が信じられないようなショッキングな提案をした。 12歳になった全ての男子に避妊手術を義務づければ、ティーンエイジャーの妊娠率はかなり減らせるだろうと主張したのである。ジェラッシ博士の説明では、12歳になった少年は皆、精子凍結バンクに精子を寄付することにする。そうすれば少年たちは15年ほど自由にふるまうことが出来る。そして生涯の伴侶を見つけ、家族を持ちたいと思ったときには、パートナーから卵子をいくつか採取してペトリ皿の中で受精させ、試験管ベビーを誕生させる。そのベビーたちを遺伝学的に審査し、「最良」のものだけを母親の子宮に戻せばよい。これで一挙に、数百万ポンドの体外受精産業が数十億ポンドの産業へと生まれ変わるだろう。

会合の他の出席者たちからは反対意見が出されたという。「それでも、ティーンエイジャーが妊娠する場合、相手の60%が20歳以上の男性である事実を視野に入れると、妊娠率は高いままで変わらないのでは?」「はい、避妊手術の義務化を導入する法律は、すでに12歳以上になっている男性全員に避妊手術を強制するよう遡及力を持たせなければなりません」

また、人々が観光旅行を続ける限りは、結果としてティーンエイジャーの妊娠につながるのではないかと懸念を抱く者もいた。おそらく観光旅行は、男性の避妊手術に関する多国間の同意書にサインした国々のみに制限されるであろう。

討論の雰囲気は功利主義的なものであり、ヒトの生殖の本質が変化させられることへの根本的な反対意見というものには話が及びもしなかった。

そのような功利一辺倒の考えに捕らわれている人々の調査分析は、何をもってヒトの進化となすかという問題のひどくゆがんだとらえ方に影響されていることが多い。

科学的または技術的強迫観念、すなわち、科学によって可能なことは全て実行すべきだという考えが実利主義の崇拝と密接に結びついて、ヒトの繁栄について非常に抑圧された偏ったとらえ方がされるようになった。生殖技術が自然生殖に取って代わるということはそのゆがんだ世界観の兆候である。

この猛襲に対して守りを固めるには、人類学を十分研究し、発展させる必要がある。それは自然生殖の美点と重要性を解き明かすものであり、ヒトの生命の純物質的側面の範囲を超えるような現実に気付かせてくれるものである。

自然生殖の本来の姿についてよく考えてみると、ヒトの進化についての定義が具体化されるであろう。そして現在脚光を浴びている物質的および科学的側面と並んで、人格的および倫理的側面についても詳述されることになろう。

結論

人間の誕生というものは、遙か遠い昔から変わらないものであった。二人は夫婦として一体となった。そしてこれまでにない授かり物として息子や娘が生まれた。今や我々は性的結びつきと子どもを授かることとを切り離して考えるようになってしまった。赤ちゃんとは関係のないセックス(避妊)という考え方は、すぐにセックスとは関係のない赤ちゃん(試験管ベビー)という考え方に行き着く。もはや両親とは関係のない赤ちゃん、ヒトのクローンが誕生しそうだからといって驚くことはないではないか。

自然生殖の領域に、相次ぐ技術革新の波が押し寄せている。試験管ベビー、代理母、人工授精に加えて精原細胞移植術、卵子の融合(父親のいらない赤ちゃん)、男性の妊娠、そして生殖技術の最高峰、ヒトのクローニングである。

生産分野の用語がヒトの生殖活動の領域にまで入ってきてしまったために、人々は品質管理と全面的製品管理に容赦なく駆り立てられている。近い将来、一連の出生前検査を受けずに自然生殖という手段にたよることは、無責任だと見なされるようになってしまうかもしれない。近未来の住人たちは、完璧とは言えない赤ちゃんを目にしたとき腹を立てるようになるかもしれない。「異常を調べる検査が受けられたのに、知らなかったの?」ダウン症の子を持つ母親の面前で、心配した一市民が発するちょっとした非難の言葉がこれであろうか?すでに障害を持って生まれた人々に対しては特別の援助やサポートを提供しておきながら、一方では、これから生まれる、特別のケアを同様に必要とする子どもたちを検出してはいのちを奪うという今の変わり身の早さを維持することは実際可能であろうか?

新しい形の差別が生じ、子どもたちは年齢や肌の色ではなく、どのような手法によってこの世に生まれたか、でお互いを区別するようになるであろう。(遺伝子検査を受けた)試験管ベビーとして生まれた子どもたちは、違う部類として見なされはしないだろうか?クローニングの手法によって生まれた子どもたちは差別を受けないだろうか?オールダス・ハクスレーの「ブレイヴ・ニュー・ワールド」にそっくり同じことが鮮明に描かれている。

実際このような問題がどうなるか、全ては21世紀という幕に覆い隠されている。それによって我々の将来が決まる。しかし将来がどうであれ、人類の誕生は二度とこれまでのようにはいかないであろう。五体満足であるかどうかに関わらず、無条件に子どもを受け入れる考え方は永遠に葬られてしまった。同時に、これまで両親と子どもの「根本的平等」を支えてきたヒトの生殖の偶発性と不確実性も失われてしまった。というもの、計画され命ぜられて生まれてくる者は、それを計画し命ずる者と平等ではあり得ない。

最後に、自分たちの姿を離れた視点から考察してみよう。視点を離してみると、我々が科学技術の信奉へとひた走っていることが分かる。また始めに引用したフレーズ「未来への愛が始まるところ、それ以外の愛が終わる」が真実であるということが理解できる。人はより速く、より豊かに、より優秀になるのと引き替えに、自らの価値を下げ、生気に満ちているとは言い難くなり、人間としての本来の姿から遠ざかってしまう。

事実、我々が今目にしているのは人類の動物化に他ならない。農場内の繁殖技術が自然生殖をしのぎ、人間の個性を構成する主な要素を覆い隠すほどの脅威となっている。ヒトの体というものの重要性、および生殖活動としてのヒトの性の重要性を探究する努力を一新すること、それがこの加速する非人間化から身を守る唯一の方法である。


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