人は偶然の所産ではない

Editorial (オピニオン)
2013年2月8日掲載
国連記者室
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52020517.html
許可を得て複製

ローマ法王べネディクト16世は6日、一般謁見で「人間は偶然や非理性に運命付けられた存在ではなく、知性と自由によって生きていく存在だ。その創造秩 序の中で人間は神の筆跡を認知できる。聖書は自然科学の教本ではなく、世界の基本と人間の存在を問いかけている。全ての存在の最終原因、最終基本は非理性 的、非自由、非知性的ではなく、自由、認識、知性、そして愛に基づいていることが分かる」「信仰的な人間は自然の中で神の筆跡を読み取ることが出来るが、 創造主の特性を正しく理解するためには神の啓示が必要だ。世界は創造者の精神から由来する秩序をもつ。そして人間はその精神の似姿だ。そして人間は独りで はない。他者との関係で生きる。他者との関係性は決して依存性や制限を意味しない」という。

年を取ったせいか、直ぐに感動するようになった。学者法王らしい、非常に哲学的な内容だが、感動を呼び起こすものがある。「人は偶然の所産ではなく、創 造されたのだ」という内容は、世俗社会に生きている現代人の疲れた魂を鼓舞する。苦しい時、悲しい時、「自分は偶然の所産ではない」という言葉は、生きて いく勇気を与える。進化論的立場からは引き出すことができない、温もりのあるメッセージだ。

「全ての存在の最終原因は自由、知性、そして愛に基づく」という箇所は、今年4月に86歳を迎えるドイツ人法王の、困窮化にある人々への懸命な連帯感の 表明だろう。自然の中から神の筆跡を読み取ることが出来ると語りかける法王の説教は、聖パウロの聖句を想起させる(ローマ人への手紙1章20節)。

どうして、聖職者でもない当方が法王の説教内容について語るのかというと、その中に真理があると思うからだ。真理は語り手が誰かなど問題視しない。そし て、当方の周辺には生きるのに疲れた人々や、慰めの言葉すら聞くことができない環境にある人々がいる。当方は彼らに上記のメッセージを直接伝える術を持た ないが、彼らの魂が癒されることを願うからだ。年を取ったせいか、直ぐに涙がこぼれるようになった。 

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