真実を隠すこと


去るものは日々に疎し

欺瞞について議論する必要はあるとしても、カウンセラーの大半は、まず患者である女性のことを心配するだろう。十分な教育を受けていない、あるいは雇用主により、中絶の本当のリスクについて誤った認識を植え付けられているとしても、カウンセラーたちが傷ついている女性の心を理解していれば、故意に女性を誤った方向に導くことはないはずである。もちろん、彼らは、回復室で涙を流す女性を大勢見てきている。しかし、カウンセラーたちは、女性たちはいずれ元気になると信じているのである。

この誤った認識の背景には、自分のカウンセリングが相談に来た女性の役に立っているというカウンセラーたちの確信がある。中絶提供者の誰一人として、本書で紹介した女性の悲しい物語を信じようとはしないだろう。彼らは、本当に女性を助けたいのだ。カウンセラーたちは、彼らがカウンセリングを行った女性の一部が中絶によって苦しんでいると思いたくないのである。

中絶カウンセラーがこうした期待を抱く理由には、中絶後に問題を生じた女性と接触した経験が非常に少ないこととも関係している。中絶によって精神的に傷ついた女性が中絶クリニックに戻ってくることは殆どない。[11] 中絶後の気持ちがネガティブであればあるほど、悲しみや罪の意識を感じさせる中絶クリニックやカウンセラーたちから離れていってしまうのだ。

その一例として、私の患者だったアマンダのケースがあげられる。彼女は21歳で、まじめで明るく、外見も美しい女性だった。中絶の2日後、アマンダは、非常に危険な組み合わせである睡眠薬とアルコールを過剰摂取した。彼女が退院してから、彼女とその友人に会ったが、アマンダは、とめどない涙と悲しみで息を詰まらせていて、ほとんど話すことができなかった。当惑した彼女の友人たちが、何が起こったのを話してくれた。来る日も来る日も私たちは、彼女の身を守るための方法を考えた。アマンダの友人は、彼女にこの危機的状況を脱してもらおうと、彼女を支え、安心感を与え続けた。しかし、術後2週間の検査のため中絶クリニックを来院する日が来ると、アマンダはそれを拒否した。彼女は、「罪の場所」に戻ることはできないと思ったのだ。予約の時間が過ぎたが、クリニックの誰からもアマンダの容態について尋ねられることはなかった。クリニックでアマンダの自殺未遂を知っている人はいなかった。

ルーサンのケースも同様である。中絶の数日後、彼女はクローゼットの中で首をつろうとした。幸い、棒を固定していたスクリューが彼女の体重で壁から外れたため、彼女は助かった。次に、彼女は、ガレージのドアを閉めて車のエンジンを回し、窒息死を試みた。これも自殺未遂に終わった。不思議なことに、ルーサンは2週間後の検査のため病院を再訪しており、そこで彼女はアンケートを提出している。自殺を試みるほど精神的に苦悩していたにも関わらず、彼女は、すべての質問に「肯定的」に回答している。彼女は、後に「早く検査を終えてその場から立ち去りたかった!」と述べている。結果的に、クリニックの誰一人として、急いでアンケートに答え、自分が大丈夫であると報告した女性が、実際には中絶によって自殺を考えていたことを知らなかったのだ。

中絶のトラウマに苦しんでいる女性の大半が、中絶体験に関わる人物や物事との接触を拒んでいることは明らかだ。もし彼らに相談相手を探す勇気があったとしても、セラピスト、牧師、一般開業医、友人など、中絶カウンセラーとは別の人々に助けを求めるだろう。この点から、「問題はほとんどありません」という中絶クリニックのカウンセラーは、正直と言える。しかし、彼らが問題を見つけにくい立場にいるとからといって、問題が存在しないという意味にはならない。

この点で、読者は、当然、私自身の見解も中絶カウンセラーとは反対の方向に偏っているのではないかと思うかもしれない。結果を述べると、私が診察した中絶経験者では、中絶を肯定する人よりも、中絶後に問題を抱えた女性が圧倒的に多い。したがって、私自身の臨床経験を中絶経験者全体に当てはめて、中絶後の問題の程度を実際より大きく考えている可能性がないとは言えない。

その議論には、確かに一理ある。個人の見解は、その人の限られた経験に影響される。しかし、本書の論点は、すべての女性、あるいは大半の女性が本書で紹介した感情的問題を抱えていると主張することではない。私の目的は、中絶によってさまざまな感情的問題が生じる可能性があることを示すことである。こうした問題は、社会からも医療専門家からも無視されることが多く、その結果、大勢の女性を苦しめている。私は、統計的、臨床的観点から証言の検証を行うことで、それが真実であることを証明できると確信している。「完全に」バランスのとれた見解を得るための最善策として、私は、中絶の感情的利益を立証するために中絶擁護者が示す証言にも注目している。しかし、そうした証言が公表されたとしても、多くの女性が中絶によって大きなトラウマを抱えているという事実を消せるものではない。このことは、我々に2つの疑問を投げかけている:どうすれば彼女たちを救えるのか、同じネガティブな経験から他の女性を守るにはどうすればよいのか?

例外

上記が一般的な現状だが、中絶による感情的な問題に女性たちが対応できるよう準備を促している中絶カウンセラーも一部にいることを知ってもらいたい。たとえば、シャーロット・タフトは、ダラスの中絶クリニックで14年間、カウンセラー兼ディレクターを務めていた。タフトは、中絶を巡る厳しい問題から患者の目を逸らすのではなく、彼女らと共にそうした問題に取り組んでいる。彼女は、中絶の前に、子どもの喪失に直面する女性たちの力になりたいと努力してきた。自分の子どもにさよならの手紙を書くよう勧めたこともある。カウンセリングにおいて、患者の多くは中絶しないことを選び、彼女はその決断を尊重した。[12]

ただし、タフトの行動は、多くの中絶擁護者から厳しく非難されている。たとえば、家族計画連盟は、タフトのクリニックの紹介を中止した。その決定を擁護するため、ダラスおよびテキサス北東部の家族計画連盟の代表は、「中絶擁護団体は女性に対して十分に誠実でないとする〔タフト氏の〕声明に強い異議」を唱え、「中絶後に感情的に重大な後遺症が残るという根拠はない」という報告書を発表した。これに対し、タフトのクリニックで中絶を行うウィリアム・ウェスト医師は、家族計画連盟は、短期の追跡調査のみに基づいた自社の裏づけ資料において、少なくとも10%の女性に「顕著、重篤、継続的な」心理的問題が生じると報告していると述べた。ウェスト医師は、10%はアメリカ国内だけでも160,000症例に相当することから、家族計画連盟は、「女性に嘘をついているわけではないが・・・その思い違いや無知を残念に思う」と述べている。[13]

残念なことに、中絶後のカウンセリングの必要性を認識する中絶クリニックのカウンセラーは増えているものの、その必要性を患者に説明する上で苦心している。たとえば、サンノゼの家族計画中絶クリニックのヘッドカウンセラー、シーラ・クリーフェルズは、中絶後のカウンセリング・プログラムを用意しているものの、希望した女性にしか提供されていないと話している。プログラムについては、広告も行っていないし、中絶前のカウンセリングでも紹介していない。実質上、公表されていないに等しい。中絶後のカウンセリング・プログラムが存在することを知っているスタッフもほとんどいない。

クリーフェルズは、プログラムの普及が政治的理由によって妨げられていると述べている。中絶後のカウンセリングを提供することは、中絶によって女性が傷つくことを暗に認めることであり、「相手に爆弾を投げることはしたくない」という思惑があることを、彼女はレポーターに対して認めている。[14]

誤った期待の普及

シャーロット・タフトのように、中絶カウンセラーの中には、女性自身が決断し、中絶の結果を受け入れる準備をするよう求める者もいる。しかし、70年代初頭以来、中絶カウンセラーの間では、中絶を促すことがその職務であるという見解が一般的になっている。大半のカウンセラーは、クリニックに来るまでに女性はよく考え、最終的な決断をしていると思い込んでいる。カウンセラーとして、女性のストレスを軽減し、すでに決意したことについて疑問をもたせないようにすることが彼らの仕事なのである。カウンセラーたちは、彼ら自身を、心理的に消耗し、身体的にも辛い経験をしようとしている女性たちの友人であり、指導者であり、応援者であると考えている。

彼らは、相談役というより世話役として、女性が解決できていない感情的、道徳的葛藤を取り除こうとする傾向がある。患者が中絶のリスクや胎児の発達段階について尋ねると、カウンセラーたちは、自分の過剰な親切心が不安や疑問を生じる原因になるのではないかと警戒する。彼らは、患者の懸念をうまくはぐらかし、打ち消し、不安をそれ以上大きくしないような回答をしたがる。このアプローチが、1970年代初頭からカウンセラーの教育基準として使われているのだ。[15]

結果として、中絶を受けた女性の大半は、(1)中絶において精神的なリスクはない、あるいは(2)精神的に深刻な問題が生じることはきわめてめずらしい、と教えられることになる。これらは、大半の女性が中絶後に安堵することから、受け入れられてしまう。一部のカウンセラーは、しばらくの間、悲しみや「憂うつ」に陥る女性がいることは認めているが、そうした気持ちはすぐに消えると主張している。また、こうした一時的な「憂うつ」は、単に妊娠から妊娠していない状態にホルモンが変化することが理由と考えるカウンセラーもいる。サンディーは、自分の体験談を次のように話してくれた:

私が以前に中絶したときに相談した個人カウンセラーは、中絶の後、1ヶ月ぐらいは、悲しくなったり動揺したりすることがあるかもしれないと言いました。ホルモンが通常の状態に戻る過程なので、心配することはないと言われました。彼女は、最初の1年は中絶のことを時々思い出すかもしれないけど、その後は、記憶の彼方に遠のいて行くとも言いました。1ヶ月たっても元通りにならず、私は、自分はどこかおかしいのではないかと思い始めました。もう一度カウンセラーに会おうと思いましたが、彼女は私の中絶について一切話そうとしませんでした。彼女は、私が何か別のことで悩んでいると言い張ったのです。1年経っても毎日私は中絶したことを考えていて、自分は本当に頭がおかしくなったのだと思いました。自分の人生は元通りになると思っていましたが、実際には、粉々に砕け散ってしまったのです。壊れた人生の破片を再び元に戻せるのかどうかもわかりませんでした。私は、自分が悩んでいることを周囲が知ったら精神療養所に入れられてしまうと思い、みんなの前では平静を装いました。中絶に対してこんな風に反応したのは私だけだと思っていたのです。

中絶擁護者は、中絶の前と中絶の3週間後に女性を調査したブレンダ・メジャーの研究報告を引用して、あらゆる感情的リスクを意図的に隠蔽しようとしている。この調査では、中絶後の対応に不安があった女性のほうが、対応に不安のなかった女性と比較して、より多くの感情的問題を報告したことが明らかになっている。[16] 発表以来、この研究報告は、潜在的なリスクに関する「不必要な」情報を女性に提供することで彼らの不安をあおり、中絶後の感情的問題のリスクを増加するという理由で、女性を動揺させる情報の提供を差し控える根拠として利用されている。

この理論には、さまざまな問題がある。第1に、リスクの完全な開示を受けるという患者の基本的権利を侵害している。この理論では、女性は、子どものように無知で無力であり、真実を聞いて自分で判断する能力を持たない存在と考えている。それどころか、中絶カウンセラーたちは、(1)温情主義として女性が知るべきことと知らなくても良いことを決める、あるいは(2)中絶という選択を促す情報だけを女性に与えているのだ。

第2に、メジャーの調査結果を妥当に解釈すれば、対応に不安のある女性が、中絶後すぐに否定的に反応することは予想可能と考えられる。こうした女性は、中絶の決断をめぐる葛藤を強く認識しており、彼女たちが状況への対応に不安を抱く可能性は高い。多くの場合、こうした女性たちは、自分の母性や道徳的良心に反して不本意な中絶を受けている。彼女たちは、中絶以外「選択肢がなく」、子どもを持ちたいという希望をあきらめざるを得なかったと感じている。彼女たちが、悲しみ、喪失感、後悔、罪の意識を持つのは当然かもしれない。彼女たちにとって、それこそが現実に予想されることなのだ。間違ったことを言って安心させ、こういった現実を退ければ、短期的に不安を軽減できるかもしれないが、結局、長い目で見れば、彼女たちはさらに苦しむことになる。後でごまかされたことに気づけば、中絶後の「当然な」反応に加えて、自分や他者、特に医療専門家を信じられなくなってしまう。ロリーは自分の苦しみを次のように打ち明けている:

何年もの間、私は決断力の低下に悩んでいます。自分自身の判断を信用できないのです。私にアドバイスしてくれる医師、カウンセラー、ボーイフレンドさえも信頼できません。私は、「何か間違ったことをしている」という妄想に支配されています。そのときは、どうして決断できないのかわかりませんでしたが、今は、それが中絶したこと、そして他人任せにしたために恐ろしい選択をしてしまったという気持ちが原因だと確信しています。この問題は、私の人生そのものに大きな影響を与えることになりました。

この理論の3番目の問題は、動揺させるような情報から女性を「守る」べきという考えにある。情報を取捨選択することで、中絶後の最初の数週間における悲しみ、喪失感、後悔、罪の意識を軽減できたとしても、それが長期的な利益になるという理論を裏付ける根拠はどこにもない。それどころか、否定的な反応の発現を遅らせ、悪化させるだけとも考えられる。たとえば、ジェーンは、19歳の時、妊娠3ヶ月目で中絶手術を受けた。その後、看護学校に入学するまでは、中絶処置のことを思い出すことはほとんどなかった。しかし、ある授業で、胎児の発達について学び、初めて超音波画像を見た。ジェーンは、その情報に直面して、大きな衝撃を受けた。それこそが、クリニックが意図的に隠していた現実だったのだ。

私は、中絶についてあれこれ質問しました。私の質問はすべて、「心配する必要のないこと」として片付けられてしまいました。私は、赤ん坊の発達状態について尋ねました。カウンセラーは、紙の上に鉛筆を押し付け、小さな点を打ちました。そして「『受精の産物』はこんなものよ」と言ったのです。私は妊娠12週でした。彼女はとんでもない嘘をついていたのです!看護学校で真実を知ったとき、裏切られたことに対して大きな衝撃を受けました。そして、新たな事実を知った私は落ち込みました。悲しくて、看護学校を辞めようかとも思いました。自分の小さな赤ん坊のことを考えて…どうして子どもを殺したりしたのだろう。

温情のつもりで女性に真実を告げないことの危険性は、ジェーンの例で明らかである。真実をひた隠しにすることが何の役に立つのか?テレビのドキュメンタリーやニュース雑誌の記事で胎児の発達の写真を見た女性のケアは誰が行うのか?出産する予定で妊娠生活を送っているときに、検診に行った病院で胎児の発達を描いたポスターを見た女性に対し、中絶した子どもが、今子宮の中にいる子どもより人間として軽んじられた理由を一体誰が説明するのか?

4番目の問題は、中絶に関して不安を生じるような真実を隠す行為である。不十分かつ不正確で、偏見に満ちたカウンセリングは、中絶後の精神的問題をさらに頻発させ、悪化させることが統計的に証明されている。[17] 自分の予想が間違っていたことに気づいた女性は、自分自身だけでなく、中絶に関与した人々に対しても、利用されたという気持ちや怒りを抱く確率が高い。

最後に、対応に不安を抱くことをネガティブな反応のリスク要因とするなら、情報を隠さず、楽観的な期待を誤って植え付けないことが適切な解決策と言える。医療関係者の倫理的義務は、このリスク因子を選別し、追加カウンセリングを行い、さらに、対応への不安が、中絶が女性のニーズや希望を侵害するという事実に起因することが明らかになった場合、望まない中絶を「強制された」と思わなくてすむように、妊娠をめぐる問題の解決を支援することである。

中絶は精神的リスクを伴わないという誤った期待を修正できなければ、中絶クリニックは、無知だったために、悲劇的で、取り返しのつかない決断をするというリスクを女性に負わせることになる。レイナは次のように述べている。

中絶の前に私が目にしたどの記事にも、中絶する女性の99.9パーセントは、中絶後にうつ状態になったり、後悔の念に悩まされることはないと書かれていました。それどころか、他のすべての女性と同じように、もう妊娠していないとわかった途端に安堵感を味わえるとも書いていました!その根拠はいったい何だったのでしょうか?私が以前の自分に戻ることはないでしょう!私の人生は完全に変わってしまいました。私と同じように傷つき、苦しんでいる女性がいるのではないでしょうか。

クープの書簡に対する曲解

中絶後の精神的影響に関する調査は、非常に困難で、政治の影響を強く受けてきた。付録Aは、中絶後に関する研究の問題点を説明すると同時に、研究結果が政治的理由で露骨に歪められた例を検証したものである。

実際のところ、論文を歪曲して解釈することは、例外ではなく、むしろ通例となっている。たとえば、1989年、公衆衛生局長官のC. エバレット・クープは、レーガン大統領宛の書簡でこの不可解な状態の解明を試みた。書簡の中で彼は、中絶に関する論文を1年かけて検証した結果、注目すべき研究のすべてに「方法論的に欠陥が認められる」と述べている。中絶後、身体的・精神的合併症を経験する女性の存在を認める一方で、クープは、「中絶が女性の健康に与える影響について決定的なデータを示した研究はない」と述べ、こうした合併症の頻度および重篤度を正確に評価することはできないと結論づけた。クープは、書簡の終わりに、1000万から1億ドルをかけて、中絶に関する5年調査を行うべきだと書いている。[18]

すぐに中絶擁護者たちは、クープの書簡を、中絶における健康リスクは認められないと解釈した。事実、中絶支援者たちは、中絶の安全性はすでに確立されており、研究の実施は税金の無駄遣いであるという理由で、連邦政府の支援による研究を推薦するクープの提案を阻止している。

クープの結論に対する曲解は、現在でも続いている。たとえば、ウォールストリートジャーナル宛の投書で、家族計画連盟のグロリア・フェルドは、中絶に伴う傷害について論じた社説に対して反論している。フェルドの主張は、中絶のリスクに関する問題は、クープと彼のスタッフによって「十分調査が行われ」、「中絶は女性に対して健康リスクをもたらすものではないと結論されている」というものだった。[19]

一方、クープは、彼の結論に対する曲解について異議を唱え、次のように述べている。「私は、中絶が、女性に対して短期的および長期的に精神的な悪影響を及ぼすと認識している。私は、こうした問題の存在を確信している。」[20] クープは、既存の研究は、あまりにも不完全で、中絶に伴うリスクや、また、もしあるとすればベネフィットの程度や頻度を正確に立証できるものではなかった(あるいは現在もそうである)と、繰り返し主張している。

クープがこのように明言しているにもかかわらず、中絶の安全に関する問題がメディアで取り上げられるたびに、フェルドのような中絶擁護者は、彼の声明を曲解し、「C. エバレット・クープでさえ中絶のリスクを明らかにできなかったのに、リスクがあるはずはない。中絶反対のプロパガンダには科学的根拠がない。中絶は安全である。」と主張している。

このように、誤解されやすい声明が、中絶の安全性に関する誤った期待の継続に与える影響は軽視できない。これらは、政策立案者を惑わすだけでなく、問題のある妊娠に直面している女性やその家族にも誤解を生じさせることになる。こうした声明があることで、彼らは、中絶は「専門家」や政府役員によって「安全」と判断されていると信じ込んでしまう。最も残念なのは、中絶による精神的苦痛を知って、中絶したくないと考える若い女性が、近親者から、中絶による精神的リスクがないことは「専門家」によって証明されているのだから、怖がることはないと説得されてしまうことである。

真実へのアプローチ

付録Bに記載した理由から、本書で説明した中絶後の問題が実際にどの程度広がっているのかは誰にもわからない。理解していると言う人がいたとしても、それは、情報に基づいた推測を述べているだけである。

しかしながら、中絶後の問題を経験しているという女性グループの特徴も明らかになっている。本書の付録Cに、平均10.6年前に最初の中絶を経験した260人の女性に対し、エリオット・インスティテュートが行った調査の統計結果を記載した。この調査に回答を志願した女性は、中絶後の感情的問題についてのカウンセリングを求めていた、中絶後のカウンセリングを受けたことがある、あるいは中絶の経験を持ち、その後の妊娠では出産を希望して緊急妊娠センターで助けを求めていた、のいずれかであった。この調査の結果は、中絶に対するネガティブな感情を経験している女性たちを代表した声のように思われる。しかしながら、本試験で報告された割合を、中絶を経験したすべての女性に当てはめるのは不適切だろう。

我々にとっての最大の課題は、自らの中絶を隠している女性の実態を知ることである。調査員がアプローチした際に、中絶の事実を否定する女性が中絶後にどのような経験をしたかを知ることは不可能である。さまざまな方法を駆使した結果、中絶経験者の約50パーセントがその事実を調査員に隠すことが判明した。[21] 過去の中絶に関する面談を拒む女性を人口学的に比較したところ、中絶後の大きな苦しみを報告する女性の特徴と一致する傾向がある。[22] ブリーンは、この問題について次のように述べています:

私たちのように中絶後に苦しんでいる人の多くは、その事実を認めたくないと思っています。その感情は、ひどいことはすべて忘れたいという気持ちと同じです。誰かが中絶の話をすると、私は恐怖を感じ、部屋を出て行くか、そのまま黙ってしまいます。自分がしたことを誰にも知られたくなかった。発作的に泣き出してしまうのが怖くて、中絶について聞かれても、そのことについて話したくなかったのです。私は、誰にも見られないように、自分のベッドルームに行くまで涙をこらえていました。

過去の中絶を隠している女性が抱える問題にアプローチする唯一の方法が、記録に基づく調査の利用である。記録に基づく調査では、女性に対して調査を行うのではなく、彼らの医療記録を直接閲覧する。残念ながら、こうした調査は、わずか4件しか行われていない。

1件目は、フィンランドの政府記録を利用した調査である。中絶を含め、すべての医療費は、フィンランド政府によって支払われるため、女性が過去の中絶を隠したとしても、この調査結果が歪曲されることはない。ただし、この調査では、時間枠および調査対象とした中絶後の「症状」が限定的である。特に、研究者たちは、7年間に起こった自殺症例のみに注目している。彼らは医療記録を検証し、死亡証明書と自殺前の1年間における出産記録および中絶記録との関連を調査した。その結果、中絶した女性が中絶から1年以内に自殺する確率は、一般人口集団の女性より3倍も高く、出産まで妊娠を継続した女性と比較して6倍も高いことが判明した。[23]

2件目の調査では、カリフォルニアに住む低所得の女性173,279人に対する医療費請求記録と死亡記録の関連づけを行った。この調査において、研究者は、中絶した女性の死亡率が少なくとも8年間高い状態を維持することを発見した。出産した女性と比較して、中絶した女性は自殺で死亡する確率が154パーセント高く、事故で死亡する確率は82パーセントに相当することが明らかになった(自殺行為が多いためと考えられる)。高い自殺率は、妊娠の転帰から最初の4年間で最も顕著だった。[24]

3件目の記録に基づく調査では、フィンランド同様、政府支援の医療制度を持つデンマークの政府記録を使用した。この調査では、出産まで妊娠を継続した女性と中絶した女性の記録を検証し、中絶または出産後3ヶ月間における精神科への入院について調査した。研究の結果、「すべてのパリティにおいて、中絶した女性は、出産した女性と比較して、精神科に入院するリスクが高い」ことが判明した。中絶や出産後最初の3ヶ月間における精神科への入院率は、中絶した女性で10,000人中18.4人、出産した女性で12.0人、デンマークの女性全体で7.5人だった。さらに、離婚、別離、死別によって、中絶や出産の時に配偶者の支えがなかったことが、問題として明らかになった。精神科への入院率は、中絶した女性が10,000人中63.8だったのに対し、出産した女性は16.9人だった。[25]

中絶後の精神科への入院率が意味ありげに高い点について、本調査の研究者が、調査期間を中絶または出産後最初の3ヶ月に限定したという事実に注目する必要がある。産後抑うつ症は、出産後3ヶ月以内に事実上すべての症例を確認できるが、中絶後の精神科への入院の多くは、3ヶ月以上経過してから起こっている。言い換えると、この調査では、事実上すべての産後抑うつ症による入院症例を、中絶後の初期段階での反応と比較していたことになる。

こうした問題点は、妊娠の転帰から4年間における精神科への入院を調査した4件目の記録調査によりカバーされた。この調査では、年齢集団を問わず、出産した女性と比較して、中絶した女性において、後に精神科に入院する相対リスクが相当高かった。精神疾患の病歴、年齢、妊娠回数について調整を行ったところ、出産した女性と比較して、中絶した女性の入院率は、出産や中絶から90日の時点で最高の4.26倍、4年目の時点で最低の1.67倍だった。これを言い換えると、精神的問題で入院するリスクは、徐々に減少するものの、4年経った時点でも、67パーセントも高いことがわかる。中絶した女性は、適応反応、うつ病、神経障害、双極性障害で入院する確率が特に高い。[26]

こうした記録に基づく調査は、対象となった反応(自殺および精神科への入院)、追跡調査の期間(3ヶ月〜8年)、ならびに不完全な産科受診暦(出産グループの女性の多くが、調査期間の開始前に中絶を経験している)により、限定的なものとなっている。こうした制限はあるものの、これらの調査は、今日まで発表された中では最もよく計画されたものであり、少なくとも一部の女性において、中絶が重大な精神障害を誘発あるいは悪化させることを明確に示している。

ロサンゼルスタイムスが1989年に3,583人を対象に行った大規模な全国調査では、より軽度な問題の発生が示唆されている。この調査では、過去の中絶を認めた女性の56パーセントが罪の意識を感じ、26パーセントが中絶を選択したことを後悔していることが明らかになった。過去に中絶に関与した経験のある男性では、否定的な反応がさらに大きかった。3分の2が罪の意識を感じ、3分の1以上が中絶を選択したことを後悔していると報告した。[27] 中絶に関する他の調査と同様、この調査において過去の中絶を認めた人の数は、全国平均よりかなり少なかった。過去の中絶経験を認めたのは、女性で8パーセント、男性では7パーセントに留まった。このことから、調査対象となった3人に2人以上が調査員に対して中絶経験を隠していたことがわかる。また、前述のように、「中絶経験を隠している人」が罪の意識や後悔を感じている割合は、「中絶経験を打ち明けた人」のそれよりも高いと考えられる。[28]

しかしながら、一般の人口集団に、56パーセントが罪の意識を感じ、26パーセントが後悔しているという事実を当てはめると、これがいかに広範囲に及ぶ問題かがわかる。不満率がこれほど高い医療行為が他にあるだろうか?手術を好んで受ける人はいないが、果たして心臓発作を起こした患者の4人に1人が心臓バイパス手術を受けたことを後悔するだろうか?そんなことはないだろう。後悔する人の割合がこれほど高いのは、中絶に限った特徴であり、中絶後長い年月を経ても、男女にとって忘れることのできない心理的葛藤があることが推察できる。

同様に、中絶以外の手術で、患者の56パーセントにおいて、何年もの間、罪の意識が消えないという手術があるだろうか?そんなものはない。中絶後に罪の意識を感じる人が多いのは、中絶を経験した男女の多くが、自分の経験に対して、精神的にも感情的にも穏やかでいられないことを表している。

男女合わせて約6000万人が、合法的な中絶によって、1人以上の胎児を失っている。罪の意識を感じている人がわずか3400万人(56パーセント)、自分の選択を後悔している人がわずか1600万人(26パーセント)としても、この数字は、私たちが封印しているネガティブな感情が、国全体でいかに大きいかを表している。

次の章では、こうした感情を抱く大勢の人が、そのネガティブな気持ちを見つめ、理解し、吐露できる癒しの環境を与えられていない理由について検証する。

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