障害のある子どもたち

Curtis, Barbara (カーティス・バーバラ)
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「今日のあの子はどうしたのかしら。」と私は腹を立て、決まりの悪い思いをして言いました。いつもは積極的な3才の娘は、保育園の授業での全ての誘いに抵抗していました。娘、マディーは落ち着かない様子で指をくわえて、少し違った同じ年ごろの子どもたち…「特別な養護の必要な子どもたち」をぽかんと眺めて立っていました。

「変だわ」と思いました。その子どもたちのなかに、マディーの4才の兄がいることを考えると特にそうでした。ジョナサンはダウン症で、最近まで彼とマディーはまるで双子のように暮らしていたのでした。発達において彼女が彼を追越し始めていたときでさえ、2人はずっと仲良しでした。そういう理由で、私はマディーをジョナサンの特別学級に初めて一緒に行かせたのでした。

今、自分の考えが間違っていたのではないかと思っています。「見てたら誰が障害を持っているのかわからないわね。」と私は、クラスのもうひとりの親の方を振り返りながら言いました。そう言っても失礼にはあたらなかったのです。なぜなら、マディーは私の娘でジョニーは私の息子だからです。

私は、養護を必要とする子どもを持つ親の立場がどういうものか思ってもみませんでした。というのは、自分がそうなるなど考えたことがなかったからです。ジョナサンが生まれたことで、私はその存在すらほとんど知らなかった世界へ足を踏み入れることになりました。障害を持った子どもたちのことを無視していたというのではなく、むしろ彼らのことを忘れていたのでした。9ヶ月のジョナサンを連れて障害児たちと初めて出会った時、私は現実を目のあたりにしました。他の母親と幼児がペアになって歌ったり、手をたたいたり、ベルやボールを使って遊んでいる輪のなかに私たちは座りました。つい最近までこのような子どもたちの人生は施設の中で無駄に過ごされていたということを考えると、今は何と幸せなのでしょう。少し余分に援助し、愛情を与えてあげれば、彼らが神様の望みどおりの特別な人々になりうるということを今までに誰も理解していませんでした。

でも、どうして私にそんなことを言うことができたでしょうか。私は障害者の方々を特別な人々だと考えたことは一度もありませんでしたし、彼らについて考えたことはあまりありませんでした。たぶんそういう訳で、息子が歌を歌いながら、初めての授業風景を見回しているのを見守っていた時、私の胸が 一杯になったのでしょう。

見回すと、ショッキングな障害もありました。クリストファーは頭がひどく変形し、片目で、頭の大きさは普通の2倍もありました。アンは1才なのに、しわだらけのお婆さんのように見えました。ガブリエルは目が見えませんでした。サムとジェニーは脳性小児マヒでしたが程度に違いがありました。ジョナサンのようにほとんど普通と変わらない様子の子どもたちもいましたが、なかには私が今までに見たこともないような子どもたちもいました。

子どもたちの母親たちには共通して、悲しみと喜び、もろさと強さとが入り交じり、優しさと疲労で覆われた人生から独特の美しさが感じられました。私の人生と同様に、彼女たちの人生も彼女たちをここへ連れてくる原因となった子どもの誕生によって、変わってしまったのでした。しかし全ての母親たちがどうにかやっていました。   他の母親が子どもたちの世話をしてくれている間に、母親の集まりに出かけていき、私たちはお互いについてもっと多くのことを知りました。

クリストファーの母親は泣きました。彼女の夫はますます内向的になっていきつつあったからでした。彼女は、障害児が生まれた場合、80%が離婚という結末になるという統計を知っていました。それよりももっと差し迫った問題がありました。彼女は赤ちゃんを人前につれていくこと、彼女の長男を見た時の人々の目に浮かぶ恐怖を見ることに耐えられなかったのです。

アンナの母親も同じような気持ちでした。そして、彼女は今再び妊娠すべきかすべきでないか考えあぐねていました。遺伝が専門のカウンセラーは、アンナの異常が染色体が原因かどうか確信がありませんでした。彼女の容姿もさることながら、彼女は何度も手術を受けていたのです。また、子どもが生まれても、自分の心が同じように苦しいことになるのではないだろうかと思案していました。

ジェニーの母親は、罪悪感と闘っていました。家庭での出産がうまくいかず、病院に行くのが遅れたため、彼女の娘の人生は全く違ったものになってしまったのです。

2ヶ月間、私たち母親はそれらを全て分かち合い、私たちの子どもの手術(最もすごかったのはクリストファーの頭の再生と整形手術でした)、再び、妊娠したこと(結果的に三人の健康な赤ちゃんがうまれました)、私たちの結婚生活でのストレスなどを通してお互いに助け合いました。私たちは誰かがうれしいときには共に喜び、悲しいときには共に悲しみました。

ジョナサンはもう今ではやがて5才、マディーは4才になりますが、私たちの家族にはもう2人子どもが増えました。ジェッシーとダニエルは2人ともダウン症の男の赤ちゃんですが、私たちは彼らを1年半前に養子にしたのでした。これで私たちの子どもは合計11人になります。大家族である私たちが、さらに特別な養護の必要な子どもを2人引き取るということに人々が驚く時、私はただ微笑んで次のように言うのです。「ジョニーが私たちに与えてくれている素晴らしい宝のことに気づいた時、私たちは彼のような子どもをもっと持ちたいと心に決めたのです。」

これは、たとえキリスト教徒であっても、たいていの人には理解しがたい考え方です。私には、障害児の親であることの大きな悲しみは、避けることのできない孤立感だと思います。

私が、どんなに自分の特別な子どもたちを神様からの素晴らしい恵みだとみなしていても、私のような経験をしていない人にとっては私の感動を理解することは依然として困難なのです。そして最も悲しいことは、ある地域においては、キリスト教社会は、特別な養護の必要な子どもたちを受けいれ育てていくことに、他の社会より数年遅れていることなのです。公立の学校で障害児も一緒に受け入れることが義務づけられる一方で、たいていのミッション・スクールは、私の子どものような子どもたちに教育を与える責任を受け入れることを拒否してきました。だから、何年もの間公立学校の子どもたちは障害児とふれあい、違和感を持たずに学校での時間を過ごしてきているのに、ミッション・スクールの子どもはこの機会が与えられていないのです。そしてその子どもたちの両親もまた同様なのです。

クリスチャンのベッキー・ウオルドは、20年間障害を持った子どもたちを育てた後に、「私たちはキリスト教以外の社会より、キリスト教会からより多くの否定的な反応を受けてきました。」ときっぱりと言いました。その説明を求められた時、彼女は次のようなものをあげています。

1、 決めつけ:「彼らは私に、神様は私をとても愛しているので、背負うためのこの重荷を私に下さった のだと言うか、3人も障害のある子どもができるのは、夫と私が何か間違ったことをしたに違いないと密かに思っているかのどちらかなのです。」

2、盲目:癒しが見えない場合、信仰が欠けているのだと思う人がいます。癒しはしばしば違った方法で訪れるのです。癒しは肉体的なものでなく、情緒的精神的なものなのです。

3、 恐れ:人々は恐れて質問しません。彼らは恐れて関わろうとしません、なぜなら、そうすれば彼ら は何かをしなければならなくなるでしょうから。

教会の中で障害児を持つ親が感じる孤立と教会の外で得られる養護学級の先生や物理療法医からの暖かさや励ましとの対比はキリスト教徒を混乱させることがあります。前にも述べたように、それが私にとっては悲しみの源だったのです。

ある母親が私に次のような話をしてくれました。「赤ちゃんの誕生を祝うことは私はいつも大好きなんです。でも今週の日曜日は、私は涙を流しながら教会から駆け出てきました。なぜでしょうか。それはある誇らしげな夫婦が次のようなことをみんなに報告したからでした。4ヶ月前出産前診断で彼らの赤ちゃんがダウン症かもしれないと指摘されました。彼らはその時の不安を事細かく述べ、「五体満足」な赤ちゃんを産んだときの喜びを説明しました。そのあとで起こった拍手は私の心臓を突き刺すような思いがしました。5年間、私の息子のジェイコブが成長し元気に育つのを見守った後でさえ、キリスト教徒である私の「兄弟姉妹」は、依然として、彼のことを劣ったものとみなしていたのでした。

もしジェイコブが13才になっていて、そのようなことを聞いたらどうでしょう。ジェイコブをとても愛している兄弟姉妹は、教会の信者の家族が自分たちの兄弟と同じような子どもが生まれなくて安心したというのを聞けば、どんな思いがするでしょうか。

私は牧師に会って、ダウン症は災難ではなく、遺伝子の配列にすぎないことを教えに行きました。詩篇:139:13〜14にあるように、ジェイコブは神様が望まれたように造られたのでした。

牧師は、まるで私に2つ頭があるかのように私を見ました。彼はジェイコブやダウン症のことについて実際には何も学んでいないようだと私はわかりました。」

私にはこの母親の気持ちがわかります。私はまた牧師のこともわかります。結局私もかっては限られた知識しか持たない人間だったからでした。神様はジェイコブを用いて私の視野を広げ、私の心を大きくして下さったのです。神様は私たちの知能や容姿の事をどんなに気にかけていないか、そしてどれだけ私たちの生き方について心配して下さっているかを私に教えてくれました。

振り返ってみて、神様が障害を持っていると見なしていたのは私だったにちがいないということを私は知りました。

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